オレはお前が嫌いだ

@MeiBen

オレはお前が嫌いだ

 夏の日、男がアスファルトの歩道を歩いている。隣にいた男が言った。

「おい、あれ見ろよ」

 男は隣の男が指さす方を見た。そこには大きな家があった。大きな門の奥に広い駐車スペースがあってそこにたくさんの車が並んでいた。どれもこれも背の低い流線型の車だ。黒、白、赤、青と複数のカラーが並んでいる。

 隣の男が言った。

「欲しいなぁ、あれ。なぁ?お前も欲しいだろ?」

 男は答えない。

「オレもあんな風に、高級車を何台も並べてみてえなぁ」

 男は何も答えない。

「お前も欲しいんだろ?車だけじゃねえ、家だって。あんなでかい家に住めるんなら住んでみてえだろ?」

 男は無視して歩き始めた。

 隣の男はちっと舌打ちをした。





 男は居酒屋にいた。会社の飲み会だった。男の同僚はみな上機嫌に酒を飲んで会話を楽しんでいた。でも男はそうではなかった。男は会話に入らず、相槌をうったり、愛想笑いを浮かべているばかりだった。

 隣の男が言った。

「おい、もっと飲めよ、もっと騒げよ」

 男はジョッキを手に取り、男に手本を示すように、威勢よくビールを一気に飲み干した。

 男はぷはぁっと息を吐いてから言う。

「お前みたいな奴がいると場が盛り下がるんだよ。こういう時は周りのやつらに合わせて酔っぱらって騒いどけばいいんだよ。簡単だろ?」

 男は答えない。

「とことんくだらねえ奴だな。同期も後輩もみんな、お前みたいにはなりたくねえって思ってるだろうぜ」

男はすっかりぬるくなったビールを一口だけ口に含む。そしてまた周りの様子を黙って眺めていた。



男は夜道を歩いていた。男が大きな公園の前を通りかかった時、脇腹を小突かれた。振り向くと隣の男が指をさしている。指さす方を見ると、若い女が歩いていた。露出の多い女だった。露出が多くてスタイルのいい女だった。女は公園の女子トイレに入っていった。

 隣の男が囁き声で言った。

「トイレの前で待ち伏せようぜ」

 男は続けて囁く。

「辺りには誰もいねえし、この時間は誰も通らねえ。知ってるだろ?監視カメラもないし、安全だ」

 男は答えない。

「騒がれるのが心配か?簡単だ。2、3発殴ってやればいい。なあ?簡単だろ?」

 男は何も答えない。

「なあ?人生楽しもうぜ」


 男は公園を過ぎ去った。




定例の開発会議。男の同僚が先月の開発進捗を報告する。先月になってようやく重大な問題が解決された。解決の方法としてはXXX。男は会議室の隅の席で発表を聞いていた。

「オレだって言えよ」

隣の男が言った。

「その問題を解決したのはオレだってよ。オレの成果だって言えよ」

 男は答えない。

「なんであいつが褒められてんだ?本当に賞賛されるべきはオレだろ?なんでオレじゃなくて、あいつが賞賛されてんだ?」


 同僚の発表が終わると、男は席を立って会議室を出た。




男は夜道を歩いていた。隣りに同世代の女がいた。大学の同窓会の帰り道だった。女は男の昔の恋人だった。駅までの道を、二人並んで歩いていた。男が女と会うのは5年ぶりだった。女は昔と変わらず奇麗なままだった。

「言えよ」

隣の男が言った。

「まだ好きだって、ずっと忘れられないって」

男は女の肩に手を回す。

「言えよ。分かるだろ?なんでわざわざ一緒に帰ろうなんて言ってきたんだ?分かるだろ?この女が待ち望んでるセリフをよ。言ってやれよ」


 二人は間もなく駅に着いた。男は反対方向の電車に乗ると言って女と別れた。




男の職場に新人が配属された。彼は若く、長身で、端正な顔立ちをしていた。性格もハツラツとしていて、すぐに同僚から気に入られた。男が彼の教育担当だった。

「むかつくよなぁ」

 隣の男が言った。

「目障りだよなぁ」

 隣の男が言った。

「仕事教えるのやめようぜ。でもやり過ぎはダメだ。上司にバレるからなぁ。うまく重要なとこだけ抜いて教えるんだ。そうすりゃ、あいつは失敗しまくりで評価を落とすぜ」

男は答えない。

「お前より優秀な奴が増えるほど、お前の評価は落ちるんだ。そんぐらいわかるだろ?」


 男はその日のグループミーティングで新人教育を分担することを提案し、彼の詳細な教育計画を作成した。




男は葬式の会場にいた。椅子に座りお経をきく。男の祖母が亡くなった。祖母の葬式だった。お経が終わり出棺に移る。男の親戚が口々に別れの言葉を祖母の亡骸に投げかける。男も祖母の顔を見る。でも男は何も言わなかった。

「おばあちゃん、おばあちゃん」

 隣の男が嗚咽を漏らして泣いていた。

「もう会えないんだね」

 男は涙を両手で拭う。

「悲しいよ、悲しいよ」

 男は泣く。

「寂しいよ、寂しいよ」

 男は泣く。


 棺桶を載せた車が出発するのを男は見送った。男は最後まで泣かなかった。



男は会社のビルの屋上にいた。夕暮れ時はとっくに過ぎていた。男はフェンスに寄りかかって街の夜景を眺めていた。男は街の光に見とれていた。

「なあ?」

隣の男が呼びかけた。

「何のために生きてんだ?お前さ」

 男は答えない。

「毎日、毎日、おままごとみてえなことばかりだ。くだらねえ、どうでもいいことしかしてねえ。お前、本当にこんなことがしたかったのか?」

 男は街の光を見つめ続ける。

今朝、電車の人身事故があった。誰かが死んだ。でも街は変わらない。何一つ変わらない。

「毎日、毎日、会社とアパートの往復だ。食って、寝て、起きて、出社して、ままごとやって、アパートに帰って、食って、寝る。お前はこんなことをやるために生まれてきたのか?こんなことを一生続けていくのか?」

 男は何も答えない。

「分かるぜ。逃げられないって思ってんだろ?転職する能力もない。なんせ無能だからな」

 男は答えない。

「就職が決まったとき親も喜んでたもんなぁ。毎月仕送りもしてる。お前が無職になっちゃあ、泣くだろうなぁ、困るだろおなぁ」

 男は何も答えない。

「いっそのこと、ここから飛び降りてみるっていうのはどうだ?」

 フェンスを握る男の手に力が入る。

「心配すんなよ。痛くなんかない。一瞬だ。一瞬で楽になれる。このまま生きて、何になるんだ?仮に何かが得られたとして、どうせ最後は死ぬんだ。死ぬときは何も持っていけやしない」

 男の背後から風が吹く。男の髪が風になびいた。

「なあ?お前はもう十分頑張ったろ?」


男は煙草を取り出し火をつけて、大きな煙を吐いた。



 男は喫茶店にいた。高校時代の先輩と話していた。たまたま道で偶然に出会った。男の先輩は男の近況をあれこれと聞いた。そして比較するように自分の近況を自慢げに話した。最年少の部長になった、結婚はしたが、他に複数の女がいて毎夜楽しんでいる。男の先輩は男に言った。

「お前は変わらねえなぁ。昔からそうだ。ずっと補欠だったもんなぁ」

 男の先輩は男に言った。

「まあ諦めろよ。負け組はずっと負け組だってことだ。身の丈にあった生き方をしろよ」

「オレは負け犬じゃねえ!

 隣の男が叫んだ。

「オレは!オレは!」

隣の男が叫んだ。

「オレは負け犬なんかじゃねえ!」

 隣の男が叫んだ。

 呆れたという口調で男は言った。

「何も言い返せねえのか。つくづくダメな奴だな、お前」

もういいわ、そう言って男の先輩は去った。




休日の昼、男はなんの目的もなく歩いていた。農道の端で老人が倒れているのを見つけた。狂ったみたいに暑い日だった。辺りには他に誰もいなかった。

「知らなかったんだよ」

隣の男が言った。

「気づかなかったんだよ」

 隣の男が言った。

「いや、この道を通らなかった。だから知りようがなかったんだよ」

隣の男が言った。

「だいたい、年寄りのくせにこんなクソ暑い日に動き回るからこうなるんだ。自己責任だろ?」

男は答えない。

「気にすんなよ。お前のせいじゃねえ」

 男は何も答えない。


 真夏の日差しが降り注ぐ。男の頬を汗が伝う。狂ったように蝉が鳴いている。


「おい、いいかげん」

「なあ」

 男が口を開いた。男は男の方を振り向いた。その瞬間に男と男の眼が合う。

「ずっと言いたかったことがあるんだ」

 優しい口調に聞こえた。少なくとも怒りは感じられなかった。

狂ったような日差しが降り注ぐ。狂ったように蝉が鳴く。

男は言った。


「オレはお前が嫌いだ」


男は歩みだす。男と男はすれ違う。すれ違いざま、肩と肩が少しだけ触れた。男は老人の方へ歩み寄っていく。


男は振り返り、遠ざかる男の背中を見る。どうしてか男の表情は微笑んで見えた。


終わり

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