終章:世界で最も美しいノイズ
一年後。
限定発売されたAoのアナログレコードは、予想を大きく上回る反響を呼んだ。音楽評論家たちは「デジタル時代における、アナログの可能性を再発見させる作品」として絶賛し、多くの若いリスナーたちがアナログレコードの魅力に目覚めるきっかけとなった。
私のAI『MUSE』は、最後までこのヒットを正確に予測することができなかった。データだけでは測定できない「人間の魂」が成功の要因だったからだ。
その成功を受け、私はMUSE-X内に新しく「GROOVE-Lab Records」というアナログ専門レーベルを立ち上げることが認められた。私はその小さなレーベルの責任者として、デジタルとアナログの融合を目指す新しい音楽事業を展開している。
律のスタジオには、次々と若い才能のあるアーティストたちが「自分の本当の音を彫ってほしい」と訪れるようになった。スタジオは以前よりも活気に満ち、古い機材たちも嬉しそうに音を奏でている。
私と律の関係も、ゆっくりとだが確実に深まっていた。
お互いの価値観の違いを尊重しながら、それでも心を通わせ合うことができる関係。それは、私が学んだ最も美しいハーモニーだった。
ある冬の夜、仕事を終えた私は律のスタジオを訪れた。
「お疲れさま」
「おお、来たな」
律は私のために、特別なレコードを用意してくれていた。
「何これ?」
「あんたへのプレゼントだ」
彼はそのアセテート盤をターンテーブルに乗せ、針を落とした。
スピーカーから流れてきたのは、音楽ではなかった。
それは、この一年間、このスタジオで私たちが一緒に聴いてきたたくさんの音楽の断片。私たちのくだらない笑い声。時々ぶつかった口論の声。そして、時々混じる穏やかな沈黙。
私たちの時間の、ノイズだらけのコラージュだった。
「これ、いつの間に録音してたんですか?」
「秘密だ」
律は笑った。
「あんたが来るようになってから、このスタジオの音が変わったんだ。明るくなった」
そして、最後にレコードの一番内側の溝から聞こえてきたのは、二つの重なり合う心臓の音だった。
トクン、トクン、トクン……
それは、あの日彼が私に告白してくれた時の音。
私たちが初めて心を通わせ合った瞬間の記録。
「俺の人生最高のカッティングは、あんたと出会ったあの日のあの曲だよ」
レコードの溝に刻まれた律の声がそう囁いた。
私は彼の大きな背中にそっと顔をうずめた。
「私にとっても、世界で最も美しいノイズです」
二人は言葉もなく、その不器用だがどうしようもなく愛おしい、
ノイズだらけのセレナーデにいつまでも耳を澄ませるのだった。
データでは測定できない感情。アルゴリズムでは予測できない偶然。効率性では説明できない美しさ。
それらすべてが、人生を豊かにしてくれる貴重な「信号」なのだということを、私は学んだ。
そして、愛する人と共に聴く音楽は、世界で最も完璧なS/N比を持つのだということも。
デジタルとアナログ、論理と感情、効率と非効率??すべての境界線を越えて、音楽は私たちの心を繋いでくれる。
それこそが、音楽の持つ最も偉大な力なのかもしれない。
エピローグ:デジタル・アナログ・ハーモニー
5年後、GROOVE-Lab Recordsは音楽業界の新しいトレンドセッターとなっていた。デジタル配信とアナログレコードを組み合わせた「ハイブリッド・リリース」という新しい販売形態を確立し、多くのレーベルがその手法を取り入れるようになった。
響子は業界の講演会で、頻繁にこう語るようになった。
「データサイエンスは音楽の可能性を広げるツールです。しかし、それは人間の感性と組み合わせて初めて真価を発揮します。AIには AIの、人間には人間の役割があるのです」
律は相変わらず古いスタジオで、若いアーティストたちの音楽を溝に刻み続けている。ただし、今では響子が開発したAI分析ツールも活用するようになった。技術と感性の絶妙なバランスで、より深みのある音楽制作を行なうようになったのだ。
二人の関係は、まさに彼らが作り出した音楽のように、デジタルとアナログの完璧なハーモニーを奏でている。
そして、彼らが手がけた数々のレコードには、今でも聞こえない場所に、二人の心臓の鼓動が静かに刻まれ続けている。
愛もまた、最も美しいゴースト・ノートなのだから。
(了)
【アナログレコードお仕事恋愛短編小説】ゴースト・ノートは君のメロディ ~S/N比100%の恋愛方程式~(約18,000字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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