実らぬ桜

六亜カロカ

本編

 

 母が死んだ。

 自殺だった。

 特に驚きはなかった。このままだと死んでしまうだろうな、と毎日ぼんやりと思っていて、それがつい3日ほど前にやってきただけだ。それどころか肩から重荷が降りたような心地すらあった。

 母の死にこんなことを思うなんて、薄情者にもほどがあるだろう。ただそれもお似合いかもしれないと、少しおかしい気持ちになる。

 葬式も終わって、数の少ない親族たちに会釈をしながら進む。どの瞳も異物を見つめるように冷ややかで、僕は終始俯いてしまう。

 1人になりたかった。


 『吉野家葬儀式場』と書かれた小さな看板を横目に会場を出ると、そこには懐かしい風景が広がっていた。

 僕は大学に通うために上京して、そのまま関東で就職したものだから、帰ってくるのは久しぶりだった。

 小さい頃よく通った駄菓子屋は、当時と比べて色褪せ、小さくなってしまったように見える。実際には大きさは変わっていないのだろう。ただ僕が東京のきらびやかなショップに慣れてしまっただけだ。近所の団地も空き家が増え、壁にツタが張っている。町全体に、なんとなく活気がない。

 母はあの事件のあとも、変わらずにこの町で暮らしていたのか。そう思うと途方もない気持ちになる。


 歩いていると、歩道脇に植わるソメイヨシノが目に留まった。冬の桜は寒々しく、またそれ以上に昔の記憶と比べて木が痩せてしまっている。幹から小さな蕾らしきものが生えているのが分かった。

 胴咲きと言うらしい。桜は寿命が近づくと、木の幹からも花を咲かせるのだという。命を燃やし、手段を問わずに個体を増やしたいという本能なのだろう。まあ、ソメイヨシノは全ての個体がクローンであり、彼らの花から個体が増えることはないのだが。

 そう思えば、葉の落ちて節くれだった枝々が、何かを乞うように天に伸ばされた老人の腕のようにも見えた。

 ソメイヨシノは、親株から分かたれたその瞬間から、植物としての天命を全うできない事が決まっている。ここにただ根を下ろし、死ぬまで周りに倣って花を咲かせ続ける、それは彼にとって幸せなのか。この痛々しい姿が、彼の、ソメイヨシノの苦しみの発露なのだとしたら、きっと……それから逃れたいはずだ。そう思って、届かない天に手を伸ばしているのだ。こんなにも苦しそうに。


「……はは、何考えてんだか。……もう疲れたな」


 言葉が漏れた。

 僕は鞄からロープを取り出し、輪っかを作ると、桜の枝に引っ掛けた。

 段差を天へ一段登る。お天道様に詫びるように、輪の中に頭(こうべ)を垂れ、──


「……な、にやってんだよ! お前!」


 まさに足が宙に浮こうとしたその時、肩を強く引かれた。僕は体勢を思い切り崩して、後方に倒れる。桜の根に強かに腰を打ち付けて呻き声が出た。


「おい、吉野。お前今日お母さんの葬式だろ、……何してんだよ」


 未だうずくまる僕の頭上から降ってくるのは、恐らく高校の同級生の声だ。特段仲が良かったわけではない。卒後も地元に残ると聞いていたから、変なやつだと思って記憶に微かに残っていただけで。

 こんな所で、こんな時に出くわすとは思っていなかった。


「死ぬつもりだったのか」

「……久しぶり、宮木だったっけ」

「宮本な。1本足りない。……なあ、吉野……」


 宮本は僕を見ては目をそらす動きを何度か繰り返した後、眉を吊り上げ、手を差し出してきた。


「…………メシ、奢るからファミレス行くぞ」


──────

──────


 言われるがままファミレスに来ると、平日ということもあって客は疎らであり、店内の奥の方の席に通された。

 適当に注文した後、品物が届くまで沈黙が降りる。


 宮本は終始気まずそうにしていた。

 目の前で死のうとしていた人間にかける言葉を頑張って探しているのだろう。僕はため息をついた。


「……ごめん。あんなところ見せて。疲れてたみたい。本当に気の迷いだから、心配してもらわなくて大丈夫。母さんも自殺だったからさ、まあ……そんなところだよ」

「その言葉は世界一信用がない」

「そりゃ、そうか……」

「…………」


 疲れているのは本当だった。僕は一人っ子だったから、東京から飛んできて慣れない喪主をやっていたのだ。申し訳ないと思いつつも言葉が出ない。


「なあ、その。……やっぱり、あの事件のことで、……」


 宮本の目が逸れる。

 ああ、と思った。

 彼は僕にとってはただの同級生の1人であっても、彼にとって僕はある種特異的な存在なのだ。

 それを改めて突き付けられて、視界が暗くなる。


「…………そうなんだろうね、きっと」

「…………」


 宮本がどんなに気まずそうな顔をしていようと、僕や母を取り巻く環境は何も変わることがない。

 僕と話す時間なんて一刻でも早く切り上げた方がいい。彼のためにも。

 そんな気持ちと、一度死に瀕した虚脱感と、疲労とで、何だか僕は全てがどうでも良くなっていた。お冷を含んでから、口を開いてみる。


「…………僕は、死んだ方がいい人間って居ると思ってる」


「……例えば? ……自分、とか言うつもりなのか?」


 宮本は息を飲んだが、そう言ってきた。

 彼は真剣な目をしていた。必ずしも僕を救いたいとか、死を思い留まらせたいとか、そう思っているわけではないだろう。それなのに、こんな僕に関わろうとしている。

 そんな宮本に言うには、やや良心が咎めるような気もしたが。


「……僕もそうかもだけど、うちの父親って言う方が分かりやすい」

「…………ああ〜……」


 宮本は今度こそ目を逸らし、なんとも言い難いと言うように口元を手で覆った。


「人を殺した人間なんて、生きてる価値はないからね。……何も間違ったことは言ってないだろ」

「それは……」

「この町で何十年ぶりかに起きた殺人事件。その犯人に生きてる価値はない」


 父は7年前に人を殺した。

 酔った勢いで友人を殴ったのだそうだ。

 懲役7年を言い渡され、近々出てくる予定だった。

 それを待たずして、母は自殺した。


 あまり大きくない町だ。加害者である父も、被害者であった男性も、よく知られていた。それだけに、平和な町に『犯罪』の影を落とした父は疎まれ、憎まれた。その矛先は、唯一地元に残った加害者家族である母にも向いた。それを苦に母は自殺したのだ。


 宮本はしばらく黙り、水を口に運ぶ。緊張しているのだろう。


「宮本、君……ずっと地元にいたなら、母がどんな扱いを受けてたか分かるだろ。僕についても色々言われてたんじゃないか」

「…………」


 宮本は何も言わない。沈黙は肯定を痛いほどに表していた。


「僕は若い頃の父によく似てる。それにそんな状態の母を置いたまま、ずっとここへ帰らなかった。それたけで薄情だ」


 事件が明るみになった頃、ネットニュースは大騒ぎだった。と言っても、他の刑事事件に埋もれる程度ではあったが。

 それでも何人もの他人が父の犯罪を罵り、囃し立てた。『人間の末路』『一発で人生終わらせてる中年』『酒は人間の本性を出すからな』『家族が可哀想。犯罪者の家族として一生生きていくんだ』『殺人者の家族も得てしてみんなどこか壊れてる』

 そんなことが、無秩序に、混沌と、無節操に、書き綴られていた。

 僕はそれをスマホを通して遠方からじっと見ていた。

 帰るのが怖かった。僕は事件の詳細すらよく知らない。そのまま父の裁判は進み、塀の中へと消えていった。


「世間の声は明らかだ。殺人者はクズ。生きる価値がない。世のためにさっさと死ね……こんなものばかり。それが普通で、僕も母も異論はないんだ、本当に」

「でも、……お前はお父さんとは違うだろ。人を殺すのは許されないことだが、お前はやってない。……」


 僕は宮本の目を見た。

 どうしてそこまで、苦しいフォローをしようとするのか。……全く分からない。


「……ああ、そうかもね。まだ、やってない」

「まだ、って。お前な」

「それに宮本、ちょっと違う。母は世間からの悪評を苦に死んだわけじゃない」

「……何でわかるんだ」

「僕も母と同じ気持ちだからだよ。……悪評が嫌なら、こんな町を捨てて遠くへ行けばいい。数年静かにしてたら、『ちっぽけな』殺人事件の犯人なんて風化して忘れられるし、それも危ういなら名前を変えて過ごせばいいんだから。ただ母はそうしなかった。……父のことを愛してしまっていたからだ」


 僕はもう一口水を飲んだ。宮本は黙って聞いている。不用意に口を挟むのを辞めたらしい。


「……父のいた土地を守りたかったとか、そういうんじゃない。母は父の全てを知り、愛していた。父は酒癖が悪かったし、生来の短気を理性でおしこめていた人だった。だから酒を飲んで何かを起こすのは、いつかやると思っていた」

「父を愛していたこと。……それは僕もそうだった。幼い頃は酔った父に殴られたこともある。でもその度に父は憔悴して『これは俺の悪い所だ。お前を愛している』と言った。僕は父の暴力が怖くて、直後の甘い言葉だって僕を丸め込む何かだと思っていた。……ただ、上京して父と距離を置き、さらにあの事件があったことで分かったんだ。父は生まれつきああで、自分の気質に誰よりも悩んでいたんだと」


 宮本の顔が歪む。

 生来のダメ人間じゃないか、そう目が語っていた。


「だから死んだほうがいい人間は存在するって言ったんだ。父はこの世に向いてない。あるべき人生を全うするのに欠陥がある。道を一歩踏み外しただけで明らかになってしまうほどの欠陥がね」

「そして、……そして、母は父の欠陥を愛してしまったんだ」

「父がなぜ酒癖が悪かったか。それは……仕事があまりにもストレスだったからだと今なら思う。勿論それで他人に暴力を振るうことが正当化されるわけじゃない。ただ、……父と、世間。一体何が違うんだ?」

「母は、そんな父の欠陥を容認しない『この世』が憎くなったんだ。だからこの世を去った。……」


 ファミレスの窓からも桜の枝が見えた。

 ソメイヨシノ、吉野と名のつく木。父の機嫌が良い日には家族で花見をした記憶もある。その頃はソメイヨシノの悲しき運命については知らず、ただ、桃色の花が綺麗だと眺めていただけだった。


「父が人を殺した、それは事実だけど。母は世間に殺された。誹謗中傷という言葉で括るには大きすぎる、世間の空気に殺された」

「法は何のためにあると思う、宮本。僕は、世間の大多数を守るためにあると思ってるよ。事実人の道を外れた父は弾かれて、そうじゃない僕は一応法で守られてる。……父は、法に守られない、『人間』の括りに入れない存在だったんだ」


 ただ、ソメイヨシノは普通の植物ではなかった。

 大地に根を張り、野生の桜と同じような顔をしつつ、中身は空っぽ。似ているのは見た目だけで、他より弱く短い生を、苦痛の中過ごしている。


「人を殺した父は裁かれて、母を殺した世間は裁かれない。これは変じゃないか。不平等だ。結局この世は数が全てで、……何が原因であろうと、この世からはみ出た人間は十把一絡げに捨てられる」


 やり場のない感情を吐き出したくて、拳を強く握ってしまう。

 母の死が、父が生んだ悲劇の結末が、僕にもやはりのしかかっているらしい。母がこの世に耐えられなくなったのなら、次は僕だ。……母が死んだから、自分が死んだって悲しむ人はもう居なくなったのだから。

 僕自身、この歪さを抱えた世の中を、弾かれる少数として生きていくには苦痛が大きすぎた。


「宮本」

「……なんだ」

「なんで僕に声を掛けたんだ。高校の時だって、そんなに仲がいい訳じゃなかっただろ」

「……それは、……見過ごせないだろ、人として」

「……そうか、優しいんだね、君は」


 宮本は僕の言葉に眉を下げる。くしゃりと顔を綻ばせ、机にひじをついた。


「……去年、姉さんが自殺で死んだんだ」

「だから、という訳じゃないけど。見過ごせなかったのはそれが理由」


 自殺。宮本の口から出たその言葉に体の筋肉が強ばった。


「……そうなんだ」

「優しい訳じゃないぞ、俺も。ただ……体が動いた。もしかしたら、姉さんが死ぬ時の気持ちを知りたかったのかもしれない。……遺書もなかったし、長年連絡取ってなかったから」


 胸がバクバクと強く打つ。全身が燃えるように熱くなるのがわかる。宮本の話に、何か言いようのない強烈な拒絶感があった。

 だが、それが言葉になる前に宮本は言葉を続ける。


「……姉は高校を出てすぐ都会に出て、そこで夢だった服飾の勉強をしてた。……ただ、やっぱり夢を叶えるってのは厳しかったみたいで。……俺や親には言ってなかったみたいだけど、借金を抱えてたみたいでさ」

「遺品を見るに夜の仕事とかもしてたみたいだけど、最後は自殺した」

「……俺が地元に残ってたのは、出ていった姉の代わりに家を継ぐ必要があったから。……家が、じいちゃんの代から続く店でさ。……別に不満はないけど、……」

「姉さんを救えなかった後悔があって。……せめて、お前のことは救いたい、とか思ってさ」


 宮本の言葉が針のように身に刺さる。苦しみに身を捩っても捩っても、それは全身の、穴という穴に刺さって、内臓までをも切り刻むような心地がする。

 これは何なのか。むしろ宮本は姉の死を通じて、僕の苦しみを理解しうる人間なのではないか。そうも思うのに、耐え難い。


「…………やめてくれ」


 掠れた声でそう言うと、宮本ははっとバツの悪そうな顔をする。


「……悪い。今する話じゃないよな。……」

「……違う。……全く違う。……そんな人と、僕を同列に並べないでくれ」

「…………は? どういうつもりだ? 俺はお前を心配して……っ」


 突き放すような言葉に、宮本の眉が寄る。

 さらなる言葉を言いかけて、僕の手前黙ったらしい。

 違うんだ。


「……違う、多分逆だ。……僕は君のお姉さんと並ぶほど綺麗なものじゃないから」


 確かに、宮本の姉と僕や僕の母は、世間から弾かれた人間としては似ているのかもしれない。しかし、違う。違うという言葉が脳を木霊する。


「…………君のお姉さんは正しい。正しく生きて、……潰れてしまった」

「誰がその話を聞いても、冷たく扱うことはないだろう」


 脳裏に浮かぶのはつい昨日の光景だ。

 電車を乗り継いでこの町にやってきた僕は、駅を出るなり早々昔の知り合いと会った。

 『お母さんは残念だったね。まあ、あの父がいたなら仕方がないよ。早く忘れることだね』

 『あんたはお父さんによく似てる。東京で何かやらかしてないだろうね? ……ああ怖い』


 そう、冷たく言い放たれた。

 母の死にすらこんなことを言われるのか、と思った記憶がある。母が死を選んだことに深く納得したものだ。

 父が出て来たところで、この目線は強まるだけだとはっきりとわかった。母は父と再会する前に死にたかったのだ。きっと、さらに辛くなるだろう現実に耐えられないと思ったから。

 刑が罪をすすぐというのは真っ赤な嘘で、実際には抜けることの無い太く大きな杭が心臓に突き刺さっている。

 そのまま朽ちていくしかないし、何をしようともそうあるだけ。


 ソメイヨシノとほかの桜の違いだ。


 ふと、そう思った。

 ソメイヨシノは天命を全うできない。しかしそのまま枯れることこそが、ソメイヨシノとしての『天命』でもあるのだと気がついた。

 他の桜は、他の木々は、葉を茂らせ、花を咲かせ、実を付けるのだろう。中には病魔に侵され天命を全うできない桜もいるだろうが、それは『悲劇』だ。


「僕や母、そして父の『悲劇』は、汚れている。正しくないんだよ。世間の誰が僕らを擁護する? それがないから母は死んだんだ」

「……死人に口なしと言うけど、悲劇に貴賎はある」

「悪人が朽ちるのは因果応報で、善人が朽ちるのは悲劇だ。そう決まったんだよ、きっと父が生まれ落ちたその時から。いや、もっと前かも……」


 気が遠くなる。

 父は僕を祖父母に会わせようとしなかった。父が僕に暴力を振るい、その後に強く抱き締めるあのサイクル。あれはその行為単体に対する懺悔だけというふうにも見えない。

 父を縛っていた因果の鎖が何処から生まれたものなのか。……想像することしかできないが、もしそうなのだとしたら、あまりにも途方もないことだと思う。

 父がソメイヨシノならば、接ぎ木した『大元』があるはずなのだ。

 宮本は長い息を吐いた。それは僕と彼の間に横たわり、僕らの間に壁を作るようだった。


「……お前の苦しみは正直分かんねえよ。さっぱり分からん。……俺には犯罪者の家族はいないし。でもやっぱりお前に死んで欲しくない。……お前と姉を、勝手に重ね合わせてるのは分かるけど」


 言葉の一つ一つが僕を毟る。

 そもそもそんなに無神経なのだからお姉さんも君を頼れず、死を選んだのではないか。そんな言葉が出そうにもなる。

 いや、言ってしまったって良い気もした。

 そうしたら彼の過度な同情で曇った色眼鏡もクリアになるだろう。


「……じゃあ、僕が人を殺しても同じことを言える?」

「何言ってんだ、お前」

「僕の母は世間の冷たさに殺された。だから僕は世間を憎んでいる。この世から人間が1人でも減るのなら、誰でもよかった。だから無差別殺人をした後に自殺を試みている。……これでも同じこと、言える?」


 宮本の額に汗が浮かぶ。

 言えない。言えるわけがない。


「……君は僕に共鳴してるけど、それは僕の一部分を見てるに過ぎない」

「……僕は今年25になるけど、まだ酒を飲んだことがない。父の酒癖が悪かったのを知ってるし、……酒を飲んで父のように人を殺さない自信がないから」

「君が話してる吉野って男は、殺人者の血を引いてるんだよ。僕はそれを恐れているんだ」


 またしばらくの沈黙が降りて、僕はため息をついた。宮本の目には葛藤と恐れが映っているのが分かる。

 どんな理由があろうと、宮本は僕に手を差し伸べた。けれど僕が殺人者の息子であるという事実が、やはりその決心を鈍らせているのだろう。

 怖いに決まっている。何も不思議なことはないし、怒りもわかない。

 むしろ、中途半端に手を伸ばそうとする宮本の善性に辟易しているくらいだ。


 人はみんな生きる価値がある。

 そう言う人間は、生きる価値のない人間を人間として扱っていないだけだ。


 ふとテーブルを見れば、いつの間にか料理が届いている。もう冷めてしまっているようだ。


「……食べたら? 僕は、お腹空いてないから遠慮するよ。……お代も置いておくから」

「おい、帰る気か?」

「……食べる気がないなら居るだけ迷惑だろ」


 席を立とうとすると、宮本に腕を掴まれる。


「何?」

「…………ロープ、置いてけ」


 え? と声が出たが、すぐにそれが僕が首を吊ろうとしたものだと分かる。

 宮本の目がいやに真剣で、馬鹿みたいだと思った。


──────

──────


 ファミレスを一人で出た。ロープも結局宮本に取られてしまった。

 僕は再び桜の植わる道を歩いている。式場に戻らねばならないからだ。

 その道中で、先程見た桜を偶然見つけた。

 幹に蕾が生えている、まもなく枯れることが決まったソメイヨシノだ。


「……ここで首吊ってたら、枝が折れていたかもな……」


 細くなった枝に触れながら、そんなことを思う。

 この蕾も春には綻び、綺麗な花になるのだろう。例えそれが何も実を結ばず、世間に馴染むために無理やりに咲かせたものだとしても。


 父の出所の日が近付いている。

 父はきっとこの家に戻るだろう。そうでなければ僕を頼る他ない。僕は父に会うべきなんだろうか。父と会ったとして、何も出来ないし、変わるものもない。

 この世に適合できなかった、他の桜のように花を咲かせ続けることも出来なかった『成れの果て』を見て、僕の諦念が深まるだけのような気もする。


 ただし。ソメイヨシノの天命が朽ちることだとしても、ソメイヨシノはそう思っていないのだろう。幹から蕾を出す彼を見ているとそうも思う。

 僕は自分がソメイヨシノであることを知ってしまった。だから生の意味を見いだせなくなってしまった。殺人者の血を次代に残す気はさらさらないし、この変えようのない事実を他人に隠したまま生きることは、あまりに苦しい。


 ただ、自分がそんな天命であると知らなければ、ひとつでも実を結ばせようと、周りと同じように花を付けようとするのかもしれない。苦しい生から逃れたいのか、安楽を求めているのか、必死に枝を天に伸ばして……


 僕は幹から目を逸らした。

 それはあまりにも悲劇だと思ったからだ。

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