7-5 結衣


 冷え切った身体を引きずって四畳半のアパートに帰る。

 ドアの郵便受けに、一通の、見慣れない封筒が挟まっていた。

 白鐘法律事務所と書かれた、切手が貼られていない封筒。

 握る指が震えた。心臓が、どくどくと、嫌な音を立てて脈打つ。

 

 中に入っていたのは、「債務承継に関する通知書」だった。

 そこに、機械的な明朝体で、事実が、淡々と記されていた。


 ――元契約者、白石晶子様の失踪に伴い、連帯保証人である、長女、白石結衣様に対し、工務店との建築請負契約に基づく、債務の全額をご請求いたします。


 請求金額の欄に書かれた、信じられない数字の羅列を、何度も、何度も、目でなぞった。

 だってこれじゃあ。

 小数点ではない、致死量みたいな数字。


 じゅう、ひゃく、せん。

 一億円。

 え?

 いちおくえん。

 い・ち・お・く・え・ん。

 一 億 円。


 嘘だ。こんなの。

 こんなのでまかせだ。

 目で追うたび、数字が増える。紙の上の黒インクが部屋の壁まで侵食してくる。

 捨てた名前なのに。

 追い込まれて、捨てざるを得なかった名前なのに、都合のいい時だけ、ふざけるなよ。

 住所だって、誰も知らないはず、だったのに。

 連帯って何? 子どもは親の所有物で、言いなりにされるに決まってる。

 文字の練習みたいに、私の名前を書かされただけの、形式上の署名。

 とうの昔に、もうママではなくなったクソ女。

 自分の見栄と強欲が生み出した、途方もない負債を、私一人に押し付けて、蒸発。

 何で、何で、何で? こんなことに?


 読みたくもない、理解できない文章の羅列。


 ――元契約者である白石晶子様につき、所在不明の状態が継続しており、失踪宣告の申立てが白石 あきら様により行われ、東京家庭裁判所 令◯家ニ第12345号として申立てが受理されました。宣告確定時には法律上の死亡が擬制されます。


 ――貴殿が未成年時に連帯保証契約等を締結した件において、取消権は「追認をすることができる時から5年」または「行為時から20年」の早いほうで時効消滅します。貴殿の現在の年齢等に照らし、取消権は既に消滅しているものと当職は判断します。


 ――極度額は法改正以前に締結された契約の為定められていません。


 ――別紙様式A「支払承諾書(兼債務引受合意書)」に自署押印のうえ、令和◯年◯月◯日(必着)までにご返送ください。

 未払残元金等:100,626,831円(元金+遅延損害金+事務費)


 ――弁済期日に遅滞があれば残額を一括請求します。




 ――なお、相続の承認・放棄の有無にかかわらず、本件の連帯保証債務は貴殿固有の債務であり、影響を受けません。




 手が震えすぎて、これ以上、文字を読めない。

 白石章。

 知らない名前。だけど、家出した当時の、雌豚に靡いたゴミ彼氏の名前と一致する。 

 「債務承継に関する通知書」の一番最後、署名者である弁護人は、月乃まひる。文字に被さった、朱印の滲み。




 違う。違う。こんなの、間違ってる。

 

 私は、ただ、普通に生きたかっただけ。女王様でいたかっただけ。愛されたかっただけ。肯定されたかっただけ。

 なのに、どうして。

 どうして、私だけが、こんな目に。


 ぷつり、と。

 私の中で、最後まで残っていた、最後の、最後の何かが、音を立てて切れた。




「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

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