第19話 唐と半島三国

 大陸に現れた大国、唐は、半島の三国(百済、新羅、高句麗)だけでなく倭国にとっても注意を要する相手だった。半島三国がいずれも唐の冊封さっほうを受け、定期的に朝貢していたのに対し、舒明天皇の第一次遣唐使による初手の外交で躓いた倭国はいまだ唐との正規の国交を持たずにいた。


 ただ、半島三国が唐の冊封を受け朝貢していたとしても、唐は半島の直接支配を諦めていたわけではない。互いに争い合う半島三国に干渉し、最も効果的な侵攻の機会をうかがっていただけだった。


 皇極天皇が即位した同年、高句麗では将軍である淵蓋蘇文えんがいそぶんが高句麗王を殺害した。唐は事件の直後は事態を静観していたが、二年後に、かつて冊封した王が殺害されたことを口実に高句麗侵攻の準備を始めた。


 王権の重臣が王を殺害して実権を強奪するという高句麗のクーデターについては、倭国に頻繁に訪れる百済の使者を介して皇極天皇や蘇我蝦夷を含む倭国の王権中央も把握していたと思われる。


 百済では、前年に死亡した百済王武王ぶおうの跡の王位継承をめぐって王権内部に内紛が起きていた。新たに即位した武王の嫡男である義慈王ぎじおうは、弟の一族を百済から追放した。この一族が倭国に渡って蘇我氏の保護を受けていたのである。


 新羅は、度重なる百済との戦争に疲弊し、また百済と高句麗が協調関係にあったことから半島で孤立するという危険な状態にあった。新羅王善徳女王ぜんとくじょおうは唐に助けを求めた。しかし唐が新羅に示したのは「女王では隣国から侮られる。唐の皇族を新羅王にせよ」という指示だった。


 新羅にとって到底受け入れられるものではなかったが、新羅が唐に直接援軍を要請したという事実は百済にも伝わり、百済はいったん兵を引いた。もちろんこの情報は、倭国にも伝えられていたことだろう。


 この頃から新羅では、金庾信きんゆしんという新羅王族に連なる重臣が活躍し始める。金庾信は任那みまな(※)最後の王の曾孫であり、後に天智天皇や中臣鎌足にも接触することになる。


 高句麗のクーデター、百済王権の内紛、新羅への唐の要求。

 すべて皇極天皇即位の前後二、三年という時期に起きたことである。


 これらに呼応するような状況が倭国内部に出来し、やがて乙巳の変へとつながっていく。




 ※任那については「第8話 日羅暗殺」https://kakuyomu.jp/works/16818792438076286373/episodes/16818792438622154725 に、人物の名と簡単な説明は「白雉の微睡」https://kakuyomu.jp/works/16817330663626935254 のあらすじ欄に一覧記載しています。

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