ディアヌとカトリーヌ

ヨシキヤスヒサ

ディアヌとカトリーヌ

 最期のときまで、私はついぞ、あのかたにお会いすることはできなかった。

 葬儀に参加することも許されなかった。

 私はただ悲嘆に明け暮れ、涙することしかできなかった。


 ああ、アンリ。私の陛下。

 どうして、どうして。

 なくなってしまった。そして、いなくなってしまった。

 すべて、すべて。あなたの愛したもの、すべて。


 あれからどれぐらい経っただろう。

 居城に、何人かの兵が乗り込んできた。

 少しもしないうちに、あらゆる部屋は開け放たれた。


 戦でもはじまるのか。

 そのために、調度品を徴発しに来たのか。

 何を聞いても、兵たちは答えなかった。

 ただ、何かしら目録のようなものを持って、部屋の中を確認していった。


 そのうちひとり、乗り込んできた。

 喪服の、小柄な女だった。


「カトリーヌ」


 そのひとの顔は、忿怒に染まっていた。


 棚に飾っていた皿のひとつ。手に取った。

 そのまま、振りかぶって。


「やめてっ」


 音だけ、響いた。

 それが何回も。

 皿や壺は割られ、絵画は引き裂かれ、宝石は床にばらまかれた。


「ひどい、ひどい。なんという、カトリーヌ。やめて頂戴」


 掴みかかった。それでも止まらない。

 兵たちはただ、突っ立っているだけだった。


 壊されていく。

 すべて、すべて。

 あのかたから頂戴した、すべてが。


「やめて、カトリーヌ。もう、やめて頂戴。あのかたが、あのかたがくれたもの、すべてが」

「壊してやる」


 カトリーヌの声は、震えていた。

 そうして振り向いたその頬は、濡れていた。


「あんたから全部、奪ってやる。そうしてあんたを、このろくでもない家から解放してあげる」


 振り上げた。そうして振り下ろした。

 また、大きな音が響いた。

 私もまた、大きく叫んでいた。


「なにが、フランス」

 私を描いた肖像画。短刀で引き裂かれた。

「なにが、ヴァロア。なにが、王陛下よ」

 ティアラ。ブローチ。叩きつけられ、踏みつけられた。

「私は王妃。奴隷じゃない。今や私こそがフランス。私こそが、ヴァロアよ」

 窓の割れる音。侍女たちの叫ぶ声。すべて、すべて。

「私こそが、このくそったれの、すべてよ」

 声が枯れるまで、カトリーヌは猛り狂っていた。


 そうして、どれぐらいが経ったのか。

 すべて、壊された。

 私はずうっと泣いていた。

 そしてきっと、笑ってもいた。


 ああ、カトリーヌ。

 なんて可哀想な人。

 人から憎まれ、疎まれ、それでも抗い続けたあなた。

 フランスというものと、ヴァロアというものと戦い続けたあなた。


 素っ裸で嫁ぎに来たとわらわれても。

 多くの国民から離縁を望まれても。

 あのかたがずっと、私を愛してやまなかったとしても。


 私はあのかたの、そしてあなたの傍にいた。


 あなたはいつだって、私の言葉を聞いてくれた。

 私の胸の中で泣いてくれた。

 つらいこと、悲しいこと。

 すべて、わたしに打ち明けてくれた。


 そうして、私のつらいもの、悲しいものも、聞いてくれた。

 受け止めてくれた。

 ふたり、泥と涙にまみれながら、あのかたとこの国のために生き続けた。


 これでおわり。

 あのかたと私。

 そして、あなたと私。

 これでようやく、おわれるのね。


「ディアヌ」

 カトリーヌ。くずおれた私の前で、膝を折った。

 その顔は、ぐしゃぐしゃだった。

「これで、おしまいよ。あんたも、あんたを縛っていたものも」


「ありがとう」

 差し伸べられた手を、握り返した。

「ほんとうにお優しいひと、カトリーヌ。私の愛したカトリーヌ・マリー。あなたはこれで、フランスになるのね?」

「そうよ。私がこのフランスを背負う。ヴァロアを永らえる。このろくでもないすべてを、ろくでもないすべての中で生きる人たちのために」

「ありがとう。すべて、壊してくれて。すべて、打ち明けてくれて」

「ディアヌ。さようなら、ディアヌ。私の愛した、ただひとりの姉さま」


 そうしてふたり、抱きしめあった。

 ずうっと、ずうっと。

 そうやってふたり、声を上げて泣いていた。


―――――


――――


―――


――


――


「随分と長生きしたわねえ、あんたも」


 墓前。小雨の中、私は立ち尽くしていた。


「いいわね、あんたは。なんにもなくなって、そうやって死ねてさ。私なんて今、大変よ?ユグノーだの何だので国は滅茶苦茶でさ」


 墓石はなにも答えてはくれない。それでも吐き出せるだけ、十分だった。


「私も、あんたみたいになりたかったなあ」

 きっと、本心だった。

「でもそれはそれで、きっと大変よね。そうよね。きっと、そう」


 傘を差そうという気にはなれなかった。

 従者が差し出したものも、手を出して遮った。


「今でも、懐かしむのよ」

 頬が濡れていた。雨ではないものだった。

「あんたが作ってくれた焼き菓子」


 口の中に、あの味が広がった。


「あんた、下手だったわよねえ。私の料理人と一緒に笑ってた。不格好で、大雑把で、味もまばらで」


 声はきっと、ひくついていた。

 それでもどうしてか、語りかけるのをやめる気にはなれなかった。


「でも、美味しかった。ありがとうって、ちゃんと言ってなかったわね。ごめんね」


 そうして、踵を返した。


 この場所には、もう二度と来ない。

 決めていた。

 それでもどうしてか、足取りは重かった。


「ありがとう、私のディアヌ」


 それだけちゃんと、言い残せた。


(おわり)

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ディアヌとカトリーヌ ヨシキヤスヒサ @yoshikiyasuhisa

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