7-4 結衣

 次の瞬間、工場から、けたたましい警報の振動と、赤いランプの点滅が、壁を伝わって、私の肌を刺した。

 美奈は私を突き飛ばし、休憩室を出た。

 混乱の最中、従業員たちが、避難経路へと濁流のように流されていく。

 私の配置した兵士たちも呑まれた。……くそ。


 休憩室で待機してると、班長が群れから無理やり出てきた。

《今日は解散だ》とスマホに文字を浮かばせて、知らされる。

 私は、白帽の列の流れに身を任せながら、ただ先ほどの、美奈の静かな瞳を思い返した。

 強烈に嫌な予感がして、次に会った時は、必ず手下どもに陵辱させると誓った。





 翌日は自宅待機。さらに一週間、工場は閉鎖。

 閉鎖が解けた出勤時。班長が配った事故報告書で、事情を知る。

 二番機で指挟み。ライン停止。ヒートシーラーに端材が貼り付き、発煙。……火災検知。

 最下層のバカのせいだ。欠員分の工程すら回せない無能め。


 その日、私まで労災聴取を受けた。

 会話はできない。だからプリント紙を渡されて、目の前で書かされる。


『事故発生時刻、あなた、どこにいましたか?』


 指された設問に対して“休けい”と書いた。

 私は知っている。工場のシフト管理は、紙の上で行われていることを。女王たる私の管轄内。完璧なアリバイ。

 王国は、崩させない。


 聴取後、シフト表を確認する。私の欄は、労災徴収で行った記載どおりだ。

 一方で美奈の欄には二重線——抹消を意味する。

 あいつは一体、何のためにここへ来た?





 早朝の帰り際。

 裏口で待っていたのは、いつもの奴隷たちではなかった。

 知らない顔たち。しかし作業着でわかった。日中の配送課だ。奴らは下卑た笑みを浮かべる。

 ゴミ捨て場の影には、顔が腫れ上がり、手足を縛られた、見るからに半殺しの班長。

 そいつらは何も言わずに、タブレットの画面を私に見せた。

 そこに映っていたのは、鮮明な映像。

 がに股で、腹の贅肉を揺らして見せる、タイムスタンプの刻まれた監視カメラのそれ。

 裏口で、私服の三十路女が、踊り狂っている、一部始終。


 男は、タブレットのメモ帳アプリを起動すると、そこに無機質なゴシック体で文字を打ち込んだ。


『踊れ。今すぐここで。さもなくばこの映像を本部に送る』


 私は、震える脚で、映像の中の自分の、醜いポーズを再現した。

 音楽はない。観客は三人の男。

 奴隷たちを支配したのと同じように、腰を回し、腹の肉を揺らし、踊った。

 男は満足げに頷くと、また少しだけ動画を再生した。

 唾液を男の口に流し込むシーン。

 再び映像を止め、隣の仲間の、だらしなく開いた口を指差した。


 一人が、私の尻を、作業靴のつま先で、軽く蹴った。

 一人が飲みかけの炭酸飲料を、汗ばんだポロシャツの上へ、ぶちまけた。


 ああ、そうか。

 これは、拷問なんだ。

 女王として行っていたはずの儀式の、一つ一つを。

 今度は奴隷として、完全に再現させられる。

 プライドのすべてが、剥ぎ取られていく。

 ただ、映像と同じ醜い女を演じるだけの、肉人形へと、作り変えられていく。


 獣の群れに嬲られる、一匹の雌豚。

 汚され、蹴られ、それでも踊る。

 過去高校時代は女王だった私が。

 今は魂のない人形のように、静寂の中で、踊り続ける。





 動画は流出した。

 会社は緊急会見。テレビに映し出された工場の映像。画面下には《従業員の不適切な行為/遠因で火災発生》というテロップ。

 そして、監視カメラの映像から切り抜かれた、一人の女の、ぼかされた静止画。

 個人名は出ない。けれど、だらしないポロシャツの着こなし、特徴的な洋梨型の体型、いつも同じ位置で結ばれた髪留め。


 名札を捨て、名前を殺して、生きてきたはずなのに。

 名もなき特徴が、私を、この地獄に縛り付ける。


 報道後、工場に行くと世界は変わっていた。

 誰も目を合わせない。

 ロッカーには“売女”“恥を知れ”“ヤらせろ”と書かれた、赤いマジックのメモが貼られていた。




 すべては。

 私がシフトの配置を、気まぐれに弄んだせい?

 欠員の穴埋めで、未習熟者を二番機に回したから?

 ……違う。

 動画を暴漢どもに渡した、犯人のせいだ。

 美奈。

 そして、美奈の背後にいる、学校一月乃

 気づいた。

 高校の時も、こんな風に、仕組まれた、ってこと。

 許せない。

 許さない。


「ユ・ル・サ・ナ・イ」


 舌の上で三度、骨に刻む。

 これまで味わった地獄も、これから味わう地獄も、お前に跳ね返す。

 私が死んでも、お前を、呪ってやる。

 前に見た、お前の幸せそうな腹。

 その暖かい子宮の中へ。

 私は怨念となって、過去へ逆行し、侵入してやる。

 お前が産む、その子供の血の中に。どうしようもない憎悪を、一滴、混ぜてやる。

 お前がその子を愛せば愛すほど、その子が笑えば笑うほど。

 その子の魂のどこか片隅で、私の怨念が永遠に、生き続けるだろう。

 お前の幸せの象徴そのものを、呪いの器に変えてやる。

 月乃まひる。

 必ずだ。必ず。必ず……。


 笑い声が、聞こえた気がした。

 私の人生の、全ての局面で、高みの見物をしながら嘲笑ってる。

 顔だけは天使を装って、私から何もかもを奪う、悪魔の笑い声が。

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