第7話 カンダチ族の女たち

 カンダチの娘たちは良くも悪くもあけすけで開放的だ。マオキの娘たちの社交辞令を含ませた物言いにはノジカも辟易していたものだが、カンダチの娘たちのあっけらかんとした態度は時に無遠慮に感じられて、これはこれでノジカを疲れさせた。


 浜辺を歩いて村の中を探索しようとしていたところ、数人の娘たちに囲まれた。そして初夜について根掘り葉掘り訊かれた。ただでさえ湿気の多い海の風に難儀しているところだというのに、まとわりついてくる娘たちの賑やかな声が余計にこたえる。


「ええ、ほんとに何もなかったの?」

「どうして? せっかくの新婚初夜なのに、楽しみじゃなかった?」

「楽しみなものか、遊びではないんだぞ」

「そりゃそうよ、子種を受けるかどうかは女の人生で一番重要なことよ」

「一世一代の晴れ舞台じゃない!」


 収穫もなかったわけではない。娘たちの話からカンダチ族における男女観や若い女たちの間のアラクマに対する評価が見えてきた。


 どうやらカンダチ族では強い男が一人で幾人もの妻を抱えるものらしい。マオキ族でも家の長は複数妻をもって跡継ぎを作るものだったが、カンダチ族は世襲をよしとせず、とにかく実力があって強い男の血筋を継ぐのが女の幸福だと思っているようだ。強い男はカンダチの女たちの共有財産なのである。カンダチ族ではこうして強い戦士が作られてきたのだ。


「いいなあ、私もアラクマの赤ちゃんが欲しい!」

「独り占めしないでよ、ここにいるみんながアラクマの妻になりたがってるんだから。みんなで分け合おうよ」

「そうよそうよ、アラクマはみんなのものよ」


 無邪気に語る娘たちに対して、ノジカは逆に不安を感じた。


「私の都合は気にするな、皆好きにしてくれ。私はアラクマを自分のものだと思ったことはないし、今後未来永劫ない」


 娘たちが「だめだめ」「正妻はマオキの姫様なんだから」と否定する。


「族長の正妻はちゃんとした女でなくちゃ。族長が戦で留守の時には民を率いる務めがあるんだもん」

「それに、誰かが正妻を差し置いて抜け駆けすると喧嘩になるよ。ちゃんと話し合って決めて子供を作るの。妻のみんながいつ誰が身ごもったか把握した上で、妻同士で助け合って産むものよ」

「なるほど」


 それはそれで筋が通っているように思うから不思議だ。カンダチ族では守られるべき重要な掟なのだろう。嫁に来た自分の方が徐々に慣れていかねばなるまい。


 何気なく河辺に移動する。立ち並ぶ家々がまばらになっていき、小さな小屋のような家が目につき始める。


 ある小屋からひとりの女性が出てきた。大きな籠に洗濯物とおぼしき布を山ほど積んで抱えていた。


 ノジカは彼女に目を留めた。


 昨日船を降りた時に見掛けた妊婦だ。


「いけない」


 娘たちを掻き分けて、彼女の方へ向かおうとした。


「彼女を手伝おう」


 娘たちが彼女の方を見た。

 そして次の時、眉をひそめた。


「あのひとには関わらない方がいいよ」


 カンダチ族に来てから初めて見た負の面であった。


「いいんだよ、ほっとこう」

「なぜ? 女たちで助け合って子を産むものなのではないのか? 万が一のことがあってはと思ったら心配だろう」

「あのお腹の子はちょっと、いわくつきなんだよ」

「どういう意味だ? 赤子には罪はないはずだ」


 娘たちが顔を見合わせて黙った。陽気でかしましい彼女たちが沈黙するとなると、よっぽどのことなのだろう。


「でも、あのひとは、特別だからさ」


 ノジカを止めようとしたのか、娘たちが手を伸ばしてきた。けれど、ノジカは娘たちを振り切った。


 子こそ一族皆で共有すべき財産だ。妊婦は守られなければならない。まして特別な事情があるならなおのこと族長の妻のような強い立場にある者の庇護が必要だと思った。


 彼女は、河辺に籠を置き、膝をついて洗濯を始めた。


 彼女のすぐ傍に歩み寄る。彼女がノジカに気づいて顔を上げる。


「こんにちは」


 彼女がそう言って微笑んだ。穏やかな、優しい笑顔だった。ノジカは彼女に危険な印象を抱かなかった。むしろ、後頭部でまとめられた長い髪の丁寧なところが、どこぞの高貴な身分の奥方のように見えた。


「ひとりで家事をしているのか。私が手伝おう」

「いいえ、結構ですよ」


 声音こそ静かだが、言うことはきっぱりしている。彼女はノジカから顔を背けて洗濯の続きを再開した。


 彼女の許可を待たずに、ノジカは彼女の隣にしゃがみ込んだ。そして、洗濯物の山から着物を一枚とった。


「二人でやれば早い」

「いけません」


 彼女の華奢な手が伸びる。ノジカの手を押さえるように触れる。


「マオキの姫様のような方がなさることではありませんよ」

「マオキの姫はもうやめだ。今はカンダチの族長の妻として、民の、中でも身重のような弱い女性の味方をすべき立場であると考えている」

「そのお志は立派ですけれど――」


 後ろを振り返る。娘たちが何とも言えない表情で自分たちを眺めている。距離を置いていて決して手伝おうとはしない。


「他の者たちがどう思うか」


 ノジカは首を横に振った。


「そうであればなおのこと、だ。他の誰が人目を気にしてあなたを無視しても私があなたを助けよう」


 彼女は溜息をついた。


「大丈夫です。私は望んでひとりになったのですから」

「ひとり?」


 ノジカは眉間に皺を寄せた。


「まさかとは思うが、一人で暮らしているのか? ご夫君は?」

「おりません」


 その手で大きな腹を撫でた。手の動きは優しく、まだ姿を見せぬ我が子を慈しむようだ。


「私は一人でこの子を産んで育てることに決めました。誰の手も借りないと決めたのです」


 不意に男の低い声が会話に割り込んできた。


「ククイ!」


 彼女もノジカも顔を上げ、声の聞こえてきた上流の方を向いた。


 駆け寄ってきたのはアラクマであった。彼らしくなく険しい表情をしていた。


「何をしている」


 彼女が立ち上がりアラクマに向き合った。けれどやはりその表情は険しい。先ほどまでの穏やかな雰囲気とは打って変わって冷たく感じられた。


「あなたには関係ありません」

「いい加減にしろ。もうすぐ産まれるんだろう、いつまでもそうやって突っぱねていられると思うな」


 アラクマが手を伸ばした。その手を彼女は叩いて払った。


「ククイ」


 それが彼女の名だろうか。


 ただならぬものを感じて、ノジカも立ち上がり、アラクマとククイの間に入ろうとした。ククイを庇うようにアラクマと向き合って立った。


「何のつもりだ」


 アラクマが唸るような声で言う。ノジカは一度唾を飲んでから答える。


「どんな事情があるかは知らないが、身重の女性を追い詰めるような物言いはよくない。こんなところで立ち話ではなく、どこかに入って床に座って、落ち着いた状態で話をしたらどうだ」


 アラクマはすぐに「そうだな」と言ったが、ククイは頷かなかった。


「私には話すことはありません」


 アラクマから顔を背けた。


「だがククイ、俺はお前のことを心配して――」

「本当にそうなら、先に私のお願いを叶えてください。あなたにはできないことではないでしょう。逃げないでください」


 ふたたび河べりに座り込み、洗濯の続きを始める。


「私は、本当に、心の底から、怒っているのですからね」


 拳を握り締めてアラクマが押し黙る。


「その……、ククイ?」


 ノジカはおそるおそるククイに声を掛けた。


「よく分からないが……、カンダチの村で子を産み育てるのなら、族長とはうまくやった方がいいのでは?」

「必要なら出ていきます」


 そのククイの意思はあまりにも固い。


「ククイ……」


 アラクマが「出ていかないでくれ」と呟くように言った。


「では、今すぐどうにかしてくださいますか」

「だめだ。それだけは――」

「なぜです? 私が唯一望んだことですのに。私は他の何も望んでいないというのに、それを踏みにじってなお、私があなたを許すと思っているのですか」


 彼女は「絶対に許しません」と言った。


「オグマを連れ帰ってくるまで、私はあなたを許しませんからね」




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