機械の身体

佐竹健

機械の身体

 機械の身体になった。自殺未遂をして植物状態になった僕を生かすため、親が大学病院に多額の資金をはたいて、まだ実験段階の脳を機械の身体に移植するという治療をしたために。

 表皮と脳以外はほとんど無機物で構成された僕の新しい身体は、意外にも肉体のあるときとは変わらなかった。物を持てばその物体の感覚や温度がしっかり伝わるし、叩いてみれば「痛い」という感覚が伝わる。目もしっかり見えるし、耳もしっかり聞こえる。ただ、肉体があるときより過敏に感じて辛いけど。でも、それ以外は有機物と炭酸カルシウムの肉体であったときと同じであることに、僕は安堵した。


 検査が続く毎日を1ヶ月ほど過ごしたあと、教授もしている先生の提案のもと、機械の身体になじむための訓練を受けることになった。先生曰く、

「感覚があるからこのまま社会復帰できるだろうと思っているかもしれないが、今の君の身体は脳以外全部無機物。つまりは脳以外全部ロボットの機械人間サイボーグなんだよ。君も知っているだろうが、欠損した身体の部位を機械にしたり、特殊なスーツを着ることでパワーを増幅させたりするなどして、部分的に機械にしている人間はこのご時世珍しくない。が、君のように脳以外全部ロボットの機械人間は、地球人類の中で数人いるかどうかといった貴重な存在なんだ。そんな新人類が、すぐに世に解き放たれたとなれば、混乱が起きかねない。そこで、君には実験も兼ねて、社会復帰への訓練をしてもらいたいんだ」

 とのことだった。

 確かにこれでは日常生活は無理だなと感じることはあった。感覚が肉体があったころよりさらに鋭敏になっていたからだ。

 聴覚が前より良くなっているから、些細な音ですらも大げさに聞こえてしまう。触覚が前より鋭敏だから、少し角に当たっただけでも物凄い痛みを感じてしまう。嗅覚が鋭いから、人の体臭とかがより臭く感じる。

 元々鋭敏な方ではあったけれども、それがさらに鋭くなったから、意識のあるうちは、苦しくて不快でたまらなかった。叫んでしまって起動スイッチを切られたことは何度あったか。

 特に問題なのは、力加減の調整であった。

 テレビのリモコンを持って運ぼうとしたときに、いつのまにか粉々にしていたことがあった。肉体があったときと同じ要領で持っていたのに。

 新しい体は、味覚以外のすべての感覚とフィジカルが強化され、自分も他人も全てを傷つけ、破壊する暴走マシーンだった。もしこのまま社会に復帰したとしても、誰かを傷つけることしかできないから、自殺をする前の有機物と炭酸カルシウムの身体だったときの僕と、何ら変わらない。


 検査や訓練では、聴力や視力の検査、跳躍力や握力、持久力の計測、力加減の調整などをやった。

 案の定聴力や視力は有機物の肉体のときよりも上がっていた。

 持久力や跳躍力、瞬発力も上がっていたから、持久走は息切れすることもなくできたし、シャトルランも120回走れた。2メートルの棒高跳びも余裕で飛び越えられた。50メートル走のタイムも5秒を余裕で切っていたし、反復横跳びも肉体があったときよりできるようになった。ここは単純にうれしかった。今までできなかったことが、機械の身体を手にして、できるようになったから。

 四感のうち触覚や痛覚に関してもやはり同様で、有機物の肉体のときよりも鋭敏になっていたから、少しの刺激にも敏感に反応するようになっていた。くすぐったいときは笑いがこらえられないし、痛いときは骨が折れたのかと思うほどに痛い。反対にふわふわとかやわらかみたいな感覚は、何倍も快感を得られた気がする。

 敏感な感覚についての先生や技術者の見解としては、

「身体が急激に変わったから、脳がそれについていけないからではないか?」

 ということだった。ようはまだ、この機械の身体に慣れていないからといった感じのようだ。

 敏感な触覚や痛覚という課題は、メンテナンスを担当してくれる技師さんが、人工表皮の厚みを調節してくれたことにより、ひとまず解決した。

 力加減の調整については、いろんなものを持ったりした。

 最初は少し握っただけで鉄製のスプーンを折ってしまったり、陶器のマグカップを破壊したりと、漫画に出てくる超人キャラさながらの破壊をしてしまった。もちろんリンゴやオレンジといった柔らかいモノは木っ端微塵である。

 触れるものみな壊してしまうので、何か取ろうとするときや欲しいものがあるときは、誰かに取ってもらわなければいけなかった。自分で取りたいものが取れない。これほど「もどかしい」という気持ちを感じたことは無かった。

 不便な体に一刻も早く慣れるため、僕は必死で己の力を制御するためのトレーニングに励んだ。

 できなくて落ち込む日は何度もあった。が、早く退屈な入院生活を終わらせたい。そのために、ひたすら頑張った。常に全身の力を抜くことを意識するとか、このときはこれぐらいの力加減がいいといったアドバイスを一つ一つ自分のものにしながら。

 過敏さについては、たまに技術者のヒトから、神経を流れる電流の強弱なんかを調節してもらったりして、どうにかしてもらうこともあった。そして、自分にとって最適な強弱はどれくらいかを感覚でつかんでいった。

 そして2年が経つころ、僕は何年かぶりに外の空気を吸った。哀しいかな、久しぶりに吸った外の空気の味は、何もしなかった。


 普通に座って作業をしたり、勉強したりする分にはこれでいい。だが、やはり生身の有機物の肉体には敵わないと思うこともいくつかあった。

 まず、滑らかな動きができない。

 ラジオ体操をしても、有機物の肉体を持った普通のヒトみたいに滑らかに腕を動かすことができない。それに動く度にする微細なモーターの駆動音がうるさい。

 滑らかに身体を動かせないので、手先を使う作業とかにも大きな影響が出てくる。千羽鶴などの折り紙が折れなかったり、プラモデルの細かい部品を持って彩色することができなかったりといった感じで。

 これについては、身体のメンテナンスやアップデートを担当している技師の人曰く、

「機械の身体では、パワーとかその辺は出せるかもしれないけど、動きの滑らかさと音については少し課題だな。最新の技術ができたときにアップデートするから、そのとき連絡するね」

 とのことだった。技術の発展でどうにかなるが、それまでの間この苦しみと戦わねばならないと考えると、気分が沈んでくる。

 ご飯が食べられない。機械の身体になって一番の不幸はこれである。家族や友達が幸せそうに食べているのを横目で眺めることしかできないのだ。

 特に辛いのが、肉体があったときに好きだった食べ物が食べられないということだ。

 小さな頃から、僕は好き嫌いが激しかった。魚もダメ、野菜もダメ、卵もダメ……。とにかく、好き嫌いが多かった。このことでどれだけ母や周りのヒトを困らせたかは言うまでもない。

 年をとってからは、嫌いより好奇心の方が勝ってきたから、食べられるものも多くはなった。が、やはりそれでも、同世代の友達や世間一般のヒトと比べると、好き嫌いが多い方にはカウントされていた。

 そんな時分から好きだったものも、無いわけではない。それが食べられないのは、とても辛い。

「でも、脳を動かすのにも、栄養とか水分が必要でしょ? その辺はどうしてるの?」

 これについては、脳に必要なブドウ糖などが入った栄養液を注入する。たったそれだけである。もちろん機械の身体なので、味は感じない。

 技師のヒトの話では、よくスーパーやコンビニ、錠剤型のラムネの味をイメージするといいと話していた。が、味覚があるときには既に食べなくなっていたので、その味がどんなものだったか思い出そうにも思い出せない。

 他にも水分の循環装置やフィルター、バッテリーの残量の関係で外出が制限されるなど、問題はたくさんある。苦痛ではあるが、諸問題と折り合いをつけたり、時に逃避したりしながら、悶々とした毎日を過ごしている。次のアップデートの日まで。


 機械の身体になってから、苦労ばかりしているかのように見えるかもしれないが、実際はそうでもない。むしろ、楽になったとさえ感じる。

 その最たるものが「人間らしさ」から解放されたことだ。

「人間たるものかくあるべし」

 まだ有機物の肉体を持っていたとき、僕はこの考えが大嫌いだった。僕は生まれつき、人間らしく生きることができなかった。

 眠ろうとしても眠れない。好き嫌いが多くて、食べられるものも少ない。何事も人並みにできない。人間として求められるラインに、どれも達していなかったのだ。

「人間たるものしっかりとした睡眠が大事です!!」

「人間たる者頑張れば何でもできます!!」

「人間たる者栄養バランスが大事です‼」

 それでも周りの人たちは、人間らしさを大事にしなさいという説法を延々としてくる。人間であることがこの世で一番尊い。人間であることの条件から外れたヒトは、人間ではなく「ヒトの形をした何者でもない生き物」である。そうした人間なら誰もが抱いている人間至上主義ともいうべき極端な思想が、さらに僕を「人間らしさ」から遠ざけた。

「人間らしさ」への嫌悪は、次第に有機物の肉体への嫌悪感、そして自分が人間でいることへの違和感へと変わっていった。

「誰かに相談すればいい」

 そう言う人がいるかもしれない。けど、僕の悩みは、誰かに話してわかってもらえる領域ではない。言ったところで、ワケワカランの一言で済まされ、人間に生まれたことがいかに幸せかということを散々言い聞かせられる。そして、人間であることを無理やり肯定させられるのがオチだ。

 誰にも言えない苦しみの中、僕は自殺しようとした。手枷足枷となっている人体という有機物と炭酸カルシウム、水分で出来た肉体から解放されるために。

 結果は言わなくてもわかる通り、生きてしまった。そして植物状態になって、生きているのか死んでいるのかわからない宙ぶらりんな状態になってしまい、その間にこの機械の身体に改造なってしまった。

 機械の体になってからは、人間らしさを押し付けられることが無くなって、少し気分がいい。動きがぎこちなくても、

「相変わらず動きがぎこちないなあ」

 と少しからかうような、けれども、有機物と炭酸カルシウムの肉体のときとは違い、どこか暖かみのある声で返してくれる。優しい人は、僕が困っていたり、できなかったりすると手伝ってくれることもある。おかげで、有機物と炭酸カルシウムの身体であったときよりも、誰かとの交流が増えた。

 また、眠れなくても、

「寝なくても……。あ、君は機械の体だから眠らなくてもいいんだよね。ごめん、悪かったな。まあ、でも、充電は必要か。無理するなよ」

 と済まされる。人によってはうらやましがられることもある。

 眠りを必要としないので、徹夜で勉強や趣味に没頭できる。おかげで成績は肉体があった頃より伸びたし、新たな趣味を見つけ、それを肉体のある人間より早く極めることができた。

 また、腕力は重いものを持ってほしいときや、誰かを助けようというときに、この身体は役に立つ。おかげで、有機物と炭酸カルシウムの身体であったころよりも、誰かに感謝されることが増えた。

 有機物と炭酸カルシウムの身体であったときよりも自然体の自分でいられる。生きていて初めて、自分が自分でいていい、ありのままの自分でいいんだと感じられた。

 まだまだ実験途中の機械の身体は、不便なこともたくさんある。そこら辺はこれからの技術の発展に期待するとして、今日も私はこの機械の体で生きていく。自分と誰かの力を足して、少し少し進化させていきながら。

(おわり)

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機械の身体 佐竹健 @Takeru_As1999

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