第13話 まだわからない、この感情。
秋の空は澄んで、キャンパスの銀杏並木が少しずつ色を変え始めていた。
授業を終えて、図書館へ向かう途中、見慣れた背中を見つける。
──佐伯くんだ。
以前なら、猫背でスマホを片手に、焦ったように歩いていたはずなのに。
今日は参考書を小脇に抱えて、足取りが落ち着いている。
声をかけると、少し照れたように笑い、「これから自習室」と答えた。
その笑顔は、高校時代の、あのまっすぐな目をした佐伯くんに近かった。
◇
あの夜、篠宮くんを呼んでしまったことは、私の中でずっと引っかかっていた。
けれど、あの出来事を境に、佐伯くんは少しずつ変わり始めた。
毎朝予備校に通い、昼はバイト、夜は自習室──
身体はきついはずなのに、愚痴を聞くことが減った。
「やらなきゃな」
そんな短い言葉に、以前はなかった覚悟の匂いが混じっている。
きっと、あの変化のきっかけを作ったのは篠宮くんだ。
私が言えなかったこと、ぶつけられなかった言葉を、彼は迷いなく佐伯くんにぶつけた。
それが、どれだけ勇気のいることかは、私が一番知っている。
昼下がりのカフェで、偶然篠宮くんと会ったとき、
コーヒーを飲みながら何気なく話してくれる横顔を見て、胸の奥が温かくなった。
「……ありがとう」
直接は言えない。だけど、心の中で何度も繰り返した。
佐伯くんが再び立ち上がろうとしている。
篠宮くんは何も言わず、でも確かに支えてくれている。
ふたりの背中を見ていると、少しだけ、未来に光が差し込む気がした。
──この日常を、失わずに続けたい。
そう思った瞬間、頬を撫でた秋風が、やけに優しく感じられた。
◇
夕方のカフェは空いていて、窓際の席には薄く陽が差し込んでいた。
篠宮くんと向かい合い、湯気の立つカップを手にしている。
佐伯くんのことを話すつもりはなかったのに、気づけば口からこぼれていた。
彼は静かに聞き、必要なときだけ短く言葉をくれる。
──不思議だ。こんなふうに、安心して弱音を吐ける相手は、今までいなかった。
ふと、窓の外から強い光が差し込んで、彼の横顔を縁取った。
長いまつ毛の影と、わずかに結んだ口元。
気がつけば、私は少しだけ前のめりになっていた。
テーブルの上、彼のカップに伸びた指と、自分の指先がふいに触れる。
ほんの一瞬なのに、胸の奥がくすぐられたように熱くなる。
彼は何事もなかったようにカップを持ち上げたが、私はその温度がまだ手に残っている気がした。
「……ありがとう」
そう口にしそうになり、慌ててコーヒーを口に運ぶ。
佐伯くんが変わるきっかけを作ってくれたことへの感謝だ。
私は、篠宮くんに感謝している
でも、あの夜から今日まで、自分が篠宮くんを特別に見てしまっていることを、どう表現していいかわからなかった。
◇
外は夜風が少し冷たくて、肩が小さくすくむ。
歩幅を合わせて隣を歩く彼の存在が、いつもより近く感じた。
手を繋ぎたいわけじゃない。
ただ、この距離を少しでも長く保ちたい
──そんな自分に気づいて、胸の奥で小さくざわめきが広がった。
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