珊瑚礁
こずも
🪸
いつもすりあわせてる。自我が芽生えた時にはピンク色の服と、ヒラヒラがついた靴下と、「お行儀良くしなさい」の言葉があった。それに従ううちに、自分の中で何かが疼く。なんだかとても不快で不快で仕方がなくて、いつしかピンクを嫌った。それでもまだ何かがおかしくて、スカートをすて、フリルを捨て、髪の毛も短く切ってもらった。そこまでしてようやく安堵することができた。そのまま、「女の子なのに」という呪いの言葉を跳ね除けて、強く在ることができれば、どんなによかったか。
体は変わる。人間だから仕方がないのはわかっている。親も喜んでいるし、周りのみんなも自分が変わっていくのを喜んでいるし、むしろ変わってない子は劣等感を抱いているから、自分は恵まれているんだと思い込もうとする。でも、無理だった。鏡の前の自分を見て、気持ち悪いと思ってしまった。「自分の体が嫌だ」--- そうはっきり理解したら、自分の中にあるモヤモヤの正体がわかったのに、なんだか余計に嫌になった。
*
制服…私がこの世で最も忌み嫌うものの一つ。型に嵌められているみたいですごく不快だ。ただでさえスカートは嫌いなのに、「お前は女だ」と履かせられている気がして、余計嫌になる。
制服のみならず、中学校に上がってからいろんなところで男と女の境界がはっきりし始めている。それを普通に感じ取れず、間で揺れている。大嫌いな学校。何を考えているのかわからない友達。女子だけになると行われるデリケートな話に、自分がここにいて良いのか、という罪悪感に苛まれる。別に男になりたいとも思っていない私は、いったい誰となら素直に話せるんだろう。そんなことを頭の隅でぐるぐると考えながら、つまらない授業をボウっと受ける。
二時間目、朝からザアザアと降ってる雨のせいか、頭痛が酷い。目立ちたくないけど、耐えきれなくなり、手を挙げた。
「すみません。体調が優れないので保健室に行ってもいいですか」
「いいぞ。保健委員はいるか」
私の記憶が正しければ、保健委員二人のうち一人は今日休んでいて、もう一人は左から二列目の前から4番目の席の子だが、髪の毛を手でくるくると弄んで我関せずと下を向いている。
「いないのか?」教室を見渡しながら先生がもう一度聞く。
「ねぇ、早く手あげなって」
「えー?だってめんどくさいもん。わたし、真面目でさー、授業ちゃんと出たいんだよね」
くすくすと聞こえるか聞こえないかギリギリの声での会話。焦ったいなあ、もう、別に一人でいいのに。そう思うけど、やっぱり一人でまだ授業が行われている教室の前を通っていくのは嫌。
「じゃあ、学級委員の田中、お前が行ってやれ」
さっきの自称真面目保健委員よりもよっぽど真面目な田中さんは教卓の前の席ではっきりと返事して、立って、わたしの手を引いてくれた。髪の毛をいじったり小声で文句を言ったりせず、私たちの教室がある2階から保健室がある1階まで、「気にしないで」という気休めの言葉とともに。
*
保健室の穏やかなおばあちゃん先生に事情を説明して、もろもろ貰って退室すると、角の反対側から歩いてきた人に気づかずに激突した。
「わあ、ごめん」
その子はかなり短い髪の毛で、膝下との規定の制服のスカートを膝上まで短く折り、色は指定の白なものの、ダボダボな靴下を履いていた。
「立てる?保健室からでたばっかなのに戻ることになったら大変」
差し出した手は指が長くてきれいだったが、どちらかというとゴツゴツしていた。それを取ると、細い体からは思いがけない力で、ひょいと足に戻してくれた。
「一応、みてもらう?授業さぼる口実できるし」そう言ってわたしの反応も確認せず保健室に引っ張られた。
「おばちゃーーん、この子とさっきぶつかちゃった。大丈夫かなあ」
「カイ?あんた可愛い顔してっけど、ちゃんと男で力が強いんだからね、気をつけなさいよ」
私は一人でポカーンとしていた。先生に勧められてその子と一緒にソファに座ってやっと状況が飲み込めた。
「えっ…あんた男なの?」
カイと呼ばれたその子は見るからに不機嫌になった。「だったら何?」
「スカート、じゃん。」指差して言う。しかもいつ戻したかわからないけどさっきぶつかった時より長くなってる。先生の前ではバレないようにする狡猾さは保健委員女子そのままだ。
カイはさっきまでの明るい態度と一変し、仏頂面で「そうだけど」と放った。
「男なのに、はくの?女の子になりたいってこと…?」
何を思ったのか、気づいたら口走っていた。「私っ…女じゃいやだ。男になりたいとも思わないけど…それでも嫌で嫌で仕方がなくて…」
「話が見えない。なに?」
「トランスでしょ、仲間、初めて見つけた」
その子は呆れ果て、「はあ?スカートが女の子の特権だって勝手に思うなよ」と突き返した。「履きたいから履いてるだけなんだけど。」
「…えぇ…?」
「みんな変な反応するんだけど、別にいいでしょ。誰にも迷惑かけてないよ?」
「そうね、おばちゃんは可愛いと思うわ。一応、規定には沿ってるわけだしねぇ」
「でしょ!そういうことで、別に女になりたいとか思ってないんで。そもそもなんだったのさ、さっきの話ぶり。あんたの性別は女。それ以上でもそれ以下でもない」
自分のことをここまで話したのも、真っ向から否定されたのも初めてだった。なんだか頭にきて、「だって…っおかしいでしょ、私。女の子に何も当てはまってない…」言葉に詰まりながら反論する。
「めんっっど。好きか嫌いかでいいじゃん。いちいちそんなこと気にしないでさ」
世界が言葉一つでひっくり返る。今まで生きてきた狭くて暗い世界は、それくらい軽くてどうだっていいところだったのかと、少しあっけないくらいに。
*
「失礼します」
昼休み、ガラガラっと保健室のドアを開けると、おばちゃんがおにぎりを頬張りながら事務仕事をしていた。
「あら、今日は早いのね」
「はい。いつもお邪魔してます」
「いいのいいの。カイも嬉しそうだわ」
そう言われると、くすぐったい。顔が少し赤くなってるのがわかる。「だと嬉しいです」
ソファに座って母が詰めてくれたお弁当を開く。
「いただきます」と言ったところに、カイがきた。
「あー!今日は負けた~」ぽふっとソファに座る。「今日ツいてないなァ。寝坊して髪ボッサボサだし、何より月曜日だからズボン履かなきゃだし」
月曜日は毎週朝会があり、そこで服装が乱れていると反省文10枚と校庭3周。いくら好きな格好をするのが生きがいだとしても、カイも他の人も例外なく、この日だけは服装が規定通りだ。
「私も月曜日以外は好きな格好する度胸があればなあ」ため息交じりに言ってみる。大体毎週月曜日は、こういうことを言ってる気がする。
「いつもちょー真面目に着てるもんね」お弁当を開けて、おいしそ、と手を合わせながらカイが言う。
「うん。…めちゃめちゃ、嫌だけど」
カイは少々歪な卵焼きをかじり、ごくカジュアルに、「そんなに嫌なら、ズボン貸そうか?」と聞いた。割といつもデリカシーを忘れて、直球で色々思ってることを口にしているカイの、珍しく配慮がある発言に少しびっくりする。
「いいや。親に見つかったら面倒だし。ってか、なんの心変わり?」
「別に。人の気持ちに口出しして悪かったなァって思っただけ」そのまま下を向いて残りの卵焼きを一口で食べる。それ以上話すつもりはないらしい。自分もブロッコリーをボリボリと食べてから気がついた。最初の日のことを言っていたのか。そんなの気にしなくていいのにと、ふふっと笑っていると、カイの耳が真っ赤に染まった。
**
粘りつく暑さの夏休み初日、カイに誘われてリニューアルオープンする水族館に行くことになった。男子と二人で行くと言ったら、勝手に誤解して、女の子らしくしなきゃと、メイクとか髪の毛とか服装とか諸々に口出ししてくるだろうし、それを嫌がることも罪悪感でできなくなるから、母には内緒だ。
「モノトーンコーデ、かっこいい!自分で選んだんでしょ、いいね」
水族館の最寄りの駅に着くと、人混みの中、もうカイが待っていた。白いサンダルからのぞく爪は、真っ黄色に塗られている。へへ、いいでしょ、と自慢げに指をウニョウニョさせる。
「水族館、誘ってくれてありがとう」
「こちらこそ!」
*
水族館の中は涼しくて、外の暑さを忘れられるほどだった。小さい頃行ってそれきりだった水族館は、改装のおかげか記憶の中よりずっと綺麗で、たくさんの人で賑わっていた。
二人でゆっくり順路を進んでいく。小さい水槽をみるのも楽しいけど、ちょうど折り返し地点のところにある巨大な水槽に目を奪われた。
「綺麗でしょ」カイが誇らしげにこちらをみる。
「うん。めちゃくちゃ綺麗」
色とりどりの鱗を光らせる魚と、滑らかに水槽内を踊る小魚の大群と、のんびり漂うエイと、隅でゆらゆら揺れてるウツボを眺めていると、ふと胸がズキっとして、今まで思ってたことがポロッ、と零れた。感動でか、衝撃でか。今までの自分に気づいた気がした。
「私…型に囚われるのが嫌で、ずっと逃げようとしてきた。そのせいで、自分が一番型に囚われているのに。」
水槽の魚はスイスイと泳いでいる。囚われていることを理解しているのだろうか。広大な海で生きたいと、逃げ出したいと思うことはあるのだろうか。
「多かれ少なかれ、みんなそう」告白してるのかってくらい真剣な顔をして、まっすぐこっちを向いて言う、カイの眼差し。
私も見つめ返す。「あんたなら、どうする?」
私よりずっとずっと強くて自由なカイは、少しびっくりしたような顔をして、でもバカみたいな質問に答えてくれた。「僕?気分で好きな服着て、おしゃれして、楽しく生きる。」
「わたしは、どうすればいいと思う?」
「自分が楽しいって思うように生きれればいいんじゃない?」カイは至極軽く、真理のような、全く私の求めている答えでは無いような、心をくすぐる答えを放った。
それで満足したい。けれど、本音を言うと…「でも…それでも嫌。あのスカートが、枠組みが、体が、すごく嫌。あれがある限り、楽しく生きれない気がするから」
カイは少し悲しそうな、痛そうな顔をして、「本当に?」と聞いた。
私は答えられなかった。
*
水族館から出たのは、結局夕方になった。お土産コーナーで買ったお揃いのイルカキーホルダーがついたナップサックを揺らしながら、いつの間にか私より後ろのほうにいたカイを振り返った。
彼は慌ててサンダルをパタパタと鳴らしながら追いついてきた。「ごめん、ぼーっとしてた。海、きれいだね」
カイが指差す方向を見ると、水族館とビルの隙間から、夕陽に照らされてオレンジ色に光る海が顔を覗かせていた。海は確かに綺麗で、広大で、心が惹かれた。けど、今ではなんだか、水族館でみた大きな水槽と、大差ないように感じられた。
折り返し後の順路から、イルカショーで足だけずぶ濡れになったところまで、すこしずつ自分の答えが見えてきた気がする。
「体が嫌から、なんか別の気持ちに置き換わっちゃってた。そっちのが、戦いやすかったのかも。でも、私の本当の気持ちはこっちだって、やっと気づいた。」
カイは今日で二度目の心底驚いた顔をして、腑抜けた笑顔を見せた。
「ありがと。水族館、誘ってくれて」
「ありがとう、一緒に来てくれて」
*
「本当に大丈夫?」
試着室のカーテン越しに、カイの声が聞こえる。うん、と返したいところだけど、やっぱり水着は自分の嫌いな体が浮き上がって、苦手だ。
「無理しないでね」
そう言うカイの声がなんだかか細くて、意を決してカーテンを勢いよく開ける。
「どう?」
カイは目をパチクリさせて、笑った。
「かわいい!似合ってるよ」
無意識のうちに止めていた息が、よかった、と漏れる。
「海、これで行きたい」
「うん!楽しみだね」
私も、楽しみ。海は好きだから。自分の体と、それをはっきりと見せる水着が嫌いになってから、行ってなかったけど。
今でも少し、嫌だけど。
楽しみたいんだ。
カイと一緒に。
終
珊瑚礁 こずも @cosmiic
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます