なぜかめちゃくちゃ共感できるキャラクターや話に疲れてしまう

 今思えば、子供の頃はそうでもなかったなぁと思うんですが、私はアニメや小説のキャラに共感することに、めちゃくちゃ疲れを伴う人間でした。


「人の気持ちが分からない」


 私には生まれた頃からこのような特性があり、相手の立場や状況を想像することが特に幼少期からも苦手だったような気がするのですが、それとは別に、私は自分が経験した嫌な出来事や辛い過去、トラウマなどに近い話には物凄く共感することが出来ます。(共感と理解って微妙にズレてる気がするけど...)

この共感力ってのがかなり厄介で、私の場合、地味に取り扱い注意ってレベルなのです。


 人の気持ちのことはよく分からないのに、アニメや小説のキャラに自分と同じ部分を見出した瞬間、途端に共感力のゲージが一気に振り切れていく。


 そういったことがあり、昔から共感性のある場面が頻繁に出てくるアニメを見たり本を読んだりするのが、他の人よりすごい疲れを伴いやすい傾向がありました。(特に、暗い話や重たい過去、めちゃくちゃ感動できる場面や話など。まぁ、感動系の泣ける話に至っては、共感出来る以上に出てくるキャラ感情移入し過ぎて疲れるってのもあるかもなぁ)


 そういったものを読んだり見ること自体は嫌いじゃないけど、そういうものに長い時間(と言っても10分とか30分ぐらい)触れていると、共感と同時に気分が沈んできて、ひどい時はうつ状態にまで沈みます。(これも、ある意味一種の"共感疲労"だと思います)


 たとえ皆が感動で涙を流す場面であっても、自分の場合は共感や深く感情移入することでめちゃくちゃ大量なエネルギーを使ってしまうことが頻繁に起こっていました。(ここでいう"エネルギー"というのは精神を浪費するという意味での"エネルギー"。)

けど、そういう私はなぜか最初は平和なんだけど、段々不穏な感じになってくアニメが大好きでした。多分、世ではサスペンスホラーとか鬱アニメと言われていたと思う(そういったアニメは終盤になるにつれて段々展開が早くなっていったり、衝撃的展開が起きたりするから、そういうものが私の関心を寄せたんだろうな...逆に言うと、日常系アニメは割と見始めてすぐ飽きますね。なんでだろう、子供の頃はもうちょっと楽しみながら見れてたと思うけど、大人になると同じペースや変化で進んでいく物語より、そういった急な展開やキャラの心情•人間関係の変化が激しい話が好きになったなぁと感じます)


 私はどちらかと言うと疲れが体より精神に溜まりやすい様に出来ているらしいんですが、私は昔っからとにかく自分内の変化に鈍感で、心が疲れ始めても気付けない事が多く、うつ状態とか無気力感•無力感とか、そこまでの状態にならないと全然気付かないし、気付けない事が殆どでした。(多分そういった精神の変化に気付けない原因としては、今見返ると過集中が原因だったことも多くあったように思います。精神的疲労やストレスっていうのは、私にとってはほんの些細な変化でしかなくて、大抵は怒りが出てきたり大きく落ち込んだりしたあたりで「あぁ、私は今ストレスが溜まってるんだ。」って気づき出す。こうやって大きな感情が起きてようやく"自分の心の中で変化が起きている"ことに気付くことが多かったなと感じます)


 これは私的な憶測ですが「過集中」と「依存症」は密接に関係していると思います。

私は昔から何かに依存しやすい傾向があったのですが、特に人間関係や趣味といった面ではかなりの依存体質でした。(人間関係では、長く付き合えば付き合うほど相手に依存しやすくなるので、特に恋愛や親子関係では相手に深入りしすぎないようにしたり、それに気付いたりするなど、依存しない努力や工夫が必要だったと思います)


 こういう人が他にいるって話は未だに聞いたことがないけど、私以外に存在しているんだろうか?と、時々疑問になるんだけど...多分私が見ていないだけで、意外と何処かにいたりするんでしょうね。

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物書き初心者の初の試み〜パパゲーノなasdがエッセイ書いてみた〜 半田れり子 @_misatuki_

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