核ミサイルのスイッチをひねるぞ
後谷戸隆
核ミサイルのスイッチをひねるぞ
「大統領から命令が出た。核ミサイルの発射スイッチをひねるぞ」と上司が言った。
「自分でひねりゃあいいじゃないですか大統領が」
「大統領が自分でひねってたら仕事にならんだろう」
「それはそうでしょうけどおれがひねるのはいやですよ」
「そこは仕事だからなあ。ほら! 早いとこやっちまうぞ」と上司。
「さっさと発射しちまって、今日は駅前の蕎麦屋でコロッケそばを食べるんだ」
「コロッケそばを食べている場合ではなくないですか?」
「じゃあ何を食うっていうんだ。地上がみんな真っ平らになっちまうかもしれない日におれたちは何を食ったらふさわしいんだ?」
ふーっと上司が息を吐いた。上司も緊張しているのだろう。それはそれとしてコロッケそばの話などされてしまったので急にお腹が空いてしまう。
「発射のキーをひねる前になんか食べてもいいっすか」
「おまえこの状況でよくものを食べようという気になれるな」
「いやそういうわけではないんですけど、いただきます」
「いいって言ってないだろ」
それでおれは懐からチョコボールを取り出して食べることにした。
昔からおれはチョコボールを食べてゲン担ぎをすることにしていて、もしも出し抜けに銀のエンゼルや金のエンゼルが出てきてしまったらそれはなにかおれの行動にストップを掛けようという強い圧力が発せられているという天からのメッセージであると解釈することにしていたのだ。
「おわっ見てくださいよ、金のエンゼルですよ」
「ほんとだ」
「当たったことあります?」
「ないね」
「おれはこれまでも一回だけあるんですよ金のエンゼル。それはおれのお守りにして瓶のなかに入れてずっと持ってるんですけど」
「おまえのチョコボール遍歴のことはどうでもいいよ。さっさと食っちまえよ」
上司はそういうロマンを解さない人らしかった。非常事態の警告音の鳴り響くなかおれは仕方なくチョコボールを一粒一粒食べていった。
この世の最後の食いもんだという気がした。この世の最後の食いもんがチョコボールで本当にいいのかとおれの心のなかの上司が尋ねてきたがおれは「チョコボールで何が悪いんだ」と突っぱねて心のなかの上司をかき消してしまった。心のなかではいつもおれのほうが強いのだ。
「もう食べたか?」
「もうちょっとっすね」
「はよ食っちゃえ、片付かんだろう」
「ええ、まあ」
本当を言うとわざとゆっくり食べることでおれはいつまでも発射を先延ばしにできないかなと思っているところが十割方あって、それで「うまいうまい」と言いながらチョコボールをひと粒ずつ味わっているふりをしていたのだけれども、でも味なんて全然しないし上司はじーっとおれのことを見ているしで、こんなにおいしくないチョコボールは初めて食べるなと思ったのだった。
「もう食ったか?」
「ええ、まあ」これ以上嘘は吐けなかった。おれは食べ終わりましたと言ってしまった。
それでふたりともコンソール(操作盤)の前に腰掛けた。はーあ。なんにもしたくねえなあ。
「命令は認証されました」と上司が言う。そんなもん認証しなくたっていいだろうと思うけどそういう手順なので仕方がないらしかった。こういう手順って誰が考えてるんだろうな。
おれは引き出しから発射のキーを取り出してしみじみと眺める。
「見てたって事態は前に進んだりはしないんだぞ」と上司。そりゃそうなんですけどさ。
「さっさと鍵穴に差し込んで、こいつをひねって駅前の蕎麦屋でコロッケそばを食べるんだ」と上司は言った。おれはなんだかもう我慢がならなかった。
「やめません?」と上司に言った。上司は無言でおれの方に近づいてきておれを殴りつけようと拳を握りしめた。おれは殴られてもいいやと思いながら上司を見ながら間抜けな顔をしていた。なるべく殴りやすそうな顔をしていようと思った。
「駄目だ。駄目だ。命令だ」と上司は言った。そんなことはわかっているんですけれども。
「世界中をみんな平らにしてしまうようなことには加担できないですよ」とおれ。
「誰かがキーをひねりゃあしかないんだよ。おまえがやらなきゃ他の誰かがやる」(上司は「ひねる」というところを噛んだらしかった)
「もしかしたら大統領かも」
「プレジデントにはそんなヒマはない! おまえがやらなきゃおれたちはみんなめいめい布団の下で永遠に眠りにつくはめになるんだぞ」
「おれがやったってみんなで布団の下で眠りにつくはめになるでしょうよ。早いか遅いかの違いでしょう」
「羽毛布団かせんべい布団かの違いはあるだろうさ」
「ありますかねえ」おれは答えた。上司はまたしても拳を握りしめた。おれは殴られるんだろうなと思って体を固くした。上司はぐぐっと拳を握りしめた。そのたびにおれは体を固くした。
上司はなかなかおれを殴らなかった。だんだんおれはそういうコントなんじゃないかという気がしてきた(ショートコント。核ミサイルの発射スイッチをひねろうとしない部下とその上司)。
「おれはひねりませんよ。別の人を呼んできてください」とおれは言った。上司は悲しそうな顔をしてふーっと息を吐いた。そんな顔をしないでくれよっておれは思った。はじめて親父に反抗したときに、親父が見せたものすごく悲しそうな顔を見たときと同じ気分だった。
その時、新しい暗号が送られてきた。おれは急いでホワイトボードに送られてきたコードを書いて上司がそれを解読した。
「発射中止……発射中止だ」と重々しく、だけど奥歯にものの挟まったような声で上司は言った。
ほら、ひねらなくてよかったじゃないですか、とか言いたかったけれどもおれは言わなかった。そういう気分ではなかった。上司はぐったりとしていた。
「蕎麦屋に行きましょうよ」とおれは言った。上司は声に出さずに頷いた。
「コロッケそばを食べましょうよ……」とおれは言った。それから新しいチョコボールの封を切って上司に五個ぐらいあげた。上司はやけくそのようにチョコボールをあおって「もっとよこせ!」と手を出してくるのだった。
核ミサイルのスイッチをひねるぞ 後谷戸隆 @ushiroyato
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