第27話 古い書物

「健夫さん、こんな時にお願いするのも何なのですが」鱒沢警部が出て行ってから、伊勢谷くんは健夫に声をかけた。

「地盤調査をしていた時に出てきたという古い書物を、ぜひ拝見させてもらえないでしょうか」

「ああ、そうでした。お見せする約束をしていたのに、すっかり忘れていました。ちょっと外へ出てもいいですか?」健夫は護衛についた若い警官に訊いた。若い警官は無言で頷いた。「では、ちょっと取りに行ってきますので待っていてください」

「すいません。よろしくお願いします」

 健夫は警官を連れ立って玄関のほうへと去って行く。

 部屋には僕と伊勢谷くん、章造とその護衛の警官が取り残された。

「章造さん」伊勢谷くんは優しい声音で、「魔女の井戸の伝説となったあの事件が起こった時、おいくつでいらっしゃいました?」

「わ、わたしか」触れたくない話題なのか章造の顔は渋くなった。けれどそんなこと、伊勢谷くんはちっとも気にしない。

「ええ。何年前の出来事だったのですか?」

「六いや、もう七十年近く前のことだ。それが何か?」

「その時の様子を、覚えている限りでいいので教えて頂けませんか」

「な、なぜ?」

「なぜ? なぜ、僕がこのような質問をするか、わかっているんじゃありませんか」伊勢谷くんは確信に満ちた目で章造の顔をじっと捉える。章造はその視線に耐え切れないとばかりに目を伏せてしまう。

「魔女の末裔は、その時の事件と何らかの関係がある人物なのではないですか?」伊勢谷くんは畳みかける。

「ちょっときみ。余計な詮索はするんじゃない」傍にいた警官が窘めた。

「いえ、余計な詮索などではないですよ」伊勢谷くんは警官を軽くいなし、「どうなんです?」と章造に迫った。

「公務執行妨害と言う罪があるのは知っているか?」

 突然、背後から野太い声がした。振り向くと、そこには青筋を立てた鱒沢警部の顔があった。

「妨害? 捜査の協力をしているつもりなのですが」

「この探偵気取りが!」

「ただ上辺だけの捜査をしていても、真実は掴めないと言いたいだけです」伊勢谷くんは強気だった。見ているこっちがハラハラする。

「いいか、お兄さん」鱒沢警部は伊勢谷くんの胸を人差し指で突きながら、「最終警告だ。今度、捜査の邪魔をしたら、容赦なく逮捕してやるからな」と凄んだ。

 伊勢谷くんは何も言い返さず、ただ微笑して見せる。

「冗談で言ってるわけじゃないぞ。いいな、俺はちゃんと忠告したからな。お前もだぞ」警部は突然、僕のほうを向いて言った。

「は、はい」その迫力に気圧され、僕は即座に返事してしまう。

「伊勢谷さん、お持ちしました」

 部屋の入り口に、蔵から戻ってきた健夫が姿を見せた。その手には紐で綴じられた薄くボロボロになった書物が握られている。

「あ、どうもありがとうございます」伊勢谷くんは鱒沢警部のことなどお構いなしに、健夫のほうへと歩いて行く。

「それは、一体何です?」鱒沢警部が怪訝そうな表情を浮かべて健夫を問い詰める。

「お気になさらず。ただの詩集ですよ、詩集」取り上げられるのを警戒した伊勢谷くんは、そう言って誤魔化すと、「ありがとうございました」健夫から素早く書物を受け取り、「鳴瀬くん、捜査の邪魔をしては悪いから部屋へ戻るとしようか」さっさと廊下を歩いて行ってしまう。

「し、失礼しました」鱒沢警部に会釈してから、僕は慌てて伊勢谷くんの後を追った。

「何が書かれているんだい?」書物を読みながら歩く伊勢谷くんに追いつくと、僕はそれを覗き込んだ。

 書物はあまりに古びていて黄色く、少しでも力を込めて触れるとボロボロに崩れてしまいそうに見える。紙面に書かれた文字は滲んで読みづらく、所々にψや☽やΨといった記号のようなものが書かれてあった。

「伊勢谷くん?」

 伊勢谷くんは真剣な表情で書物に読み耽り、僕の存在にすら気づいていない様子だ。

「これは、もしかして……」と何やら呟いている。

「伊勢谷くん!」

「驚いた。鳴瀬くんか」

「鳴瀬くんか、じゃないよ。それには一体、何が書かれているんだい?」

「うん」

「うん、じゃなくて」

「ちょっと待って。それは後で教えるよ」伊勢谷くんはそう言うと、黙って書物を読み続け、ろくに挨拶もしないで自分の部屋へと入ってしまった。

 仕方なく、僕も自分の部屋へ戻って、原稿の続きを書くことにした。


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