第34話 名探偵の憂鬱
その日のうちに、僕と伊勢谷くんは朝霧村を後にして、新幹線に乗り込んだ。
伊勢谷くんはムッツリと黙りこみ、人言も口を利こうとはし中った。僕は今回の事件についての枝葉末枝、知りたいことがまだいくつもあったけれど慎み、原稿を書くことに専念した。
東京駅に到着すると、そこで伊勢谷くんとは別れ、僕はその足で中島さんに会いに行き、原稿を手わたすとともに、事件の概要を話した。
山口が犯人では中ったこと、永井の犯行の動機となった魔女の伝説の真実。そしてあの地下の反射炉の話を聞いて、絶対に特集を組むと意気込む中島さんに別れを告げ、僕がきさらぎ荘に帰り着いたのは、もう夕暮れ時だった。
伊勢谷くんの部屋に明かりは点いてい中った。もしかしたら、実験室のほうへ行ってしまったのかもしれないな、と思いつつ、僕は自分の部屋に荷物をおろし、疲れを癒すために銭湯へと向かった。
銭湯からもどっても、やはり伊勢谷くんの部屋に明かりは点いてい中った。
あれだけの事件があった後なのに話す相手もなく、僕は何だか自分自身を持て余し気味になり、仕方なくベランダに腰かけてビールを飲み始めた。
ほろ酔い気分になって聞いた頃、隣の部屋の電気が点き、ガラガラと窓が開く音がしたと思ったら、伊勢谷くんが寝ぼけ顔を出した。
「何だ、部屋にいたのか」
「うん。あれからずっと寝ていた。お蔭でずいぶん、頭がすっきりしたよ」
いつもの伊勢谷くんらしい、爽やかな微笑を浮かべた。
「きみもどうだい」
缶ビールを掲げると、
「一本もらおうかな」
「そうこなくちゃ」
冷蔵庫からキンキンに冷えた缶ビールを取り出して、ベランダ越しに手わたした。そして静かに乾杯をした。
「夢にまで出てきたよ」
しばらくして、伊勢谷くんがポツリと呟いた。
「何が」
「章造を睨みつけていた時の、永井の憎悪に満ちた目」
伊勢谷くんは顔をしかめ、呷るようにしてビールを口にする。僕はその様子を、実と見つめていた。
「僕は今まで、あまりにも平和な人生を送ってきたのかもしれないね」
「きみはもう、犯罪捜査にはウンザリなのかい」
「さあ」
伊勢谷くんは曖昧な返事をした。
「僕はね、またどこかできみの名探偵ぶりを見られる日を楽しみにしているよ」
「そんな日がくるのか、どうだか」
「くるさ。きっと、くる」
「フフ。まあ、すべては運命によって定められているよ。僕は生粋の運命論者なものでね。もしもまた、犯罪捜査に僕が必要な時がくるのなら、その時はその時。ごちそう様」
伊勢谷くんは、ビールを飲みほして言った。
「もう行くのかい」
「うん。これから、実験何だ」
「そう。気をつけて」
「うん。それじゃあ、また」
伊勢谷くんはそう言うと、部屋の中へと引き返して電気を消し、廊下にでて階段を降り、ベランダの真下に姿をあらわした。
「伊勢谷くん、今回の事件のルポを小説にしてみようと思うんだけど、どう思う」
「きみがそうしたいなら、そうすればいいさ。それから、飲み過ぎないように」
伊勢谷くんは手を振ると、やや猫背気味に歩きはじめ、薄暗くなり始めた街の中へとゆっくり溶け込んでいった。僕はそのうしろ姿を眺めながら、名探偵の次なる活躍を心の中でそっと願うのだった。
魔女の井戸殺人事件 相羽廻緒 @taknak
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