仙人

青尾御牡緒林檎

仙人



 男は作家だった。稀有な名作を産んだ、という自負は無かったがそれでも長年作家として食い扶持を繋いできて、自分に集積した知識には誇りを持っていた。故に齢65にして彼は恐れていた。その自ずと自然に成った象牙の塔がいとも容易く、老いという自然の摂理を前に虚しく崩れ去っていくことを。

 彼はその恐怖心を糧として歩を進め、山頂に辿り着いた。乾いた手で霞を掻き分けて、小さな小屋へ。そこには仙人が住む。 

 仙人はその老耄を見るや否や語り出した。


 「またガキが怖気付いたか。」

 

 仙人の生きた時間は無窮悠久であり、仙人にとって人の時間など一瞬の光芒に等しい。

 老人は仙人に問いた。だが老人が問いたのは彼が求めた不老不死の法ではなく、仙人自身の産まれについてであった。老人の作家としての本能がそうさせたのである。

 仙人は答えた。


 「大抵不老不死の法を問いてくるんだが、そうきたか。」


 「光すら地上に差さない冥王代、私は間欠泉にて産まれた。」


 「最初は隣の奴らと同じ、原初大陸の小片にしがみ付く単細胞生物だった。所謂ルカというやつさ。」


 「だが私は周りに漂うルカ達と違って愚鈍でな、最初に得るべき進化を落としてしまった。」


 原初の生命は数を増やすことによって種を存続しようとした。それには死が不可欠であった。だが仙人は死を獲得しなかったのだ。故に仙人は仙人という個でありながら種である。


 「それからは徒然に、この膜に他の命を映し出して模倣し続けた。それが私の生存方法だからな。」


 彼は人の形を象っているが、その正体は膜に映る絵画である。仙人は人という複雑な生き物よりもゾウムシやアメーバなどの単細胞生物に近い命であった。


 「最初はルカ、時にはディッキンソニアとして浅く暖かい海を漂い這っていたし、時にはピパクロサウルスとして大地を踏み締めて葉を喰んでいた。」


 仙人の語り草に老人は興奮した。作家としての魂に火がついた。


 「また嬴政のような男が来たと思ったが、君は彼とは違うタイプか。いいだろう、隠すものでも無し存分に語ってやろう。」


 老人は与えられた自らの時間について問いた。なぜなら老人自身が自らの与えられた100年という時間について、不足であると考えていたからだ。


 「ゾウもネズミも己の与えられた時間について疑問を持たない。生き物はその生き物の感覚で生きている。」


 「私はこの数十億年の月日の中で一度も寿命について不満に思ったことはないよ。」


 続け様に老人は問う。ではなぜ私は、私達は己の時間について短いと感じているかと。仙人は答えた。


 「それは君という個が社会を己の肉体の一部だと誤認してしまっているからだ。」


 「人はあろうことか傲慢にも、社会の変革を己の時間で考えてしまう。社会という巨大な生き物の時間を考慮せずにな。」


 「だから君は自分の命の長さに疑問を持っているんだ。比較対象が100年1000年と生きる生き物なのだから。」


 老人はその答えに納得こそしたが不満にも思っていた。なぜならその答えが正であるのなら他者への行為や社会への干渉そのものに意味がなくなるからだ。そうであれば自分を損なって綴った物語の数々が徒花となる。それがどれほど虚しいことか。


 「寂しくないのか、か。私にはその寂しいという感情がわかりかねる。」


 もはや老人の興味は仙人という人ではなく、仙人という生き物に映っていた。


 「さっきも言った通り、私は個であり種だ。番も集団も必要としない。ならそれを象る為に必要な感情など不要だ。機能として持っていないんだよ。」


 老人は自らの浅はかさを恥じた。仙人はやはり人ではない。仙人を人の尺度で解釈しようとするのは間違いだ。


 「しかしまぁ、寂しいかなどはじめて聞かれたな。」


 「書斎に案内しよう。ついてきたまへ。」


 老人は地下室を一目見て理解した。ここは叡智の集積場である。ありとあらゆる時代の書籍や石版がそこには安置されている。


 「先ほど私は私という種は感情という機能がないと言ったが、それは正確には間違っていてな。」


 「本来生き物というのは快と不快と愛しか持ち得ぬものでな。私はそのうちの愛という機能を持っていないという方が正しい。」


 老人にはその感覚がからなかった。自分の感情が、脳を巡る電子の嵐がそれほどに単純なものだとは思えなかったからだ。


 「君だってそうだ。感情の母は言葉と絵だからな。」


 仙人は引き出しの奥から石板を取り出した。その石板には丸と棒の二つの図形で表された人間が描かれている。


 「これは私だ。彼女、いや彼だったか、あいつは言葉は持たなかった。だから彼には快と不快と愛しかなかった訳だが、彼は私と交友するうちに友情という感情が芽生えたんだろう。」


 「だが私には終ぞ彼に対して友情という感情は芽生えなかった。それは友情が快と愛によって構成されるものだったからだ。」


 暇ではないですか、老人は仙人に問いた。仙人は語る。


 「暇?そんなものは怠惰の言い換えだ。」


 「チーターであるのなら獲物を探す努力をするし、人であるのなら己の無知を省みる努力をするべきだ。そんな暇なんて感情、家猫と動物園の獣以外には存在しないのではないか?」


 「現に君だって不老不死の法という本来の目的を忘れ、作家として研鑽を積む為に私を利用している。全盛を過ぎた老骨なのにも関わらずな。」


 最後に老人は問いた、では私はどうすればいいのかと。この研鑽した技術すらも時間の中に溶けて無に帰してしまう、その恐怖に震えたまま死ねというのですかと。


 「むしろその為に死を得たんだろう君たちは。死を得ていない、私を超えてる為に滅びと継承のスパイラルの中で能力を肥大化し続けているんじゃないのか?」


 仙人は朽ちず、仙人には無限の時間と無限と学習時間があった。だが恐竜の王となったのはティラノサウルスであるし、初めて月に立った生物も人である。

 結局ダ・ウィンチの叡智も老人が綴る美しい文章も後に続く者がより良い物を生み出す為の土台でしかないのだ。

 そう理解したならば、自分の脳が壊れて白痴になれど惜しくない。

 

 老人は小屋を去る。俗世に戻り、己が書斎で文字を連ねる。


 仙人と。

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