最終夜 物語欠乏症・寛

 「あの、名前を呼ぶまで待ってろって言われたんですけど」

「問題ない」

「他の患者さんは」

「中の待合室だ。問題ない」

「これって追加料金かかりますか。保険適用になりますかね」

「あのな。運転中に気を散らすなと、親に教わらなかったのか?」

「うちの親は運転が得意だったんです」

「知るか。人の道の話をしてるんだよ」

「道路だけに?」

「あまりうるさいと縫合するぞ」


二人は今、中村の私物と思われる軽自動車に乗っていた。彼女が着ているカーディガンと同じ桜色。好きな色なのかも知れない。半ば連行するように連れてこられた山井は、さっきからそわそわし始めていた。目的地は告げられていないが、明らかに山道を登っている。


「もうすぐ着く」


山井の心配を察したのか、中村が勇気づけるように言った。しかし、それは下山中に言って欲しかった。もうすぐ着くということは、向かう先は山頂なのだ。


 やがて、廃れた学校のような場所が見えてきた。近代的なコンクリート造りの校舎ではなく、平屋風の木造建築。入り口に看板がかかっているが、墨がかすれて何も読めない。最後の『院』の文字が辛うじて認識できる程度だ。鍵もかかっていない引き戸を開き、中村は山井を手招いた。


「お前は運が良かった」


ガラスの散乱した廊下を歩きながら、中村が呟く。


 次に踏み入れた部屋の惨状を見て、山井は絶句した。幾つもの人間の死骸だ。西洋史に出てくるような諸刃の剣で、心臓を一突きにされている。空間には濃い血の匂いが充満し、立っているだけで骨の髄まで汚染されるような、嫌な感じがした。


「十二人だ」

「は?」

「お前がするまでに、犠牲になった人数だよ」

「…………」


数える気にもならない。確かに十人以上は死んでいるが、それが十二人だろうが三十人だろうが大した違いではないと思った。


「あなたがやったんですか?」

「おいおい、お前が考えるべきは『誰が殺したか』じゃなくて『どうして殺されたか』だろう。そこが分かれば、命乞いくらい出来るんだしさ」

「え……。あ、あぁ……どうして殺したんですか?」

「さぁな。。今はそうとしか言いようがない。それと私は犯人じゃない」

「え、違うんですか?」

「当たり前だろ。ついでに言うと、医師免許も持ってない」


ついでに言うことか。


 中村は死体の側に歩み寄り、足下から何かを拾い上げた。それは、真っさらな原稿用紙だった。


「犯行動機は意味不明だが、一つだけ分かっていることがある」

「はぁ」

「彼らはみな、『物語欠乏症』と診断されていた」

「!」


山井が息を呑んだ。なんだかんだ心の奥では他人事だと思っていた十二人の死が、初めて意味あるものに感じられた。それは強烈なメッセージを放っている。ここから離れろ、お前も殺される、訳が分からないものに殺される――と。


「ただし彼らは消費者に留まり、お前は生産者になった。お前は指示通り物語を書いたが、他のやつらは書かなかった。まぁ、そりゃそうだわな。ちょっと調べれば『物語欠乏症』なんて病気はないと分かって、もっと調べればあの病院自体存在しないことがはっきりする。まともな神経をしていれば、二週間も真面目に小説を書いたりするわけがない」

「いま、すごく馬鹿にされた気がするんですけど」

「それぐらいで済んで良かったじゃないか」

「じゃあ、僕は殺されないんですか」

「多分な。だが、次は生き残れるか分からないぞ」


そう言って振り向いた瞬間、山井の身体が浮き上がった。いや、軒下から剣で貫かれたのだ。彼の身体はぶらんと垂れ下がり、枝になる木の実のように赤い果汁を滴らせた。


「ふむ」


やはり、十三人目というのが良くなかったか。初めて期待を裏切らなかったのが十三人目では、皮肉が過ぎるというものだ。まぁ、真相は分からない。


 私たちに理解できることなど、世界の小指の先にも満たない。


 中村――いや谷口、いや伊藤、笹川、とにかく彼女はそう思っていた。山井は死んだのだ。そこに解釈の余地はない。は彼のことを認めなかった。物語の生産者になることは、生き残る十分条件ではない。


 彼女はまた一つ、ルールブックに書き足した。




――物語欠乏症、患者死亡により完治ならず。

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物語欠乏症 鹿条一間 @rokujo-hitoma

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