なくした言葉
@fuku2913
届かない言葉 届いた気持ち
【1】電話の向こうの声
久しぶりに携帯が鳴った。画面を見たら、ななみ。高校の同級生。三年前の同窓会以来か。あの頃はみんなすっかり丸くなって、高校時代みたいに馬鹿騒ぎもしないでお互いの人生を語り合った。まあ、盛り上がったのは結局、腹が出たとか剥げたとか、宝くじが当たったらどうするかみたいな話だったけど。
少しだけワクワクして、折り返し電話をかけた。なにせ非日常だ。この退屈な毎日に、なにか新しい風でも吹くかと思ったんだ。
「久しぶりじゃん」
そう軽く言った先から聞こえてきたのは、言葉にならない泣き声だけだった。
「どうした? 何かあったの?」
電話口でななみは震える声で言った。
「ごめんね。誰に電話したら良いか分からなくて……。でも、今さら別れた彼女のことだし、でも同級生だし……」
まったく、勘弁してくれよ、と思った。人生の重い荷物をいきなり僕に託すなよ、と。心の奥に嫌な予感がさざ波のように広がっていく。そうして、ななみは絞り出すように言った。
「かんかんが、死んじゃった」
泣きじゃくるななみの言葉の中、その一言だけが妙にクリアに聞こえた。そして、心の奥底で、長い間閉じ込めていた記憶と、一緒に後悔が津波のように押し寄せてきた。まるで、雨の日の古傷みたいに、胸の奥がじんわりと痛む。
【2】彼女との日々
かんかん。
ああ、かんかん。僕が高校時代に、彼女にふざけてつけたあだ名。まだそんな風に呼ばれていたのか。現実を否定したいのか、くだらないことを考えている自分がいた。
高校を卒業する頃から、僕が彼女をそのあだ名で呼ぶことはなくなった。彼女は僕にとって、ちょっと特別な存在から、凄く特別な存在に変わっていた。お互いに名前で呼び合うのが当たり前になった頃、彼女は僕のことを「カツ」と呼ぶようになっていた。
ユウ――
あの時の優しい気持ちと感覚が、寄せては返す波みたいに繰り返していた。そこには、ただただ甘い思い出だけでなく、苦い思いももれなくセットでついてきた。
あの頃の僕は、
ユウと過ごす未来を信じていた。口に出すことはなかったけど、建築の勉強をしていたユウは、よく二人で暮らす家の模型を作っていた。それもやたらとリアルなやつを。学校の課題だったか。
「子供部屋はこことここで、リビングは広いほうがいいよね」
「料理が好きなカツのために」と、妙に広いダイニングキッチン。
「あとね、ユウは犬が好きだから、庭も欲しいな」
二人でたくさん働かないと無理だねー、なんて笑い合った。それか宝くじを当てるしかないな、と。無邪気で穏やかで、今思えば、いっそ滑稽なほどに、僕らは二人の未来を語っていた。
そんな日々が日常になった頃、僕たちの関係は少しずつ歯車が狂い始めた。就職活動がうまくいかないユウとすれ違う時間が増え、僕の気持ちは、ほんの少しだけ、本当にちょっとだけ、他の子に向いた。
ユウは気がついていたのかいなかったのか、それは今でも分からない。僕から切り出した別れ話に、ただ素直にうなずいて一言だけ言った。
「ごめんね」
10年以上も前の、ありふれた別れだった。でも僕には今でもその一言が、まるで手のひらに残った鉛筆の芯のように心根に残っている。
ユウに別れを告げた帰り。カーステレオからは、あのサザンの『逢いたくなった時に君はここに居ない』が静かに流れた。桑田さんの優しい歌声が僕を包み込み、そして容赦なく心を締め付けた。なんてタイミングだ。と笑うしかなかった。
【3】再会
それからずいぶんたった同窓会で、彼女と再会した。ユウは、あの頃と同じように屈託のない笑顔だった。カラオケでサザンの懐かしい曲を歌った彼女は、僕の隣に座って言った。
「カツ……じゃないや。福田君って、まだサザン好きなの? 毎日聴いてたもんね」
カツと呼ばれた瞬間、思わず心臓が跳ねた。もう終わったはずの物語に、勝手に続編を期待している自分がいて少しだけ戸惑った。お互いの近況なんかを報告し合った。
彼女は結婚していて、子供も二人いるそうだ。しっかり者のお兄ちゃんと、甘えん坊の女の子。優しい旦那さんと四人暮らし。
僕が訪ねる。
「幸せ?」
「うん。今はすごく幸せ」
そして、ポツリと小さくつぶやいた。
「でもあの時は凹んだなぁ……」
「あー、何でもない、何でもない」と、彼女は言葉を止めた。
優しい声で「今度また遊ぼう!」と言ってくれた。
「絶対だよ!」と、あの頃と同じように約束を交わした。僕は自分の連絡先を伝えた。でも、ユウの連絡先は聞けなかった。何かが壊れてしまいそうで、その距離感が怖かったのかもしれない。いや、きっと僕が壊したくなかっただけだ。自分のせいで壊れたくせに。
結局、その約束は叶わなかった。
「お通夜の日取りが決まったら、また連絡する」とななみは言った。僕に伝えることができて良かったと言っていた。まあ、そうだろう。ななみはきっと、僕に電話をすることで、自分が抱えきれなくなった重荷を少しだけ軽くしたかったんだ。
【4】最後のワガママ
お通夜で彼女の顔を見た。穏やかで、優しい笑顔だった。若くして重い病気に倒れ、少ない余命と知りながらも家族と過ごす時間を大切にしたのだと聞いた。
そんなに強くなかったじゃん。
ワガママばっかり言ってたじゃん。
そう思い出しては、彼女の強さに胸を打たれた。同時に、自分がちっぽけな存在に思えて、情けなくなった。
不思議と涙は出なかった。泣くことは許されない気がしていた。あの時、ちゃんと謝れなかったことが、今でもずっと心に引っかかっていた。
「ごめんね」と伝えたかった。それがただの自己満足だと分かってはいたけれど、やっぱり、どうしても伝えたかった。
「今度また遊ぼう!」と言った彼女の笑顔が、胸の奥で痛みと混ざり、心が締め付けられた。
そういえば、数日前、夜中に知らない番号から何回か着信があった。一瞬だけ残された留守番電話には、小さく咳をする女の人の声があった。その時は、それが彼女からだとは夢にも思っていなかった。
まさかとは思いつつも、帰りのロビーで僕は思い切ってななみに彼女の電話番号を尋ねた。戸惑いながらも教えてくれた番号は、この前かかってきていた番号と同じだった。
なぜ僕に電話をかけたのか。何を伝えたかったのか。家族と過ごす最後の時間を刻む彼女が、どうして僕なんかと。答えは分からない。ただ、こらえきれない涙がとめどなくあふれた。まるで、これまで流すべきだった涙を、まとめて今、返済させられているような気分だった。
ななみがポツリと言った。
「口止めされていたけど、かんかんは君と出会えたこと、彼女になれたこと、幸せな時間をたくさんもらったこと、すごく感謝していたよ。それと、君を傷つけてしまったこと、本当に謝りたいって」
傷つけたのは僕だ。裏切ったのは僕だ。僕は何度もユウの写真に振り返った。謝りたい気持ちはあったけれど、後悔と自責の念が強すぎて、言葉にならなかった。
でも一言だけ、ユウに伝えることができた。
「ありがとう……」
ユウと過ごした日々への感謝の気持ちが、胸の中に響いていた。これは、僕の青い春の物語のひとつ。
そして、彼女が伝えたかった最後の言葉。
「ご無沙汰してます」
彼女のお姉さんが僕に声をかけてきた。
「今日はユウの為にありがとうございます。会えて良かった。ユウが私に残してくれた手紙に、君宛のが入っていたの。もし会えたら渡して欲しいって。よかったら読んであげて」
そう言って、かわいい封筒に入った手紙を差し出した。僕は震える手で封筒を握りしめた。封を切ると、懐かしい丸みのある文字が目に飛び込んできた。
「ユウの字だ」
――突然電話してごめんね。あの電話はカツにだけ伝えたかった小さな秘密。
元カノの最後のワガママ、許してね。
カツと過ごした日々は、私の光でした。幸せでした。
最後にあなたの声が聞きたくて、震える手で電話をかけました。
もう逢えないことを受け入れるために。
さよならを言う勇気をもらうために。
ワガママばかり言ってごめんね。
約束守れなくてごめんね。
たくさん、たくさんありがとう。
カツに出逢えて、本当に良かった。
この気持ち、届くかな? 届いたら嬉しいな。
バイバイ
読み終えた瞬間、視界には何も映らなかった。声にならない嗚咽が全身から溢れた。ユウの「バイバイ」が、耳の奥でいつまでも響いていた。僕が今、こんな風に涙を流すこと。きっと、彼女にとってはそれだけで十分だったんだろう。僕に許しを与えるための、最後のプレゼントだった。
なくした言葉 @fuku2913
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