第23話:浮き輪
そう言い残して、彼女は教室を後にした。
言い訳のひとつも言えなかった自分の弱さが憎かった。
遥は胸元に押しつけられた包みを抱きしめたまま、動けなかった。
どれくらいの時間、こうしていたのだろうか。
どうやって家に帰ったかわからないまま、食事も喉を通らず、布団に入った。
母は気遣ってくれたのか、理由を聞かれることはなかった。
枕に顔を埋め、放課後の練習の日々を思い出すように眠りについた。
まどろみの中で『Believe』の音色が聞こえてきた気がした。
あまり眠った気がしないまま、朝を迎え、制服に着替えた。
ネクタイを締めて鏡を見ると、昨日と何ひとつ変わらない顔があった。
卵かけご飯とオクラの醤油漬け、いつもより控えめな朝食が並んでいた。
母は何も言わなかったが、気遣いは伝わってきた。
「朝ごはん、ちゃんと食べていきなさいよ」
「うん」
外に出ると、マンションの花壇には霜が降りていた。
朝日に照らされ、きらきらと輝いていた。
その輝きに照らされた鞄の中には、取り出すことのできなかった包みが入ったままだった。
教室に入ると、男子生徒たちの騒がしい声が聞こえてきた。
「何個もらった?」
「三つ? すげぇ!」
教室のあちこちで、男子生徒たちがバレンタインチョコを自慢し合っていた。
自分の鞄には、昨日の包みがそのまま入っていた。
周りの騒がしい声は、すべて自分以外に向けられたものだった。
チャイムが鳴り、篠原が席に着いた。
いつものように黒板の方を向いて、教科書のページをめくっていた。
避けられているのか、それとも本当に何とも思っていないのか。
確かめるのが怖くて、遥の方から視線を逸らした。
「バレンタイン、どうだった?」
友人が肘で小突きながら聞いてきた。
正直、うっとうしかった。
「……まあ、ふつうかな」
会話を遮るように、ポケットから携帯を取り出した。
『今日、少しでいいから会えない?』
《送信済み》の表示が点灯し、数秒後には画面も消えた。
返事が来るのを待ちながら、遥は携帯の画面を何度も見返した。
昼休みを過ぎた頃、ようやく返信が来た。
『いいよ。夕方の6時ごろなら大丈夫』
その一文が浮き輪のように、息苦しさから救ってくれた。
やっと待ち望んでいた終業のチャイムが鳴った。
急いで帰りの支度をしていると、友人が話しかけてきた。
「おい、このあとゲーセン寄らね?」
「悪い、急ぎの用事があるんだ」
と言い捨てるように答えた。
足早に校門を抜け、待ち合わせ場所へと向かった。
夕暮れの商店街は半分以上がシャッターを下ろしていた。
その先の街灯の下に、みのりが立っていた。
パーカーとジーンズという簡単な格好だった。
近づいても、みのりは何も言わず、ただこちらを見ていた。
その瞳が何を考えているのか、今の自分にはもうわからなかった。
言葉を探すことを諦め、逃げ込むように、その体を強く抱きしめた。
救いを求めているはずなのに、同時に何か決定的なものを壊してしまっている気がした。
彼女の温かさに触れるたび、自分の体温が流れ出していったのを感じた。
「どうしたの?」
という声に、答える。
「……つらい」
みのりが背中をさすってくれた。
背中に触れる彼女の手の感触だけがすべてになり、遠い車の走行音は耳に届かなくなった。
「……静かなところ、行こうか」
「うん」
みのりの手を握り、二人は歩き出した。
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