ボーイ・ミーツ・ガール

如月六日

読み切り



 周囲は少しずつ暗くなりはじめた。

 広場では、大人たちが祭りの篝火を用意している。

 忙しそうに働いている大人たちも、村の外れでそれを見守っている小さい子供たちも、みんな、これから始まるだろう楽しい時間への期待に目を輝かせていた。

 そう、今日は待ちに待った、隣村との合同村祭りなのだ。

 僕たちの村と隣の村はそうしょっちゅう往き来があるわけではないけれども、割りと仲が良く、何時も今頃の暑い時季になると一緒になって祭りを開いている。僕たちの村の方が人数がちょっと多く力も強いので、気を遣ってか、隣村の方がこちらに来るのが習慣になっていた。

 よそでは喧嘩ばかりしている村もあるそうだから、隣の村と仲良くするのは、とても良いことだと思う。それに、隣村と仲が良いのは僕にとっても嬉しい事だった。いつもはあまり落ち着きの無い僕も、今日だけは期待に胸を高鳴らせてながらも、大人しく黙々と仕事をしている。

 別に祭りで出される料理や酒が嬉しいわけじゃない(いや、それはそれで楽しみ何だけど)が、何しろ今日は隣村のあの子に会えるのだ!

 僕は大人たちに混じって祭りの手伝いをしながら、心は既にあの子の元へと飛ばしていた。


 すっかり日が暮れる直前、村の入り口に、隣村の村人たちがやってきたのが見えた。

 僕は手を休め、あの子を探した。しかし、あの子の姿が見えない。


 ───もしかして今年は来ないのかな?


 そんな嫌な考えが一瞬頭をよぎる。僕は焦りながら、首をきょろきょろと振り回す。そして、隣村の大人たちの間を覗き込んだ時。

 居た! あの子だ!

 大人たちの陰になって見えなかっただけだった。

 僕はほっと息をつき、再び手を動かし出す。だが勿論、目はあの子を追ったままだった。僕は大人に言われたとおりに作業をしながら、こっそりあの子に目をやり、ふと自分と見比べてみた。

 あの子のスラリとした長い脚と、僕の短いがに股の足。これでも村では長いほうだと思うんだけど……。夜目にも鮮やかなあの子の白い肌と、僕のちょっと毛深い肌。あの子のつややかな長い髪と、僕の余り手入れしてないぼさぼさの髪。

 男とか女とかいう以上に、違う生き物だと思えるくらいに違う。実際、僕の村とあの子の村では、民族が違うとかで、村の者の見掛けにかなり差異があった。だから、僕の村の中には、隣村の人たちの色の白さを指して「生っちろくて、ひょろ長い奴等」と陰で馬鹿にする奴等もいる。

 でも僕はそう思わない。彼女は綺麗だ。間違いなく綺麗だ。僕が今まであった、どんな女の子よりも綺麗だと思う。

 僕の村の村長が、隣村の村長を労うために出てきた。僕も指示されたとおり、隣村の大人たちにお酒を配って歩く。そしてさり気なく、あの子に関する話を聞いてみた。

 何でも、あの子は隣村の村長の一人娘で、年も僕より少し上だそうだ。隣村でも人気者で、あの子を狙う男の子は多いらしい。

 ちょっと不安になる。

 それに較べて、僕は村でもどちらかと言うと貧しい家の子だし、頭も良くない。すぐ喧嘩をしてしまう乱暴者で、僕を嫌っている子供も多い。だから、釣り合わないのは分かっている。でも、それでも、僕はあの子に夢中だった。


 あの子と初めてあったのは、やはりこの前の合同村祭りの時だった。

 その日、僕は村のがき大将たちとちょとした喧嘩をしでかした。なに、理由は大したことじゃないんだ。がき大将がちょっとした冗談を言ったのを僕が聞きとめて、面白いのつまらないのと言ったことから殴り合いになってしまったんだ。

 子供の世界では良くある話だよね。

 結局、僕は多勢に無勢で負けちゃったんだ。僕はそれまで、滅多に泣いたことが無かったし、この時も絶対に涙を見せなかった。それでまた生意気だと殴られた。でも、いくら相手が大勢だからって、喧嘩に負けたのはやはり悔しかった。

 僕が痛む頬を押さえながら家に帰ろうとしていた時、隣村から来ていたあの子に出会ったんだ。

 背の高い、色の白い子だった。僕はその時まで隣村の奴をまじまじと見ることがなかったから、余計にそう感じたのかも知れない。

 でも、不思議と変な奴とは思わなかったよ。

 あの子は僕が怪我をしているに気が付くと、そっと傷口を拭いてくれた。そして僕の頭に手を載せると、少し屈み込んで僕の顔をのぞき込み、優しく笑ってくれたんだ。

 僕はその時から、あの笑顔を見た時から、あの子に夢中になってしまった。

 でも、あの時は恥ずかしくてろくに話も出来なくて。そうこうするうちに祭りも終わっちゃって、あの子は自分の村に帰ってしまった。

 その後もあの子がこちらの村に来ることはなかったし、僕もあちらに行く用事はなかったから、結局会えずじまいだったんだ。

 僕は、あれからずっと後悔してた。もっとちゃんとお礼を言えば良かった。色々な話をすれば良かった、って。

 だから、今日こそは絶対にあの子に話しかけるんだ。

 僕たちの合同村祭りの夜は、みんなで輪になって踊ると言う習慣がある。そこでは篝火を中心に男と女で輪を作って、それこそ朝になるまで踊り明かすんだけど、その時好きあった男女がお互いの気持ちを確かめあう事があるんだ。

 僕はあの子に踊りを申し込むつもりだった。そして言うんだ。


 ──あの時はありがとう。どうか友達になってください、って。


 すっかり日が落ちた頃になって、踊りが始まった。

 隣の村の演奏家たちが奏でる音楽に合わせて、男女がそれぞれ相手を見繕って輪の中に入っていく。僕も慌ててあの子を探した。

 直ぐにあの子を見付け出すことが出来た。けれど、既に何人かの男があの子の周りにたむろしていた。でも、お互いが気になっているのか、なぜか踊りの相手を申し込む奴はいないみたいだ。

 良く見ると隣村の奴が殆どだったけど、中には僕の村の奴もいる。僕も急いであの子の側に近づいた。すると、男どもがあの子に声を掛けない理由が分かった。

 あの子は、そんな周りの男たちの様子には気づかずに、両親と話し込んでいたのだ。

 むむむ。

 確かに女の子の父親の前で、娘を踊りに誘うのは相当の勇気がいるぞ。ましてや、その父親が隣村の村長では、腰が引けるのも分かる。こうしてみんな、声を掛けようかどうしようか迷っていたんだ。

 僕も迷っていた。何となく家に帰りたくもなってくる。でも、必死の思いで挫けそうになる自分を叱り付ける。ここでまたあの子に話しかけなかったら、次の村祭りまで後悔して過ごさないといけない。

 そんなのは嫌だ。後悔ならもう嫌なるくらいにやった。これ以上あんな思いを抱きながら暮らすのは真っ平だ!

 僕はありったけの勇気を振り絞ると、話を続ける親子に向かって一歩踏み出し、あの子に話しかけた。


 ──あ、あの……。


 駄目だ。聞こえてない。まるで蚊の鳴き声のような声だったので、あの子たちには全然聞こえなかったようだ。

 もう一度、今度は大きく息を吸って、はっきりと口に出す。


 ──あ、あのお!


 ──なに?


 ようやく親子が僕に気づき、振りかえってくれた。あの子は僕の顔を見て、ちょっと考え込む。そして直ぐに、ああ、あの時の、と笑顔を見せてくれる。

 その笑顔を見て、今度こそ僕の中の臆病な自分に勝つ勇気を手に入れたんだ。


 ──あの。あのね。ぼ、ぼ、僕と、僕と踊ってくれないかい?


 どもりながらも、そう、はっきりと口にした。気のせいか、父親が僕を見る目が険しい。ああ、何か勇気が体から消えてしまいそうになってくる。


 ──僕、ずっと待ってたんだ。君とこうして会える機会を待ってたんだよ。お願いだよ、僕と一緒に踊ってほしい。


 あの子は最初びっくりしたように僕を見つめ、それから父親の顔を見上げ、直ぐにその白い顔を赤く染めて、困ったように下を向いてしまった。

 周りの奴等も最初びっくりした顔をしていたが、急にくすくす笑い出した。


 ──女の子を誘う勇気もない奴等が、笑うな!


 僕はそいつらをキッと睨み返してやったけど、奴等は余計に僕を小馬鹿にしたように鼻で笑い飛ばすだけだった。


 ──あの、あの、あたし、あの……


 そう言って、あの子は顔を上げて僕を見、再び俯いてしまった。


 ──君、すまないが娘は困っているようだから……。


 あの子の父親が、そう言って僕からあの子を庇うように前に出てくる。


 ──でも、僕は、あの……。


 ──君、勇気があるのは認めるが、相手の気持ちを認める余裕を持たないと、いい大人になれ無いぞ?


 父親がそう言った途端、周りの奴等が大声で笑い出した。中には涙を流して笑っている奴もいる。

 畜生、お前等。笑うな、笑うなよ!

 だが、奴等は益々可笑しそうに笑い声を張り上げる。

 そして、そしてあの子は母親の背中に隠れてしまっていた。

 僕はそれを見た時、自分の中で何かが崩れるのを感じた。

 恥ずかしい、恥ずかしい。

 僕はなんて思い上がっていたのだろう。あの子が優しいのは誰にだって同じ何だ。別に僕にだけ、特別な好意を持ってた訳じゃない。そんな事はわかっていたはずなのに。あの子の笑顔が僕だけのものだと、うぬぼれてしまっていた。

 僕はあの子の前から逃げ出した。後ろから男たちがドッと笑い出すのが、聞こえてくる。僕は明かりの届くところから、転がるようにして走り出た。


 少しして、村外れにある岩場まだやってきた。祭りの明かりが遠くに見える。みんなの笑い声も、ここまでは届かない。

 僕は岩を蹴りつけた。二度、三度蹴った。

 ……足が痛い。

 恥ずかしかった。みんなの前で恥をかいてしまったことが、恥ずかしかった。

 自分は何とみっともない事をしてしまったのか。別にわざわざあんな大勢の前で、誘う必要は無かったのに!

 でも。でも、そんなことより! ……あの子を困らせてしまった自分が、一番恥ずかしかったんだ。

 その時、カランと、石の音がした。

 気が付くと、あの子が僕の横に立っていた。

 何で、ここに?

 あの子の頬はまだ赤く、少し息が乱れているし、うっすらと汗をかいている。もしかすると走ってきたのだろうか? ……僕を追い掛けてきてくれたのだろうか?

 あの子は最初何か話しかけようとしたが、僕と目が合うとまた下を向いてしまった。しかし、再び顔をあげて、優しくほほ笑み、髪に飾っていた白い花をくれたんだ。それは、僕の知らない花だった。

 でも、その繊細な美しさが、あの子の美しさをより一層引き立てていたのは、そういった方面に疎い僕にだって分かった。


 ──これ、貰えないよ。だって、こんなに君に似合っているのに……。


 僕は喉からでかかった声を飲み込んだ。僕が花を返そうとした時、あの子の顔が悲しげに歪んだから。


 ──貰ってくれないの?


 あの子の瞳がそう訴えていた。

 僕は返し掛けた名も知らない花を、再び自分の方へ引き寄せた。


 ──ありがとう。大事にするよ。


 そう言って笑って見せた。

 するとあの子も、ニコリと嬉しそうに、本当に嬉しそうにほほ笑んで、僕の手を握ったんだ。僕は心臓がバクバク言うのを感じながら、信じられないような気持ちで、あの子と一緒にもう一度篝火に向かって歩き出した。


 それから僕たちは色々な話をした。

 あの子のこと、僕のこと。話したいことは一杯あったし、聞きたいことも沢山あった。あの子と一緒に居ると本当に楽しかった。あの子の笑顔を見ていると、僕も知らず知らずに笑顔を作っていた。

 僕は、いや、僕たちは、お互いを良く知り合うことが出来た。

 僕が心の底からの笑顔をあの子に見せると、あの子は僕が見たことの無いような素晴らしい笑顔で応えてくれた。僕は本当に幸せだった。あの子の父親の目が、ちょっと怖かったけど……。


 数日後、みんなと一緒に村に帰るあの子に、僕は一つの約束をした。


 ──今度は夏祭りの前に、僕が君の村にいくよ。君を、お嫁さんにしたいんだ。


 先走り過ぎたろうか。あの子の気持ちも確かめていないのに。でも、僕の気持ちはもう決まっていた。断られても良い、言わずに入られなかった。

 ……いや、やっぱり断られるのは嫌だ。もし断られたら、僕は死んじゃうよ! お願いだよ君、断らないで!

 まるで石のように固まった時間が、過ぎた。僕は、息をするのも忘れて、あの子の返事を待った。あの子は最初驚いた顔で暫くじっとしてたけど、次にはあのとびきりの、輝くような笑顔で答えてくれたんだ!


 ──ありがとう。待ってるわ。必ず迎えに来てね。


 そう言ったあの子の目には、光るものがあった。僕はそれを見て、本当に、心から幸せを感じていた。傍らではあの子の両親が、呆れたような、諦めたような顔で苦笑いをしていた。


 ──ああ、神様神様神様神様神様ありがとうございます!! 僕は、きっとこの辺の村の中でも一番の幸せ者です!!


 そして僕は、この幸せな時が、ずっと、ずっと続くものだって信じていたんだ。


 だけど、ある日。

 僕の耳に、信じられない話が届いた。

 隣村まで用事で出かけていた人が教えてくれたのだ。

 あの子が、あの子が突然病気で亡くなったて言うんだ!

 僕はその話を聞くと、親が止めるのも聞かずに走りだした。僕の村からあの子の村までは、大人でも徒歩で半日かかる。しかも、日は殆ど落ち、すでに暗闇が世界を支配し掛けていた頃だった。

 でも僕は気にしなかった。いや、そこまで気が回らなかった。

 途中、何度も転んだ。時季は既に夏も終わり掛けていたので、夜はかなり冷えた。いくら道があるとは言え、一つ間違えば、道を見失ったり、獣に襲われる事だって有り得たのだが、僕の頭にはあの子のことしかなかったのだ。

 そして次の日の昼には、僕はあの子の村に着いた。


 あの子はそこにいた。

 村長の家の中だった。まるで眠っているようだった。あの子の目は硬く閉じられその白い肌は、より一層白く感じられた。

 あの子の両親は、泥だらけになって現れた僕を見て、最初はかなり驚いていた。無理もないよね。でも、僕がここに来たわけを察したのだろう。僕の手をとると、あの子の前に連れていってくれた。

 僕はおずおずとあの子の手に触れてみた。冷たかった。あの時、夏祭りで握ったあの子の手も少し冷たかったが、それは柔らかさを伴った気持ちの良い冷たさだったはずだ。しかし、今のあの子の手は硬く、僕を、全てを拒む冷たさだった。

 死!

 死!!

 死?!

 これが死なのか?! 今までも村の年寄りが亡くなったのを見たことがあったが、あれはしょせん他人のことと思っていた。いづれ誰もが死を迎えると言うことを知ってはいたが、それがまさか自分の大事な人に襲いかかるなんて!!

 不思議に悲しみはなかった。代わりに違う感情が盛り上がってきた。

 怒りだった。

 僕から大事なものを、あの子の笑顔を奪った理不尽な何かに対する、堪え様の無い憤りが僕の体を突き抜けた。

 僕は辺りのものを殴りつけ、蹴りつけ、投げ倒した。

 なぜだ、なぜあの子が死ななきゃならなかったんだ?! あの子がどんな悪いことをした?! 死ななきゃならない理由があるのか?!

 誰だ、誰が僕からあの子を奪っていったんだ!!

 神様!! 何で貴方は彼あの子を連れていってしまったんですか?!

 畜生!

 畜生!

 畜生!!

 返せ! 返せよ! あの子を返してくれえ!!

 あの子の両親は、僕の興奮が覚めるまで間、ただじっと、僕を見つめていた。



 その日の夜。僕はあの子の葬儀に参列した。

 色の白い人たちの群れ。

 みんなあの子の突然の死を悲しんでいた。

 人々はそれぞれ、あの子の葬られた穴に供え物を入れていく。

 僕はあの子の為に花をえらんだ。

 あの日、あの子が僕にくれたのと同じ花だった。

 結局名も知らないままだったが、あの子の好きな花だったそうだ。白くて細い花弁がたくさん集まって出来た綺麗な花は、あの子にとても似合うように思えたから。

 それをあの子の髪に置いた時、突然、どうしようもない悲しみに襲われて、僕は思わず叫びだした。


 ──僕だよ、会いにきたよ! ねぇ、死んじゃやだよ! お願いだよ、目を開けておくれよ!! 待っててくれるって言ったじゃないか?!


 そして、いきなりあの子にすがって泣き出した僕を、あの子の両親は、そっと後ろから、何も言わず静かに抱いてくれたんだ。

 まるで僕が、自分たちの子供であるかのように、とても強く、とても優しく。

 何時だって、誰にだって優しかったあの子。

 僕を幸せにしてくれた笑顔。

 必ず迎えにいくよと言ったあの日の約束。

 全ては失われ、もう二度と戻らない。

 それを理解してしまった時、僕は生まれて初めて、心の底から泣いたんだ。



 *  *  *



 西暦一九世紀以降、ヨーロッパ地方の紀元前五万年から十万年前の地層で、旧人(ネアンデルタール人)と新人(クロマニヨン人)人の骨が多数発見されている。

 両者は生存した時代・地域が重なることから、共同生活を行っていた可能性があると考えられており、またその生活痕から、彼らの思考形態や喜怒哀楽の感情は現代人と殆ど変わらなかったと推測された。

 西暦一九五一年。

 イランのザグロス山脈のシャニダール洞穴の旧人居住跡で、死者と共に埋葬された花を発見した米国人類学者ラルフ・ソレッキは、この旧人たちを「世界で最初に花を愛した人々」と讃え、涙したと伝えられている。



 <了>


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