Episode.27:どうかどうかと風に乗せ

 時の流れとはその時遅く感じていようが、過ぎてしまえば速かったように感じるもの。気がつけばイクスが引き起こした事件から一ヶ月の時が経っていた。

 一月の間、学園の授業はなかった。さらに、本人が希望すれば自分の家に戻ってもよくなっていたのだ。

 それもこれも全てイクスのせい。あれから毎日学園は対応に追われているのだ。


 今でこそ落ち着きを取り戻しつつあるが、当初はひどいものであった。学園の出口を取り囲むように記者などの人々が溢れていたのだ。

 寮内に残り、家に帰らないことにした生徒たちは、昼夜問わず飛び交う声に頭を痛めていたので、落ち着きを取り戻しつつあることはとても喜ばしいことである。


「なるほどなー。オレが病院で寝てる間、そんなことになってたのか」


 ルークが自分が居なかった時の話しを聞きながら、興味深そうに呟く。

 体中ボロボロであったルークだが『エンパルマ』や『エンレオナ』の力によって急速に回復し、本来の調子をすっかり取り戻していた。

 今、ネアスとルークそしてシャルの三人は並んで歩きながら、久方ぶりの再会を喜び合っていた。ルーク同様ネアスとシャルもイクスから狙われてる恐れもあり、出歩くことは許されていなかったので初日以降、一日もお見舞いに行けていなかったのだ。

 アウルには事前に許しをもらっており、堂々と外出している。


「ん、で? そろそろつく?」


「もうちょいだ、もうちょい。あと五分もかかんねぇよ。腹は減ってるよな?」


「ん、空いてる」


「私も、私も! 朝ご飯を食べちゃだめって言われたから食べてこなかったけど、そのせいでお腹ペコペコ」


「はは、そりゃあよかった」


 三人が歩いているのは学園内のどこかではない。ツォルンヴールの中心地に存在する『エレナ』と呼ばれる集合商業施設を訪れている。

 ツォルンヴールに存在する店や施設の九割以上が収められているエレナは広大で、学園以上の広さを誇っていた。そんな場所にお腹をペコペコに空かせて来た理由はただ一つ。


「ついたぞ!」


 三人の約束を果たすためである。元気を取り戻したルークに連れられてネアスとシャルがやってきたのは、とある飲食店。外観はまさにご一見様お断りといった固い印象を感じさせる。華やかな装飾こそないが、それが味だけで勝負しているような気概を存分に感じさせた。

 周りの建物からは若干浮いている引き戸を引き、先んじてルークが店内へ足を踏み入れる。


「……いらっしゃい。お、坊主か。久しぶりだな」


 まさに職人といった見た目をしている、アスラほどではないが強面の店主が気さくにルークへと話しかけてきた。


「久しぶり、おっちゃん。よくオレってわかったな。だいぶデカくなったと思うんだけど……」


「客の顔を忘れるはずないだろ。それに親父さんに似てきてるしな。そりゃ、誰でもわかるだろうよ」


「……そうかな? 三人、いい?」


「席は好きに選べ」


 旧知の仲なのだろう。親しげに言葉を交わした二人へシャルは驚いたようにネアスへひっそりと耳打ちする。


「この二人、知り合いなんだね」


「ん、そうっぽい」


 入口でコソコソ二人が話している間にルークは席についていて、今なおその場から動いていなかったネアスとシャルを手招く。ルークが座っていたのは四人がけのテーブル席であった。

 ネアスがルークの隣に、シャルが対面側について、言われるがままに腰かける。席についたあと、シャルは入ったことがないタイプの店であったためか、落ち着かないように周囲をキョロキョロ見渡していた。


「行きつけ?」


「いんや。オレの父さんの行きつけ。オレが行ったのは一度だけだな。父さんが死ぬ少し前に連れてきてもらったときだけ」


「そ、そうなんだね」


 存外触れづらい話に言葉を詰まらせるシャル。

 そんなシャルの表情を見たルークは優しく笑って、


「すまねぇ、少し暗い話になってたな。別にオレは平気だから気を使わなくていいぞ」


 心配いらない、と付け足した。

 ならば気にしないと頼むメニューを吟味しようとしたネアスだが、周囲にそれらしきものがないことに気がつく。それも、メニュー表を持ってきてくれるような店員はいなく、店主も調理場で作業をしているだけで、運んでくるような様子はない。

 仕方がない。隣りに座るルークの脇腹を人差し指でツンツンとつつく。


「どうかしたか、ネアス?」


「ん、ルーク、メニューとかってどこ?」


「ああそっか。言ってなかったな」


 ルークは思い出したように掌をポンと叩く。


「ん、何も言われてない」


「悪かったて。この店にはメニューがねぇんだよ」


「え? そうなんだ。珍しいよね? 私、見たことないよ」


「オレもこの店以外では見たことない。で、何が出されてくるかはお楽しみだ。楽しみはとっておいたほうがいいからな。でも絶対満足すると思うぞ」


「へえー。じゃあ、すごく楽しみにしてよ」


「ん、ネアスも」


 三人とも揃って店主の方へと顔を向ける。とてもよい音と香りに誘われたのだ。

 腹ペコ三人組は、料理が出てくるのを今か今かと待っていた。


     ◇


「……お待ちどう」


 少しぶっきらぼうな店主が運んできた料理がテーブルに並んでいく。


「お、おお……」


 思わずネアスの喉から声が漏れ出す。テーブルに並べられてものの中でも一番目を引くのは、今なお焼ける音を響かせるステーキ。

 過去類を見ないほどにいい香りを漂わせたその一皿に、ネアスはゴクリとつばを飲んだ。想像以上のものが目の前に現れたことに硬直したネアスを、ルークは満足げに眺めていた。


「へへへ。これはただのステーキじゃないぜ。本物の”肉”を使ったステーキなんだぞ?」


「ッ!?」

「え? えっ!? えー!?」


 ネアスとシャルの反応に満足気に頷くルーク。それが見たかったと言わんばかりに笑って見せた。

 突然の言葉で、完全に受け止めきれていないシャルが声をうわずらせながらルークへ問う。


「に、肉って、あの肉? 牛とか豚とかの……」


 常日頃、多くの人々が食べる肉とは、大豆を加工して作られたもの。動物性の肉など、ほんの一部のものしか食べられないような高級品なのだ。

 存在は知っていても見るのは初めて。これまで食べてきたものと比較するのも烏滸がましいくらいの芳醇な匂いを漂わせるそれを、普段から食べているものと同種とすることなど恐れ多く、とてもではないができない。


「ああ、もちろん。大豆で作られたものじゃない、正真正銘の牛肉だ」


「――――」

「――――」


 ネアスとシャル、二人揃って声にもならない歓声を上げる。本物の肉だ肉。いつも食べている植物性の肉には悪いが、狂ったように二人とも体を震わせた。

 絶対に手が届かないような高級食品。信じられないほど二人のテンションは上がっていたのだ。


「まずはこっちの……って、おい!」


 何かを喋ろうとしていたルークを他所に、我先にとネアスは肉にかぶりつく。顎へ伝わる確かな弾力。しかし噛めないなどということはなく、歯はするりと沈んでいく。

 歯が沈めば沈むほど強く感じるようになるのが、肉から溢れ出す旨味を凝縮した油。旨味を直接的に感じる味わいだが、決してくどくない。飴玉のように口内に転がしていたはずの肉は、綺麗さっぱり消え失せた。筋が残るということすらなかった。


「うま、うま……!」


 なくなれば次、またなくなれば次といったように、口の中から肉を途切れさせないように運び続ける。楽園だ、楽園はここにあったのだ。


「喜んでくれたようでよかったよ。二人とも、一回そこのスープを飲んでみろよ」


 無我夢中で食べ進めていたネアスだが、素直にルークに従ってスープの容器を持ち上げる。食べている者の邪魔をするような無粋な人間ではないルークが、わざわざ口を挟んだのだ、期待を胸にあおる。

 流れ込んできた、また別種の旨味にネアスは目を大きく開く。野菜の優しい味わいに、それを支えるキノコのダシによるコク。無意識のうちにネアスの体は揺れていた。


「でだ、もう一度ステーキを食ってみろよ」


 言われるがままに再びステーキを口へ運ぶ。かじりついたその瞬間、ネアスは体中に稲妻が走ったような感覚に襲われた。


「な、うまいだろ?」


 口いっぱいに肉を頬張っているネアスはルークの言葉に何度も頷く。

 スープによって口の中に溢れていた肉の油を一度流したことで、また一口目のときのような強烈な油の旨味を味わうことができた。感動そのままに一度は避けてしまっていた真っ白でホカホカのごはんを頬張る。まさに夢見心地であった。


「ルーク、ルーク! すごいよ! これすごい美味しい!」


 ネアスたちの向かいに座っていたシャルもシャルで、興奮そのままに今の心境を述べる。


「そりゃよかったぜ」


 シャルはネアスよりも全体的に料理をバランスよく食べていて、副菜などを含む付け合せなども減っていた。そこでようやくごはんとスープ以外の食べ物へ目を向ける。

 基本的に付け合わせは野菜が主軸であり、彩りもとてもよい。普段食べれれば彩りなど気にしないネアスであるが、この店のこだわり故か、少しばかり彩りに気をつける気持ちを理解できたような感覚を覚えた。


 三人揃って、ほとんど言葉を発しようとしなかった。

 今はただ、この至高の逸品の全てを享受したい欲求に駆られていたのだ。

 子供が食べるには些か量が多いが、彼らは朝食を抜いてきている。常日頃から大食いであるネアスとルークはもちろん、人並みしか食べていないシャルですら問題なく全ての料理を胃袋へ収めていった。


     ◇


 食事開始から約二十分。テーブルに並べられていた大量の料理たちは綺麗さっぱり消え去っていて、空っぽになった器だけが残っていた。

 三人してお腹を摩り、今はなき豪勢な食事へと思いを馳せる。


「ふう。腹いっぱいだ。二人ともそろそろ動けるか?」


「ん、余裕」


「私は……まあ、ギリかな?」


「よし、それならもう出るか」


 椅子を引いて立ち上がろうとしたルークに、シャルはぐっと体を引き寄せて耳打ちする。


「ルーク、お会計大丈夫なの? 私もちょっと出そうか?」


 肉は高い。とてもではないが一学生が三人分のお金をポンと出せるはずがない。シャルとネアスを連れて来たのだから、支払う算段はあるのだろうが、あまりに高価すぎてご馳走になることへ気が引けてしまったのだ。

 肉のステーキを心のままに堪能していて今更の話ではあるが、どうにもはいお願いします、と簡単には言えない。


 しかしシャルの思いも裏腹に、余裕しゃくしゃくといった態度のルークはチッチッチと右手の人差し指を振る。振ってない方の手、すなわち左手をバッグの中へ突っ込むと、一つに束ねられた小さな紙切れを取り出した。

 少々古びているが折れ目などはなく、丁寧に保管されていたことが窺える。


「心配はありがとな。でも大丈夫だ、約束だしな。おっちゃん! お会計いい?」


 ルークの声に反応し、奥の部屋で作業していたであろう店主が顔を覗かせる。


「これで大丈夫?」


 束から紙を三枚だけ取り出してルークは店主へ差し出す。


「問題ない。礼、だからな」


 視線を僅かに上に向けた店主は深く息を吐いた後に、ルークの手から三枚の紙を受け取った。


「また来いよ」


「たまに、ね。美味しすぎて舌が贅沢になっちまいそうだからさ」


「……そうか」


 ルークと店主のなんてことない掛け合いを見ていたシャルは、脳全体にはてなマークを何個も何個も浮かばせた。

 食事の支払いは済んだ様子。始めは割引券か何かかと思っていたが、十割引で会った模様。すなわち実質タダ。高級食材である肉を使った料理でだ。


「二人とも、もう行くぞー」


「ん」


「――――」


 呆然としているシャルを尻目に、二人はとっとと店を出ていった。


「え? あ、え!? ちょっと待ってよ二人とも!」


 扉が閉まった音でようやくハッとしたシャルは「さようなら、美味しかったです」と店主へ伝えると、急ぎ足で店を出る。

 流石の彼らもシャルを完全に置いていく気はなかったようで、店の直ぐ側で待ってっくれていた。


「おー、どうかしたのかシャル」


 まるで何事もなかったかのような態度で話しかけてきたルークに、小さくため息をつく。


「ねえねえルーク、さっき店主さんに出してた紙って……」


「おう、この店の無料クーポンだな。父さんからもらったんだよ」


「ひえー。あの料理を無料って、大丈夫なのかな?」


「わからねぇ。一応一度言ったら次行くまでの期間は十分空けようかなって思った。改めて食べてみると少し申し訳なくなったわ」


 後頭部を掻くルークを見ながら、シャルは静かに納得する。なるほど、確かにこのお店の無料券があるから、子どもであるルークがこのお店に二人を連れてきたのだ。疑問が一つ解消されて、シャルは僅かに晴れやかな気分を覚えた。


「それがいいと思う。絶対大赤字だもん」


 そしてルークの言葉を肯定する。あと何枚無料券があるのかは知らないが、行きすぎたらお店が潰れてしまうだろう。


「さて、帰るか」


 今日外出したのは、あくまで料理を食べに行くためだけ。あまり長い時間学園から出ているわけにもいかないので、さっさと三人は学園への帰路へ立つ。


「どうだネアス。満足したろ」


「ん、大満足。また死ぬまでに一回は食べてみたい」


 ネアスの言葉に同調するようにシャルも頷く。死ぬまでにもう一度食べたい味。あれはそれに称するのが相応しいと、どこから目線かわからない考えを胸に定めた。


「これであの日のことはチャラでいい。シャルは?」


 あの日とは、イクスという学園の侵入者が事件を起こした日のことを指している。

 今回料理をご馳走してもらった理由も、それがあってのことだった。いや、一応入学式のときにチョロっと約束していたので、それ含めてである。

 懐かしむようにネアスの、ルークの顔を見る。


「うん、もちろん! そもそも私が助けてもらったんだしね」


 ネアスと話した今だからこそ言えることだが、シャルが変に悩み込んでいた弱みを疲れたのだ。シャルがイクス罠に嵌った、それが事件の始まりだった。

 本来であればルークが謝るべきことなどほとんどないのに、どちらかと言えばお礼と謝罪をするべきは自分の方だというのにだ。


「ねえ、ネアス、ルーク!」


 トトトとステップを踏むように軽やかな足取りで二人の前へ躍り出る。

 二人は謝罪を受け入れないだろうし、されたとしても全く嬉しくないだろう。それに湿っぽい話はあの時に全て済ました。今さら掘り返すものでもない。

 だから――


「ありがとうね、ネアス、ルーク。私を助けに来てくれて……!」


 バタバタしていて、伝えられていなかった言葉を満を持して口にした。

 フワリとこの街では珍しい異臭のしない涼し気な風が吹いて、シャルの髪を揺らし、そしてネアスの重ための前髪を、ルークの左右に分けられた髪を同じように揺らす。


「う、あぁ、えと……」


 答えを探すように口ごもったルークの脇腹を、ネアスは力強く肘でつつく。

 ルークに手本を見せるかのように淡々と、それでいてどこまでもネアスらしい言葉を口にする。


「ん、どういたしまして」


 受け取れるものは素直に受け取っておく、シャルとしてもとても好感が持てる。

 再度ルークの脇腹をつつき、今度は背中も叩いて一歩前に足を進ませた。さっきまでの調子のよい態度はどこへやら、完全に困っているルークの顔を見て、思わず小さく吹き出した。

 この三人は誰か一人でも欠けようものなら成り立たないな、と心の底から感じて。


「あー、なんだ……。どう、いたしまして?」


 色々思うところがあるのだろう。いまいちハッキリしないルークの言葉にネアス共々笑い出す。


「わ、笑うんじゃねぇよ! ……フッ、ハハハッ」


 やがて本人も笑い出す。

 全てではないが確実に戻ってきた日常に喜びを、この喜びがずっとずっと続きますようにと願い、その願いは風に乗って飛んでいく。


 ――どうか未来の自分たちへ届きますように、と。

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