わすれていることを忘れさせない日
沙華やや子
わすれていることを忘れさせない日
2025年8月15日に書いたエッセイです。
執筆中の出版社への応募作品である長編のことを朝から考えていた。
ほうけた頭だまったく、悲しくなる。
今日は終戦の日です。
夕方になり気づくだなんて……。
文筆で世界が変わることだってあるかもしれない。生きとし生ける者の息吹きを織り込めるのは音楽であり、絵画であり、物語りであるかもしれない。たったひとつの笑顔かも。傷ついた者への手当てかも知れないし、思いやりひとつのある無しで
人が死ぬかもしれない。死ぬほどうれしくなったり、実際に命を落とすのだ。
そういうものだとあたしは思うんだ。
インターネットで知り合ったウクライナの友が居ます。ことあるごとに彼女のSNSを覗いては祈っています。
あたしが彼女から感じ取っているのは、バネのようなしなやかさと強さです。戦火の渦中にいる人があたしよりも闘志を燃やすのは、戦わなければ死ぬからです。
綺麗事じゃなく、戦争は人の殺し合いですよ? 今更ながらだけど。
だから彼女、泣かないで立ち上がっているのです。
第二次世界大戦が終わった日である今日をおもう。
先日たまたまご高齢の方に、空襲から逃げ惑ったというお話を伺いました。その女性は四国の方で、8月15日が過ぎしばらくし、お母様に連れられて、広島で被爆した方のお見舞いに行かれたそうです。「かわいそうだった……」と、本当に……本当に辛そうに話されました。
その方は、一度も原爆資料館に足を踏み入れたことがない。なぜかというと
震えて……震え怖くて、とても原爆資料館に入れないんです。泣かれていました。
「あたし達が最後だから」と、第二次世界大戦を体感した人がもうご高齢である事を漏らしていらっしゃいました。
自分が誰かに優しくしたって、戦争はなくならないと思いますか。あたしは信じています。バカほど信じます。痛みを知ろうとするココロ。だれかを勇気づける思い遣り。繋げていけば100年後の未来は変わっているかもしれない。
自分が居なくなったらおしまい、そんな考え方をしていたら戦争はなくならないんじゃないかという気がするのです。
遠い先、宇宙人がやって来て地球が侵略されかけた時、世界中が手をとり合うためにも……って映画みたいな妄想ですが、力を合わせられるよう仲良くなれたら素敵じゃない!
パワーの無いひとなんて一人もいないと思います。夢見ることが出来るだけでも凄いです。活動家になって運動しなくたって、芸術表現をしなくたって、みんな闘っている。夢なんて見れなくたって素晴らしいです。
今自分に言っています。あたし弱虫なんです。
だけど、優しい気持ちを忘れたくないな。自分に打ち勝って強くなりたい。
伸びやかに、守れる人間になりたい!
今日は大切な日。366日ずっとが、大切な日だと想い出させてくれる。
わすれていることを忘れさせない日 沙華やや子 @shaka_yayako
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