虹の彼方に

如月六日

読み切り



「オギャー!」

 元気のいい産声が手術室に響き渡り、生の喜びを、人類共通である四四○Hzの周波数にのせて周囲に振りまいた。

「オギャー!!」

 更に一つ、元気な産声が続き、たちまちの内に泣き声の二重奏が始まる。

 手術室の窓ガラス越しに出産の様子を見ていた飛男(とびお)は、自らの血を引く生命の誕生に、不思議な感動を覚えていた。

 昔、飛男の両親が語って聞かせた「お前が生まれた時、人生の本当の喜びを知ったよ」という言葉の意味が、初めて自分自身の実感として湧いてくる。体が火照っているのは、数日前から続く体調不良のせいばかりではなかいだろう。

「あれが俺の、俺たちの子供か……」

 だが、そうした喜びの反面、飛男の脳裏をある悲しむべき予想がおおっていた。

飛男が窓ガラスの前に佇んでいると、汎用サポート・アンドロイドのラムダが細々とした処理を終えた後、二人の赤ん坊を抱いて飛男の前までやって来た。

「オメデトウゴザイマス、ますたー・とびー。女ノ子ト男ノ子、共ニ健康体デス」

 ラムダの腕の中の赤ん坊は、その名の通り体を紅潮させて、必死に自分の存在を主張している。その姿はとても弱々しく、それでいて生命力に溢れていた。

「そうか、よかった。……ところでラムダ、ソフィアは?」

「残念デスガ、ますたー・そふぃあハ、オ亡クナリニナリマシタ」

「……そうか」

 医療技術が高度に発展した二十三世紀においても、人類は遂に人工子宮を作り出す事ができずにいた。そうである以上、出産はあくまで昔ながらの方法によるしかなく、ソフィアの体力はそれに耐えられる程に十分ではなかったのだ。

 本来であれば、最新の医療技術や機械を使って、もっと母胎に負担を掛けない分娩を行えたはずだったが、既にその役を担うべき人間の医師は、宇宙の何処にもいないのだ。

 どんなに進んだ医療機械があっても、それを操る医師がいなくては、いかほどの役にも立たない。この状況での出産が、ソフィアの生命を脅かす危険があることは、十分予想された事だった。

 そして、そのことは誰より、ソフィア自身が良く知っていた。しかし、それでもソフィアは子どもを産む事を強く望んだ。

 ──大丈夫。私達の子よ、きっと運の強い子たちになるわ……

 本当であれば、せめて自分が隣にいてソフィアを励ますなり、子供をとりあげるなり出来れば良かったのだが、今の飛男には、それをすら出来ない事情があった。

 例え飛男が立ち会ったところで、ソフィアを救えたとは限らなかったが、ソフィアが命懸けで戦っていた瞬間に側に居てやれなかったという悔しさを、どうしてもこらえることが出来ない。

 飛男は自らの後継者を得る一方、生涯の伴侶を失ってしまった。一人を失い二人を得たのだから、差し引きで考えればプラスになるのだろうが、人の命の重さを簡単な算術で計れるほどには、飛男は冷徹な人間ではなかった。


「ますたー・とびー、オ子様ノ名前ヲ登録シマスガ、オ決マリデスカ?」

「……女の子は”夢”、男の子が”希望”、だ」

 それは飛男の故郷である島国に伝わる言葉だった。

 半年前、お腹の子どもが女と男の二卵性双生児であるとわかった時、ソフィアと二人、毎日のように頭をひねり回して考えた名前だ。飛男にとっても、自分が親になると言う事実を初めてて身近に感じた時だった。

 ──この子たちはね、私達の夢、人類の希望なのよ。

「ソフィア……」

 飛男の見守る中、ソフィアの亡骸が、安置室へと移送されていった。この後ソフィアの亡骸は滅菌処理を受け、冷凍保存されることになる。いずれ着くであろう新天地に、他の仲間たちと共に葬らるためという事もあるが、本当のところは、いざという時の食料を確保するためだという暗黙の了解があった。

 飛男は、自分や自分の子供たちがソフィアの肉体を食べる様子を想像し、軽く頭を振った。そのような状況にならない事を強く祈りながら。

 そして、亡骸の移送を見届けると、腰のホルスターから自動式の拳銃を取り出してマガジン内の残弾数を確認し、スライドを引いて初弾をチェンバー(薬室)に送り込んだ。

 彼の妻は、彼女にしか出来ない役目を、十分過ぎるほどに果たした。

 次は彼の番だった。



 こうしてこの日、宇宙の片隅で二人の男女が誕生した。

 或いは、地球人類最後の二人になるかもしれない赤ん坊が。



 * * * * *



 二十三世紀の足音が、すぐそこに聞こえようとしていた頃。そう遠くはない、未来の話。太陽系は死を宣告されていた。

 かつて、ただ一つの細胞から始まった生命を、四十億年近くにわたり育んできた星、母なる地球。その地球に生命をもたらした偉大なる太陽。

 誰もがその不滅性を信じて疑わなかった。

 いずれその活動源たる水素もヘリウムも燃やし尽くされ、恒星としての寿命を終えることは良く知られていたが、それは五十億年も未来の話だったのだから。


 ある時期から、彗星が多く見られるようになった。それも、天球のある特定方向から集中的にやって来るという、非常に珍しいケースだった。

 彗星の数が例年の倍程度の数を数えていた時には、人々はまだ、この雄大な天文ショーを楽しむ余裕があった。

 彗星は主に、地球の公転面のほぼ真北から飛来していたので、流星群ならぬ”北極星彗星群”という仮称を与えられ、世界中をにわか天文ファンに仕立て上げた。どの彗星も地球を擦ることさえなかったのが、そうした余裕を生んだともいえる。

 だが、科学者たちは違っていた。

 彼らは一抹の不安を抱えながら、天の極北にその目を向けた。

 パロマーを始めとする地上天文台、衛生軌道や月面に配置された様々な観測機器を、五年先まで詰まった観測スケジュールを変更して、半ば強引に使用したのである。

 彼らは議論した、「この時期、何故彗星が増えたのか?」と。彗星群の軌道を逆算すると、それらがオールト雲に起源を持つものであることは明らかだった。

 太陽から一○~一五万天文単位、つまり二光年強の距離に、その数一千億とも言われる小天体が、太陽系を球状に囲んでいる。これが「オールトの雲」と呼ばれるものだ。

 通常はオールト雲の中で安定した軌道を保っている雪や泥の小惑星が、何らかの外力によって軌道を乱された時、その一部が太陽の重力に引かれて落ちてくる事がある。

 そして、その構成物質が太陽の輻射により気化し、それらが太陽風によって太陽と反対方向にたなびくことになる。一般にこれが彗星の起源だと考えられている。

 だが、此れ程大規模な彗星群を発生させるには、余程大規模な質量を持つモノが、オールト雲のそばを通り、彗星たちの軌道を変化させたとしか考えられなかったのだ。彗星のやってきた方向に観測装置を向けると、それ程間もなく、科学者達の予想通りある大質量の物体を発見した。そこに発見されたのは、実に太陽の半分の質量を持った褐色矮星だった。輻射が非常に小さかったため、それまで発見されずに来たのだ。

 自分たちの予測がぴったり合ったと喜んだ後、その星の軌道を計算した科学者たちは戦慄した。褐色矮星の予想進路の先には、太陽がピッタリと鎮座していたのだ。

 これだけの大質量が側を通れば、いかに太陽とて無事で済むはずがない。太陽の側を掠めるだけでも、相当の影響が出るのは確実だ。ましてや、それが太陽を直撃したとなると…。

 その意味するところは、すなわち太陽系の消滅に他ならない。

 恒星同士の激突という、まさに数億年に一度という確率の出来事が、自分自身たちの身に降り掛かろうとしていたのだ。それを知ったとき、人類からこの天文ショーを楽しむ余裕は失われていた。


 褐色矮星を発見してからわずか数十年のうちに、太陽と褐色矮星の生み出す潮汐力は、太陽系諸惑星の軌道を大きく乱し、太陽自身さえも変形させていった。やがて地球を、有史以来人類の、或いは地球自身がかつて経験したことのない地殻変動や異常気象が襲うようになった。

 干ばつ、飢饉、大量の食料難民、そしてパニックによる暴動と戦争。世界人口の実に半数以上が飢えと他人の手によって死に、更に残りの半分が希望の見えない未来に絶望して、苦痛の中で安楽死を選択した。

 五十億年も先だと信じていた太陽系の終末が、さながら微速度撮影のように展開していく様子の前には、今までに世界中のどの宗教が予想した地獄絵図でさえ、子供のお絵かき程度の意味も持たなかった。

 無論、その間人類もただ手をこまねいていたわけではなかった。

 超国家的なプロジェクトを発足させ、その持てる総力を結集し、ついに五隻の恒星間宇宙船を建造した。世界中から選ばれた一○○○人の若い男女と燃料に食料、そして遠い地で地球の生命を再現するために、人間を含めた様々な動植物の冷凍受精卵、更に電子化した全生命の遺伝情報を詰め込んだ。

 一方脱出先として、地球の太陽と同じ主系列G型の恒星系の中から、エコスフィア(生態圏)に惑星を持つと思われる星系を選び出し、さらに様々な要件を検討して決定されたのがバーナード星系だった。

 バーナード星は、太陽からおよそ五.九光年の距離にある、比較的若い恒星だ。

 質量こそ太陽の一五%程度だが、二○世紀の終わりには木星程度の惑星の存在が確実視されており、机上のプランではあったが、無人探査船による「ダイダロス計画」の対象にもなっている。

 一G加速でほぼ三.五年、中間点で船の向きを百八十度変えて、同じく一Gで減速を三.五年続ける。順調にいけば地球時間で約七年、船内時間なら約四年でバーナード星系に到着する計算であった。

 この頃、人類はようやく木星の開発を始めたばかりであり、プロジェクトの実現は困難を極めた。

 ただ、このプロジェクトの描く壮大なテーマは、さながら地球各地に伝わる創世神話のようであり、そのせいか、このプロジェクトに携わった人々の中には、一種の宗教的な情熱と使命感を持った者も見られ、そうした人々が文字通り必死の努力を続けた結果、何とか実現の運びとなったのである。

 だが、ただ一つ、そして決定的な点がそれらの神話と違っていた。

 この旅の祝福を約束する神々など、宇宙の何処にもいなかったのである。


 こうして完成された五隻の船は、その時生き残った全ての人類の夢と希望をのせて新天地へと送り出された。

既に船の現在位置は、航路の半分を越えており、船内時間で後二年ほど減速をすれば、バーナード星系に辿り着く所まで来ていたそんなある日、一本の凶報が五隻の船の中を駆けめぐった。

 それまでかろうじてその姿を確認されていた太陽が、突然消滅したのだ。

 これが悲劇の始まりだった。

 ここまでは、予想以上に順調な旅だったこともあり、船員たちは平静を保っていることが出来た。もともと前向きな人生観を持つ人間が選ばれていたこともあったし、何より人類の未来を文字通り担っているという自負が彼らを支えていた。

 だが、故郷が消滅し、自分たちが宇宙に孤立したと確信したとき、精神のたがが外れたのだ。密閉された空間で、狂気が伝染するのは余りにもたやすかった。

 絶望した一部の乗員たちによる暴動が発生し、それはすぐさま他の船にも広まった。

 船を方向転換して故郷へ戻ろうとした者、武力でもって独裁者になろうとした者、そして、全てに絶望し他人を道連れに死を望んだ者。

 こうして瞬く間に五隻の宇宙船のうち、四隻が宇宙の塵となった。


 飛男の乗った船は、船長以下の奮闘で何とか暴動を、ほぼ鎮圧したものの、不運にもちょうどその時に出所不明のウィルスが蔓延してしまい、対抗策を講じる間もなく殆どの乗員が死に絶えてしまった。

 まさに踏んだり蹴ったりの状況になってしまったのだ。

このウィルスはインフルエンザ・ウィルスによく似て、空気感染であっという間に感染者を増やした。激しい発熱、咳、嘔吐、内蔵の出血、全身を襲う疼痛に対して、地球から持ってきたあらゆるワクチンは効かず、たった一○日間で生き残った二○○人のうち百九十七人の人間が衰弱死した。

 たまたま出産のため密閉式の無菌室に入っていたソフィアだけが、感染を免れたのである。今、ラムダに血液検査をさせているが、飛男もこのウィルスに感染しているのはまず間違いない。このためにソフィアの出産に寄り添うことが出来なかったのだ。

 だから、せめて、ソフィアと自分の子供達の未来を奪おうとする者の企てを止めなければならない。



 * * * * *



 飛男は「敵」──ただ一人残った暴徒──を、船の発電プラントのある区画に追い詰めていた。

 幸い、トロイダル型核融合プラズマ・エンジンは完全にラムダの支配下にあり、これを暴走させようとする計画は未然に防ぐことが出来た。

「マイケル! もうやめにしよう。これ以上殺し合ってどうする?! 何の意味あるっていうんだ?!」

 その声に対する答えは、一発の銃声だった。パン! と、二二口径特有の軽い炸裂音だったが、狭い密閉空間のため、頭の芯からしびれるような衝撃波が襲ってくる。

 飛男はとっさに頭を下げ、反射的に片膝立ちの姿勢をとって脇を絞ると、銃弾の飛んできた方向へ向けて引き金を絞った。

 タン! タン! タン!

 三連バーストによる軽い反動の連続が右手を跳ね上げ、顔の前に差し出した左の掌に飛んできた焼けたオイルが飛男の肌を焼く。

 第二射の構えをとりつつ前方へ歩を進めると、苦痛を訴える声と共に発電プラントの陰から、一人の男がまろび出てきた。

「…ちっ! しまった!」

 日頃の訓練の成果で、反射的に標的──マイケルの体幹部──を撃ち抜いてしまい、思わず舌打ちが出る。

「おい、マイケル。しっかりしろ」

 壁にもたれ掛かってズズルっと倒れ込むマイケルに慌てて駆け寄り、力を失った体を支えてやる。見たところ重要な臓器を傷つけている様子はなく、出血も少ない。これなら、直ぐに手当てをすれば、十中八九助けられるだろう。

「…は、は、ようトビー? えらく顔色が悪いじゃないか? えっ、どうしたよ、お元気なお前さんも、ついにウィルスにやられたか? まったく、人間て奴はよ…」

 言葉の端端からにじみ出る悪意に、飛男は嫌な予感を覚えた。

「……落ち着け、マイケル。もう少しすれば、ラムダがこの病気の解析を終わる。そうすれば、すぐに対策手段を講じるだろう。あと少しの辛抱なんだぞ? お前の傷だって、今直ぐ手当てすれば……」

「やめてくれ、俺は、もう、生きていたくないんだ。放っておいてくれ」

 そう言って自分を支える手を振り離そうとするが、飛男は手を離さず、逆にマイケルの体を自分の方へ向けさせた。

「なあ、マイケル聞いてくれ。妻が…ソフィアが死んだ」

「……」

「だが、子供を残してくれた。女の子と男の子だ。この子達がいれば、人類はまだやり直しが出来る。でもそのためには一人でも多くの助けが必要何だ。暴動や病気は不幸な事故だったが…」

「事故? へっ、へへっ、相変わらずおめでたい奴だよな。よお、このウィルスが本当に事故だと思ってたのか? 厳重な疫学的チェックを受けたこの船に、未知のウィルスが発生する…なあ、本当におかしいとは思わなかったのか?」

「…どういう、事だ?」

「事故なんかじゃねえ…。狂った誰かが開けちまったんだよ、どっかのくそ野郎共が大事に大事に隠して持ち込んだ生物兵器をなあ!!」

「な───んだと!?」

 マイケルは、飛男が驚きの余り体を硬直させた時を見計らって、左手を口元へ運ぶと、飛男が止める間もなく何かを嚥下した。

「おい! 何をのんだ?! 吐き出せ、吐き出すんだ!」

「なあ、トビー、俺たちは親友だろ? 早く来てくれよ、あの世とやらで待ってるからな。怖いんだよ…寂しいのは…寂しいのは嫌いなんだよぉ!!」」

「マイケル!?」

 次の瞬間、マイケルは全身を痙攣させ、絶命した。瞬時に溶ける即効性の毒物を使ったのは明白だった。

「馬鹿な……」

 飛男はマイケルの凄まじい形相に身を震わせたが、それが全身を襲う熱のせいではない、と言い切る自信はなかった。マイケルの目を閉じさせ、その体をそっと横たえた後、かすかに震える口元から思わず呟きがもれた。

「……ソフィア、人類は、これからどうなるんだ? …俺は一体、どうすればいいいんだ?…」

 その問いに答えるものは、勿論ここにはいない。ただ核融合発電機のタービンがた

てる低い唸りだけが、飛男の体を包んでいた。



 最期の悲劇の始まりだった。




「ますたー・とびーノ血液ヨリ、抗原反応ガ検出サレマシタ。高イ確率デ先ニ死者ヲ出シタうぃるすト同一ノモノト思ワレマスガ、詳細ハ不明デス。対微生物まにゅあるニ従イ、うぃるす本体ノ抽出・解析ニ二週間、わくちんノ開発マデヲ更ニ二週間デ行ウモノトシマス」

「ラムダ、お前のメモリーバンクには、このウィルスに関する情報は残っていないのか?」

「検索中。……アリマセン。タダシ、管理者用えりあニ私ノ権限デハ入レナイ領域ガ確認サレマシタ。ソコニ関連情報ガアル可能性ハアリマス」

「中を開け、至急だ!」

「ますたー・とびーノIDニハソノ権限ガアリマセン」

「船長も司令官も既に亡くなっている。まだ正式には手続きをしていないが、現在の最高責任者は俺に引き継がれているはずだ」

「照合……確認。ますたー・とびーヲ本船及ビ本ぷろじぇくとノ最高責任者ト認メマス。ゴ指示ニ従イマス」

 極秘メモリから引き出され、スクリーンに現れたデータは、某大国の生物兵器に関する資料だった。

「……なんてこった……」

 某大国では将来、人類の復活が成った時に自国の覇権を取り戻す軍事力として、数種の生物兵器を載せていたらしく、危険なので慎重に使うように、という今となっては冗談としか思えない但し書きまでついていた。

「何処の馬鹿だ!! 地球の生命を繋ぐための宇宙船に、生物兵器を載せてただと?! 最後の最後まで人類って奴は……くそっっっ!!」

 ひとしきりコンソールを殴りつけた飛男は、息を整えて気を静めると、現状の打開策を検討し始めた。既に死んだ人間を恨んだ所で何も始まらないのだ。

「……ラムダ、この情報を基にワクチンをつくれ。最優先事項だ」

「了解。わくちんノ生成マデニ二週間程カカリマスガ宜シイデスカ?」

「構わないよ。せめてこの子たちだけでも、発病の危険から遠ざけないといけないからな」

 既に他の乗組員たちはいなくなり、そしてソフィアが死んだ今となっては、生きている成人は飛男だけだ。だが、飛男にしたところで既に初期症状を呈している。体温が上がり、咳が出るようになってきた。

 これまでの例を見ても、後五日と持たない筈だ。実際に活動できるだけの体力を保持できるのは、もって二、三日というところだろう。だからこそ、その前に、やっておくべき事はいくらでもある。

 宇宙船やコンピュータの運用法・各種マニュアルの見直しと整備。

 双子を教育するためのプログラムの作成。

 更に様々なチェック・プログラムを走らせ、故障の有無を確認する。

 自己修復機能を凌駕する故障があれば、今のうちに直しておかなければならない。

 もともと少人数でも操作できるように、ほとんどの作業が自動化されていて、今までも人の手が直接入ったことはほとんどない。理論上は、人工知能であるラムダだけでも目的地である星系に辿り着き、所定の作業を行えるはずだ。

 だが、自分が死んでしまえば、この子たちの面倒を見るのはラムダだけになる。

 ラムダは優秀な人工知能ではあるが、所詮は人間の与えた指示以上の行動をしてはくれない。不測の事態に対する対処能力は無いに等しいのだ。それらを全て検討して、対策をラムダへ指示しておかねばらならない。

(そうだ。それだけじゃない、伝えておかなければならない事もたくさんある。この旅の目的。そして地球と人類の歴史。愚かしくも神々しい、人類の生きざま。そうした事柄を伝えるための準備も必要だ)

 そうやって考えをまとめ上げると、早速準備にとりかかった。


 飛男はガラス越しにラムダを自分の前に立たせると、ガラスに薄く映る自分を見て、軽く身だしなみを整えた。子供たちにみっともない格好を見せたくはなかったからだ。

 ラムダのカメラ・アイに映った映像は、船の記憶装置に蓄えられている。ラムダのボディーはあくまで端末の一つにすぎない。本体は船のメイン・コンピュータそのものなのである。

 将来子供たちが言葉を理解できるようになってこのメッセージを見た時、弱々しい父親の姿が映っているようなことにはしたくない。子供たちには強い父親と優しい母親が必要であると飛男は信じていたし、ソフィアは立派に母親の役目を果たしてくれた。決して弱音を見せなかった。

 だから、自分も強がっていようと思う。発熱で体中の関節や筋肉が悲鳴を発し、悪寒が内臓を震わそうと、死ぬ直前まで力強くあろう。自分の、人間の生きざまを子供たちに教えよう。それが自分に与えられた最後の使命だ、と飛男は強く思った。

「これより子供たちへのメッセージを記録する。

 ……お早う、それとも今晩は、かな、子供たち。私の名は飛男。飛男・アマフネ、君たちの父親だ。この記録を君たちが見ている時は、既に私はこの世にいないだろう。

 君たちの母親であり、私の最愛の妻であるソフィアも、君たちを産んで直ぐに亡くなった。だが、私達の死を悲しむ必要はない。彼女、ソフィアは自らの命と引き換えに、君たちに生を与えることが出来たからだ。

 私も残されたこの命を君たちのために使おうと思う。これから私が生きていられるだろう数日の間に、出来うる限り君たちが生きていくための環境を整えておく。

 こうした記録も残しておこう。

 だが、それでも予測しない事態が起こる可能性は否定できない。その時は君たち自身の知恵と努力でもって、それらの困難を乗り越えなければならない。

 忘れないでほしい。

 君たちは人類の夢、最後の希望なのだと言うことを。辛いだろうが、その責任は重大だ。君たちは全人類の代表……いや、地球に生まれた生命の唯一の証、その系譜を継ぐものなのだ。

 全ては君たちに掛かっている。くれぐれも頑張ってほしい」

(そう、これは賭けだ。人類の存亡を賭けた壮大で悲壮な賭けだ。それにしても、何と掛け率の悪いことか!

 この先再び事故もなく目的地に辿り着く可能性は?

 この子たちが無事成人し、子孫を増やせる可能性は?

 本当にラムダだけで子供たちを教育できるのか?

 今回のウィルスだって、完全にこの船から殲滅するのは不可能だ。これだけの規模の船になれば、鼠や虫の潜入を防ぐ術はない。彼らの体内に潜んだウィルスの中から、近い将来に今のワクチンが効かない変異型が発生する可能性だってある。

 いや、そもそも目的地たる恒星系に惑星が存在したとして、それが人類を受け入れてくれる可能性は?! どれもこれもがマイナスの要素のほうが強いではないか!!)

 しかし、この賭けには負けも再戦も許されない。勝つためには、あらゆる手を使わねばならないのだ。

 一気に喋り終わり、ほっと息をついてラムダに記録を終えるよう命じると、続いて他の仕事に関する中間報告をさせた。飛男に残された時間は残り少ない。今は一分一秒の時間さえ惜しかった。


 二日後、予想していた以上の速度で飛男の体力は急激な下降線を辿り続け、もはや立って歩くこさえ困難になってしまった。無菌室の窓の脇にベッドと、延命用の簡単な医療器具を持ち込んでいるが、自分の余命がそう幾ばくも残されていない事を、飛男は比較的冷静に自覚していた。

 そして、ベッドにぐったりと横たわりながらも、熱で途切れがちな意識の中で自問自答を繰り返していた。

(何か、あと何か伝え忘れた事はないか? 必要なものは全て揃えたか? 想定しうるあらゆる事態に対応できるか?

 これが最後だ。

 もう後がないんだ。

 ああ、時間が欲しい。

 もっと時間があれば、少しはましな措置をしておけるのに! この子たちが死んでしまえば、そこで人類の歴史は絶えてしまう。それだけは、絶対に避けなければ…)

 混濁する意識を何とか奮い起こしていると、ふと、壁のスクリーンに映る船外の景色が目に入った。そう言えば、この何日かは、暴動、病気、双子の出産、ソフィアの死と色々なことが重なり、外を見る余裕など無かった。

 船の進行方向、重力の感覚からは足元の方に見事なスター・ボウ(星の虹)が広がっている。天空の星はそのほとんどが前方に移動して見え、後方、つまり感覚的に上の方には、星明かりのない暗黒が広がっている。

 光速の九○%に達する相対速度が生み出した、光行差とドップラー効果による、夢のような光景だった。進路の真正面には青白く輝く星星があり、その周囲のある星の色は外側になるにしたがって、青色から黄色、そして赤色へと変移している。

 ソフィアが元気だった頃、展望室で飛男と二人して外の景色を眺め、こう言ったことがある。

『ねえ、飛男知ってる? 昔話ではね、虹の足元には宝物が埋まってる事になってるのよ。この星の虹の向こうには、私達の宝物があるかしら?』

 続いて出産の直前、麻酔が利き始める前に、無菌室の窓越しに交わした最期の会話が思い出される。

『愛してる、飛男。こんな形になっちゃったけど、私、あなたにあえて幸せだった。この子たちにも、いつかそんな幸せを感じさせてあげたい…』

『おい、これでお別れみたいな言い方するなよ。大丈夫だ、絶対大丈夫だから』

『うん。私、ちゃんとこの子達を産んで見せる。だから、あなたはあなたの役目を果たして。この子たちを、無事に新しい世界へ連れていって』

『ああ、勿論さ。でもね、ソフィア。連れていくのは俺じゃない。俺たちだ。俺たちは新しい世界で、第二のアダムとイブとして歴史に名を残すんだ。元気な君を連れいくよ。絶対だ』

 ソフィアは顔を歪めると、弱々しくほほ笑んで見せた。

『……そう、ね。そうよね。ねえ、約束しましょう、飛男。私たち、親子四人で幸せになるの。絶対よ。天国のみんなが祝福してくれるくらい、みんなの分まで、宇宙で一番幸せに……幸せに……』

『そうだ。俺たちは、幸せになるために生まれてきたんだ。絶対に不幸にはならない。最後の最後で笑ってやるさ』

 だが、今やソフィアは亡くなり、自分も後どれくらい生きていられるか分からない。

 死ぬのは怖いが、ある程度の覚悟は出来ているつもりだった。それ以上に飛男が恐れたのは、ソフィアとの約束を守りきれずに死んでいく事だ。

(ソフィア、ごめん、ごめんよ。俺は君との約束を守れなかった……)

「…ラムダ、…ラムダ」

「ハイ、ますたー・とびー」

「…もう、もちそうもない。最後に、あ、あの、子達の顔を見せて、くれ」

 ラムダは保育器で眠る子供たちをそっと抱きかかえると、飛男の前に連れてきた。二人の赤ん坊はぐっすりと眠り、そのまま起きる気配はない。ラムダのカメラ・アイが無機的に飛男を見据えているだけで、遂に双子が父親の顔を見る事は無いだろう。

「映像ヲ記録シマスカ?」

「…いや、いい。こんな、姿を、見せたく、ない。音声も、カット、してくれ…」

「了解」

 静かに眠る双子に手を伸ばすが、その指先は強化ガラスに冷たく弾かれた。

「…お前たちに、触る、ことも、できない」

 飛男は震える手を窓ガラスに当てると、ガラスに体重を預けながら立ち上がった。顔を近付け、子供たちの顔をのぞき込むと、まだ人間と言うよりは類人猿に近い顔が見える。その顔を脳裏に焼き付けるようにじっと見つめ続けるが、次第に目の焦点もあわなく成りだし、仕方なく目を閉じた。

 ついに、一度も触れる事の出来なかった我が子。

(俺は、お前たちと同じ世界を生きる事が出来ない。お前たちを導いてやる事も出来ない。これから、お前たちはたった二人きりで生きていかなければならないんだ。だけど強く生きてくれ。お前たちは、人類の、地球生命のたった二人の後継者なんだから……。ああ、頭がボーっとする。ソフィア、もうすぐ君の側に行くよ……)

 その時、どこからともなく、ソフィアの声が聞こえてきたような気がした。

『……約束しましょう、飛男。私たち、親子四人で幸せになるの。絶対よ。天国のみんなが祝福してくれるくらい、みんなの分まで、宇宙で一番幸せに……幸せに……』

 がくん! という衝撃と共に飛男は現実に引き戻された。どうやら窓ガラスに寄り掛かったまま、気を失っていたらしい。飛男はその一瞬の浅い眠りの中で、ソフィアの夢を見ていたのだろう。

(…ああ、忘れていた! なんて事だ。大事なことを伝えていなかった!)

 それは人類の歴史の中で、親となったものが、最初に次の世代に望むこと。文明の発展を望むのではなく、領土の拡大を命じるのでもない、けれど強い強い想い。

 新しい生命が、何よりもまず、親から伝えられなければならない言葉。

(ああ、そうだ、人類なんか、くそ喰らえだ。地球生命の歴史なぞ、どうでもいい。伝えなければ、俺がお前達に望むのは、本当に望みたいのは……)

 だが、再び意識が混濁し始め、その思いは言葉にはならなかった。窓ガラスに触れていた手が落ち、体が窓ガラスにぶつかるが、体勢を立て直すこともできない。飛男には、自分自身を支える力さえ残っていないのだ。

「あ、ラ…き…ろく、ラム…」

 何とか絞り出したその声は、もはやラムダのセンサーでも拾えないほど、か細いものになっていた。

(ああ、伝えたい! もう少しだけ、後一言だけでいい、力を、命を…!)

「…二人とも、どう、か……どう…か…・・し…あ……」

 だが、飛男の口が再び言葉を紡ぐことは、二度と無かった。


 生きてくれ、俺の子供たち


  忘れないでくれ


         俺を忘れないでくれ


              ソフィアを忘れないでくれ


   俺たちは、こんなにもお前たちを愛してる


                    そのことを覚えていてくれ



        …そして、そして…ああ、そして…



       そして、どうか幸せに、俺た…ちの ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・











   ピ―――――――――――――――――――――――――――――ッ…………










 一際高い電子音と共に、心電図や脳波図の波形がフラットになった。

 ラムダは双子を保育器にそっと戻すと、外部の端末を操作し、心臓マッサージなどの所定のプログラムを実行して、五分後に飛男の死亡を確認した。

 そして飛男の亡骸はソフィアの時と同様、滅菌処分を受け資源リサイクルシステムに乗せられて行き、ラムダは亡骸の処理を確認すると、何事もなかったかの様に、再び双子の世話に戻っていった。

 この双子の未来がどのようなものになるか、それを知る者は宇宙の何処にもいない。


 西暦二三世紀、そう遠くはない未来。

 星の虹が輝く宇宙空間を、一隻の船が疾走して行く。

 夢と希望を乗せて。



 * * * * *



 これより数千年の後、天の川銀河オリオン腕一帯に、多数の恒星間国家を擁する巨大な文明圏が誕生する。

 この文明は後世、二人の始祖の名に由来する”夢と希望”文明と言う呼称をつけられる事になるのだが、それはまだ、遥か遠い未来の話である。



<了>


―――――――――――――――――――――――――

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