空蝉
広井すに
空蝉
「七海、外でも英単語帳開いてんの?」
「だって来年の今頃はもう受験に向けて模試三昧だから」
「えー、まだ良くない?」
「塾の先生が今から勝負が始まってるって言ってるし。なんなら、もう1年の時から準備しとかないとダメって」
「へーへー、優等生サマは大変でござんすね〜」
夏休みだった。
快晴。これほどない快晴。
公園のベンチ。
砂場では子供が遊んでいるくらいで周りに人はあまりいないみたいだ。
日陰とはいえ、暑すぎる。
汗がじわあっと皮膚から出てきたかと思ったら、次の瞬間流れ落ちる。
全身がこれで、制服の背中側は汗がびちゃびちゃ。
最近の日本はおかしい。
33度って……。そんな気温アリかよ。
日本っていつから灼熱地帯になったんだろう。
隣のアホ女子高生は、あちーあちーと言いながら、コンビニで買ったラムネ味のアイスキャンディーを齧っている。
暑いなら外に出なきゃいいのに……。
あ、私もか。
小学生や大学生なら華の夏休みだ、イエーイ!って世間では浮かれ気分になっているのだろうが、有名大学に入学したい私みたいなのはそうはいってらんない。
夏休みの塾の夏期講習、模試の準備とか……勉強しないといけないことがある。
……まあ隣のアホは呑気そうだけど。
聞いたら毎日どっか遊びに行ってるか、ぐーすか家で寝てるか、短期バイトしてるか、こうやって急にLINEで呼び出して、私の塾が始まる前の昼12時にテキトーな話をしてだべってるか、のどれからしい。
……このアホに付き合ってる私も私だけど。
隣のアホ女子高生……いや、サキとは高校1年の時からずっと腐れ縁。
私はどちらかというと内向的で友達もあまりいない。
サキは外交的。
その上、メイクも髪型もばっちりでおしゃれ。
ピアスは毎日違う形でかわいい。
校則違反スレスレの赤茶の髪色は、よく似合う。
欠点はいつも赤点ギリギリで私に泣きつく。
宿題と提出物も期限ギリギリ。
でも私は、サキが友達が多くて、明るくて、誰とでも仲良くなれるところはひっそり憧れている。
……最後のは内緒。
なんで私とサキが仲良くなったのか今となっては覚えていない。
気づいたらつるんでいた。
「サキはさ、大学どうすんの?」
「七海もママみたいなこと言うね。どーするかって……?あんまあたし頭良くないから、まあテキトーに大学探すよ。それか就職」
「あんたねえ……」
私は呆れて言葉を返す。
「七海は?」
「東京の◯◯大学」
「かーっ!やっぱ志高えわ!高学歴のバリキャリになったら金持ちになれんじゃん!あたしを養ってくんない?」
「誰が養うかって」
「えー、あたしと結婚して養ってよー!」
「やだ」
「ケチ!」
ケチで結構。
私は単語帳を再び読む。
二人の間に少しの沈黙が走る。
蝉がミ゛ーンミ゛ミ゛ミ゛ーンと鳴く。
1匹だけではない。蝉の大合唱。
サキが足元の小石を蹴って一人遊びを始める。
私はそれを、単語帳を読むふりをしてぼうっと眺めた。
「……七海はさ、もし大学受かって東京行ったら、あたしと気軽に会えなくなるね」
「そりゃね。でも夏休みかお正月は帰ってくるよ。LINEもあるじゃん」
「……うん」
蝉の鳴き声は、私たちの話し声を掻き消す勢いで大きくなっていた。
サキはさっきまでの元気が途端にないようだった。
また、サキとの間に沈黙が走る。
ふと、隣を見るとサキと目が合った。
いつになく真剣な目。
いつもはデカ目に見せたいの!とかなんとか言って薄茶色のカラコンを入れているけど、今日は裸眼だった。
黒に限りなく近い、焦茶色の瞳が近づいてくる──。
私の口の中が、ラムネ味になった。
ほんの、一瞬。
──ミ゛ーン……ミ゛ーン……。
こめかみに流れ落ちる汗の雫。
大きかった蝉の鳴き声が、いつの間にか小さくなっていた。
空は青いままだ。
サキの食べたアイスキャンディーも……あんな感じなのだろうか。
〈終〉
空蝉 広井すに @hiroisuni2
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