第3話 王女の憂鬱

「この国は腐っているわ……」


 私――エルディア王国第一王女であるセリーナ・エルディアが馬車の窓に手を置いたまま、ため息をついた。


 王都はまるで楽園のように整っている。

 石畳は一つとして欠けがなく、清掃の行き届いた大通りには色とりどりの花が飾られている。


 商人たちは笑顔で取引し、子どもたちは腹をすかせることもなく走り回り、兵士たちも飢えや不正とは無縁のように朗らかだ。

 まるで絵画のような光景。理想を形にした国。


 ――だが、それはあまりにも完璧すぎる。


 争いもなく、病もなく、盗み一つない。

 まるで誰かが「舞台装置」を動かしているかのように、王都のすべては秩序正しく回っている。


「こんなもの……偽りの平和にすぎないわ」


 馬車の窓に映る自分の顔を見つめながら、私は小さく呟いた。


 私には分かっている。こんなのは誰かが背後で糸を引いているのだと。

 確証はないけど、なぜか私の勘がそう囁いている。


「気が乗らないわね……」


 エルディア王国の貴族の子女は15歳になると、エルディア王立魔導学院に通うことになっている。

 それは王女である私でも例外じゃない。


 正直、今はそんな気分ではない。

 もっとお父様のそばで政治について学びたい。


 でも、却下されたわ。

 今は平和だから、ちゃんと学校に通って色々を体験してきなさいと言われた。


「止まりなさい!」


「かしこまりました」


 馬車を止めて、私は学院の正門あたりに目を凝らした。


「ふっ、ここが俺の新たな人生の始まり、か」


 なんなの? あいつ。


 王国ではあまり見かけない黒髪の男の子。

 私と同じ新入生なのだろうか、初々しさが目立つ。


 だが、問題はそこではない。


 ――雰囲気が異様なのだ。


 見た目はどう見ても平和ボケしたバカにしか見えないのに、なぜかその眼光は不気味なほど鋭い。

 まるで未来を見据えているような、すべてを見透かしているような、そんな迷いのない瞳だった。


 彼は決して只者では――


「く、黒だと……!?」


 うん?

 いまなんて言ったのかしら?


「くっ……この俺がこれしきのパンチラで屈するか……!」


 ……落ち着け、セリーナ。


 そ、そうよ。私の聞き間違いかもしれないじゃない?


 私は恐る恐る彼の視線の先に目を向けると、そこには風で制服のスカートが捲られた女子生徒がいた。

 

 ……落ち着け、セリーナ。

 

 いや、落ち着けるもんですかあああああ!!

 

 ……な、なんなの!?


 あの眼光は世界の闇を切り裂く者のように鋭かったのに、口から出てきたのはただの変態発言!?


 ギラリと光る瞳。

 張りつめた気配。

 背後に何千何万もの亡霊を従えているかのような威圧感――。


 それがどうして、「パンチラ」につながるのよ!!


「落ち着け、セリーナ。彼はきっと、比喩的な表現を使っただけ……そう、比喩よ。ええ、きっと」


 ――比喩のはずないでしょうがッ!!


 私は思わず馬車の床を蹴りつけた。御者が「殿下?」と不思議そうに振り返ったけど無視。

 この私をこんなにイラつかせることができるなんて大したものだわ。


 続けざまに、彼は自分の鼻血を拭いながら、誇らしげに拳を突き上げた。


「見たか世界! これが俺の精神力だッ!!」


 ……誰が見てるのよ。

 周囲の新入生もドン引きしてるじゃない。


 女子生徒たちは「きゃあ、変態!」と彼を避け、男子生徒たちは苦笑いしながら肩をすくめている。


 ……ああ、もう。

 どうしてよりによって、こんな奴と同じ学園生活を送ることになるのよ……。


「風が止んだ……?」


 風?

 なんのこと?


 ……は?


 ちょっと待って、何ドヤ顔してんのよ、この変態。

 風が止んだことを察知したとか言ってるけど、そんな能力あるわけないでしょ!?


 まさかこの短時間で風の流れを読む超感覚を身につけてたの?

 うん……? いやいやいや、落ち着け、セリーナ。


 こんなの誰でも気づくわ! 誰でも!!


 ……でも、ちょっと待って。


 あの変態、さっきのパンチラ発言からのこの堂々たる眼光……。

 どう考えても只者じゃないっぽい……。


 いやいやいやいや!!

 ギャップが激しすぎて、頭が追いつかないわよ!!


 変態がラスボスみたいなオーラ纏ってるとか、普通に怖いから!!


「は、早まるなッ!!」


 急にどうしたの……?

 なんで彼が右手で自分の左手を押さえつけているの……?


 ま、まさか、その左手になにか秘密があるわけ!?


 いや、ないわ。

 きっとなんらかの病気よ。


 もう、こんなやつに関わってないでさっさと入学式の会場に行こう……。




 ……最悪。


 なんでよりにもよってさっきの変態が隣にいるのよ。

 しかもクンクンとなにかの匂いを嗅いでいるし……。


「匂うな……」


 に、臭う!?

 私が臭いってこと!?


 急いで自分の腕のほうを嗅いでみる。

 ただ、そこはちゃんとラベンダーの香りだった。


 もー! びっくりしたじゃない!

 なんなのよ!? こいつ!!


 えっ!?

 なに!?


 なんでこっち見てくるの!?


 ま、まって――


「俺の名前はルシアン、ルシアン・シルヴァードだ。君は?」


「ひっ、ひぃっ……!」


 不気味な笑みを浮かべて話しかけてくるから、び、びっくりしてはしたない声を出してしまったわ……。


 だ、だめよ、セリーナ!

 あなたは王女よ! もっと凛々しくありなさい!


「セ、セリーナよ!」


 あっ、噛んだ。

 

 どう、どうよ!

 私はあなたに臆していないわ!


 しかし、私の名前を聞いて彼は笑みを深めたのだった。

 


 


 

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世界征服してみたけど、400年で飽きたので黒幕やめます ~みんな俺を探しているけど、ここだよとは言えません~ エリザベス @asiria

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