ドーナツホール

阿瀬みち

まえがき

 年を取ることのなにが怖いかと言うと、自分を見知ってくれていたひとたちがひとりまたひとりと減っゆくことではないかと思う。人間はひとりで生まれてひとり死んでいくというのは嘘だ。生まれ落ちた瞬間からあなたを見知って育ててくれた人間が次第に数を減らしてゆく。人生の節目、引っ越し、退職などで土地とのつながりも途切れがちになり、老いてはやがて幼少期のつながりなどはまったく記憶の中にだけ存在する架空のへその緒となり、老いたあなただけを知る人たちに囲まれて死んでいく。過去の裏切りも結託も妥協も許しも完全犯罪も愛すらも、すべて沈黙の中に葬られる。それが怖いという人間も、救いだととらえる人間もいるかもしれない。私がいま夫のことを書いているのも、置いて行かれるのが怖いからだ、夫が私のことを忘れ去ったら、過去に存在していた私は肉体を失ってしまう。書くことは過去を新しく創作することに他ならない。これを冒涜と呼ぶ人もいるかもしれない。未来の私も同じように感じるかもしれない。しかし私は過去を作り出すことをやめられない。夫のいなくなったあとの世界を生き延びるために。怪物を作り出したフランケンシュタイン博士のように。

 わたしが作り出そうとしている怪物は道徳的な正しくなさの産物で、未来の道徳的な人々から断罪され抹消されかねない存在かもしれない。たとえば『幸色のワンルーム』や『うさぎドロップ』のような。あるいは光源氏の葵上に対する執着のような政治思想的な正しくなさを含んでいる。けれどもわたしはこれを書くことで『私の少年』を読んだときに感じた記号としての少年の姿への批判をこめて、わたしの存在や思考の軌跡を描くことでアンチ・少女像を打ち立てようともしている。高野ひと深のような作家は少女や少年の残酷な姿や冷酷さを敢えて無視し、かれらには欠点など存在しないかのように扱っている。少年や少女を穢れなき成人の前段階のように描く。きれいでけなげでかわいそうで、保護してやらねばならない存在としての少年・少女をわたしはわたしの実存でもって否定したい。


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ドーナツホール 阿瀬みち @azemichi

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