2 〜銀髪の乙女は家を振り返る〜

カリナが、重苦しい沈黙とファングからの妙に真剣な視線に身を竦めていると

レオンがわざとらしく咳払いをして言った。


「あのさ、兄さん。今日はマトラ来てるからさ。久しぶりに会ってやってよ」


ファングも、はっとしたようにレオンを見、それから目つきを和らげた。


「どうりで。今日の魚も鶏も香草ハーブが効いていて美味かった」


ファングがやっと喋ってくれて、カリナは内心ほっとした。


「マトラもヴィッペも、皆息災にしているか?」

さっきまでの緊張と押し黙りは何だったのか、兄弟はのんびりと歓談している。


レオンと話しているときのファングは、目つきが柔らかい。

紫の瞳が慈しむようにレオンを見つめ、

レオンの榛色の目もまた、そんな兄の眼差しを受けてきらきらと輝いている。


「マトラは、先代からのうちの料理人でね。普段は街にある別邸で働いてもらってるんだ。ソノルズ公爵家だと料理人もたくさんいたのかな?」


レオンがカリナにも話を振ってくれる。

「えぇ、料理長の下に7人の料理人が居りました」


「お夕飯は何品あったの?うちのじゃ物足りないかな?」


レオンに聞かれ、カリナは少し言い淀んだ。


「小皿と前菜2種に、スープ、お魚か鶏、それからお肉料理で、……」


「都市貴族様ともなると毎日贅沢三昧せねばならんのだな」

なんてファングは呆れて言う。


辺境の貴族からしたら、王都の貴族など、浪費と飽食で見栄をはるばかりの家柄に見えるのだろう。


否定できずに黙り込むカリナを見つつ


「……王族ともなると、よほど体面が大事だろうな。銀髪異能とそしりつつも、

流石に己の娘を、貴族の暮らしからは排さなかったようだな、ビクセル殿下も」


それは、カリナが表立っては虐げられなかったことに安堵しているように聞こえる。


「ファング様……」


「このユジャムまで一人旅を強いるなど、よほどにビクセル殿はカリナ嬢、貴女を虐げていたのではと疑っていたのだが……なんだ、俺の面倒な書状の通りにしただけか。いや、全く……俺の非で、貴女を相当に危険に晒した。すまなかった」


深々と頭を垂れるファング。


「お顔を上げてくださいませ、ローヌルフ卿」

カリナは慌てた。


ファングが、カリナの背景を想像し、ビクセルに憤ってくれていたなんて思いもしなかった。


たしかに、自分は最後まで父に愛されはしなかった。

それでも、父が、長子であるカリナにしっかりと貴族の教育し、令嬢の礼儀作法と芸事の嗜みを仕込んだのは確かだ。


「……私は父の期待には添えませんでしたが……虐げられることはありませんでした。貴族の子女として必要なことは躾けられております。後は……“金髪に翠の瞳”を持つ妹が名実ともに公爵家を継いでくれるでしょう。妹もよい子でした」


様々な思いをこらえてカリナは言った。


「……そっか。カリナさんは、ちゃんと、どこに出しても恥ずかしくないように、親に守られて育ててもらえたんだね。そして妹さんも良い子で。だから、……耐えてこれたんだ。人に恵まれてるなぁ」


レオンが、しみじみと言った。

カリナは、レオンの言葉に深い痛みを感じた。


そうか、自分は、恵まれていたのか。


幼少の頃に、自分を愛してくれた母が父の手で追放されてからは、カリナの支えは、妹のペンネだった。

彼女は、己の“金髪翠眼”を誇りにはしていたけれど、それをカリナに殊更に見せびらかしはしなかった。


「お姉様はたまたま銀髪で、不思議なお力も持っているけれど、きっとお姉さまの子は金髪に翠の目よ」

だって、両親を同じくする姉妹だもの、私たち。


カリナが“金髪翠眼”の子を“産む”可能性を語って励ましてくれた。

カリナが銀髪を染める苦労を知っていたから、

急な外出が決まって慌てて髪を染めているカリナに父が苛立てば、


「それならお父様、お姉さまの銀髪、皆さまにお披露目なさる?」


なんて言って黙らせてくれた。


そう、ペンネは家ではその“太陽と若葉”であるがゆえの寵愛をうまく利用して、なかなか強気に振る舞っていたっけ。


そして、社交の場では、

【顔は同じなのに、金髪翠眼の妹と色の薄い地味な“金髪”の冴えない姉】という対比に萎縮するカリナの、盾にもなってくれていた。


「カリナは私とも全く血は同じ。ソノルズ公爵家の“正統な”長子です。カリナへの侮辱は私への侮辱。そして初代国王ヴィゼルの血筋への侮辱です!」


なんど妹に救われたか分からない。


……もっとも、妹は内心では私を蔑んでいたと、先日知ってしまったけれど。


物思いに沈みかけるカリナの耳に

「どんなに親に冷たくされて、ただの血筋扱いに飼われてても、支えになってくれる人が一人でも居れば、耐えられるんだよ。ね、兄さん」

レオンの言葉が染み入る。


レオンは真っ直ぐにファングを見つめている。

ファングは何も答えないが、仄かに微笑んだ。


恐らくは、この二人。

互いが唯一の肉親といったところか。

……家人を紹介されない、ということは。

先代の領主である実父はすでに故人と見ていいだろう。



「あの、兄さん。明日の市は、どうするの?」


レオンは躊躇いがちにファングに聞いた。


「明日の市(いち)は、俺も視察を兼ねてほぼ1日出かけるが?」


ファングは弟に返しつつ、


「ああそうだ、カリナ嬢も来ないか?領内の案内がてらに」


カリナを誘ってくれた。


そう、明日は“市の日”だ(※1)。

庶民も貴族も、暦の上では【5日の勤労と1日の休息日、市の日】の7日周期で生活を送っていて、都市ごとにも各週および月の催しがある。


特に満月の週である第3週の市は“月大市”と呼ばれ、どの都市でも一ヶ月の中で一番盛況の市の日となる。


王都フィヨラドグンの中央広場で行われる月大市には、カリナも髪を金髪に染めたうえでこっそり出かけていた。


 普段の買い物,衣類や装飾品などは出入りの商人が持ち込むので、自分で一から選んで買う楽しさを味わえる月大市は、貴族の子女にとっては貴重な娯楽の一つでもあるのだ。

家紋も付けない質素な箱馬車に妹と共に乗って広場へ赴き、侍女一人だけを伴って市場を巡るのはちょっとした冒険のようで心躍る体験だった。


 異国からの交易品などもあって見るだけでも楽しいし、例の薬草の辞典は数年前に月大市に来た本屋で自分で買ったものだ。

地方の市には行ったことがないが、どのような店や品々が来るのだろう。

「是非、お連れくださいませ!」

今日一番に声を弾ませるカリナに、領主兄弟も笑顔で頷いた。


それから、レオンは少し申し訳なさそうに言った。

「あの、明日さ、俺、母さんといっしょに回っても良いかな。兄さんはお仕事なのに」


「あぁ、構わんよ。何を俺に遠慮することがある。せっかくだ、御母上とゆっくり水入らずで過ごせ」


大らかなファングに、レオンはぼそっと呟くように言った。


「……母さんに、カリナさんを紹介、しないの?」


「公爵家との正式な手続きも残っているし、諸々済んでからだ」


きっぱりと言うファングに、レオンは少し寂しそうに続ける。


「母さん、兄さんの婚約すごく気にしてるよ?お相手が来てるってことだけでも」


だが、

「俺が誰を迎えようが、エライザ殿には関係ない」


和やかな兄弟の空気は消えて、何処かぴりぴりした雰囲気になってしまった。


「そんな、……気にしてるってのは、その、楽しみにしてるってことだよ」


「俺は、エライザ殿と関わる気はないしいちいち俺の配偶者を紹介する気はない。お前の母御であって、俺とは無関係だろうが」


ファングは冷たく言い放ち、それから、


「……俺が結婚したら、むしろ余計な心痛をかけるだけだ」


その声音に微かに柔らかい情けを滲ませた。



そして、ファングはカリナを見つめて言った。


「食事が済んだなら、もう……寝室に行きなさい」


カリナは、頷くことしかできなかった。

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