第26話 復讐の炎
「警部、警部」
部屋から出た途端、階下から叫び声が聞こえてきた。警官の誰かが鱒沢警部を呼んでいるらしい。その差し迫った声の調子から、嫌な予感がした。
伊勢谷くんはちらっと僕のほうを振り返ると頷いて、階段を駆け降りていく。
「何だ?」鱒沢警部の怒鳴り声が響いた。
僕も階段を駆け降りていくと、叫び声の主である警官が、血相を変えて江神家との渡り廊下から走ってくる姿が見えた。
「何ごとだ?」居間から顔を出した鱒沢警部が叱りつけるように訊く。
「こ、これを見てください」警官は何かの紙を鱒沢に手渡した。
その紙に視線を落とす鱒沢の背後に、伊勢谷くんはこっそり忍び寄って覗き込む。僕もそれに倣った。
『復讐の炎は今も尚、燃え続けている 魔女の末裔より』
「魔女の末裔!」僕は思わず、驚きの声を上げてしまった。
「お前ら、この」鱒沢警部が、鬼の形相で僕らを睨みつける。
「まあまあ、そう目くじらを立てず」伊勢谷くんが軽くいなす。
「チッ、このガキ。おい、これをどこで?」鱒沢警部は警官のほうに向き直る。
「そ、それが、江神さんがトイレへ行くと言うので一緒について行き、部屋に戻ったらテーブルの上に置いてあったんです」
どうやらこの警官は江神章造の護衛にあたっていたらしい。
「おい、それじゃあ今、爺さんを一人きりにしているってことじゃないか」
「す、すいません」
「何がすいませんだ、行くぞ」鱒沢警部は怒鳴り散らしながら、江神章造の部屋を目指して走り出す。
僕と伊勢谷くんも、その後に続いた。
「ん? また何か事件かな」
渡り廊下のほうへ走る途中、大浴場から顔を出した宇田が呑気な口調で訊いてきた。僕らはそれを無視して渡り廊下を駆け抜ける。
江神章造の部屋の前には、騒ぎを聞きつけた歩美が顔面蒼白で立ち尽くしていた。
「あ、あの、また何か?」
「いいんだ。きみは自分の部屋に下がってなさい」警部はそう言うと、部屋の中へ入って行く。
「心配しないで」僕は歩美に声をかけ、警部と伊勢谷くんの後に続いた。
部屋の中には江神章造と健夫がいた。章造は呆然自失といった様子だった。
「一体どうしたというんです?」健夫が鱒沢警部に食ってかかるように訊いた。
「これですよ」警部が紙を見せる。
「復讐の炎は……魔女の末裔!」健夫は恐怖と怒りのため、その紙を切り裂こうとする。
「待った」警部はサッと紙を取り上げ、章造のほうを見ると、「江神さん、また魔女の末裔とやらから手紙が届きましたね?」その声も章造の耳には届いていない様子だった。
「江神さん!」
「な、何です?」警部の大声に驚き、章造はようやく意識を取り戻したように顔を向けた。
「これですよ、これ」鱒沢警部は章造の顔の前に紙を突き付け、「本当に魔女の末裔とやらに心当たりはないんですか?」あるに決まっている、と言う口調だった。けれど章造は唇を震わせながら頭を横に振った。
「わ、わたしはそんな人間、知らん」
「他人から恨みを買うようなことをした覚えは?」
「ま、まったく」章造の声は酷くかすれていた。
「八十年以上も生きているんだ。何かしらあるだろう。思い出すんだ。じゃなきゃ、また誰かの血が流れることになる」
「それを食い止めるのが、あんたたちの仕事でしょうが」警部の詰問口調に苛立ち、健夫が横槍を入れた。
「何ですって?」警部が鬼の形相を健夫に向ける。
「まあまあ、皆さん、落ち着いて」伊勢谷くんは滑稽なほど冷静な口調で言うと、「江神さん、警部の言う通り大事なことなんです。魔女の末裔とやらに、これ以上好きにさせるわけにはいきませんから。本当に、何も心当たりはないですか?」章造の傍らにしゃがみ込んで訊いた。
「ない。すまんが本当に心当たりはないんだ」章造は頑なに否定する。けれどその様子は、明らかに何かを心に秘めている。
「あなたのお孫さんが、すでに二人も殺されている。犯人は明らかに江神家の人間を狙っているんです。この予告状が届いたということは、次にまた誰かの命が狙われるに違いない。由衣さんか健夫さんか淳司さんか怜子さんか、あるいはあなたの命が」
章造の顔に、何とも言えぬ恐怖の色が浮かんだ。
「これだけの人を殺すということは、並々ならぬ恨みを抱いているということですよ」
伊勢谷くんの口調は優しかったけれど、その言葉の裏には、これ以上殺人が起きたらあなたのせいですよ、というニュアンスが込められているように思えた。それは章造にもしっかりと伝わっているらしく、自責の念に捉われた様子を見せ始める。
「だ、だが、本当にわたしは」
「心当たりがないのですね? わかりました。……だそうです、警部殿」そう言って伊勢谷くんは立ち上がり、一瞬睨みつけるような目で章造を見下ろした。
「チッ、でしゃばりやがって。素人探偵は自分の部屋で大人しくしてろ」鱒沢警部は悪態をつくと、部屋の入り口の前に立ち尽くしている、先程の警官のほうへ顔を向けて、
「皆を呼んでこい!」怒鳴りつけた。
「は、はい」
バネ人形のように素っ飛んで行く警官を尻目に、鱒沢警部はため息を漏らすと、
「江神家の皆さんには、犯人が捕まるまで二十四時間体制で護衛をつけさせてもらいます。異存はありませんね?」
健夫は黙って頷いた。
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