第22話:告白

 同じ言葉を口にした二人は、顔を見合わせて驚いた表情をしたあと、笑い合った。

 他愛もない話をしていると、やがて時計の針が別れの時間を示した。


 会計を済ませ、店を後にした。

 空はすでに夜の準備を始め、どこからか先ほどまでの会話の熱を冷ますような風が吹いた。

 繁華街は賑わいを増しており、二人はその中を駅へ向かって歩いていった。


 駅の階段を上りきるまで彼女を見届けたあと、名残を惜しみながら、遥は家路についた。


 食事を終えたあと、母が何気なく冷蔵庫の扉を開けた。


「これ……バレンタイン?」


 遥は食後に開いた分厚い公務員試験の問題集から視線を上げないまま、「ああ、うん」と答えた。


「そう……どんな子なの? 写真ある?」


 母の声に、いつもとは違う慎重さを感じた。


「……なんで」


「気になるじゃない。息子の大事な人なんだから」


 観念して携帯を手に取り、みのりと並んで写った写真を探した。

 差し出すと、母は目を細めて笑った。


「……あら、かわいい子」


「そう?」


「ええ、かわいいだけじゃなくて、どこか賢そう」


 そう言って、画面に触れた。


「お父さんと初めて撮った写真、思い出したわ」


 普段あまり自分のことを語らない母に、遥は興味のまなざしを向けた。


「駅前の写真館でね、まだ学生だった私を、お父さんが急に連れ出して。なんて言って、ちょっと照れくさそうに隣に立ったの」


 母は当時を懐かしむように続けた。


「今見ると、そのときの私、本当にぎこちなくて……でも、レンズの向こう側で、どうしようもなく嬉しそうなのよ」


「……へえ」



「そういうの、大事にしなさいよ。写真は、そのときよりもあとで価値が出るものだから」



 それ以上は何も言わず、母はキッチンへ戻っていった。

 遥は携帯のアルバムフォルダを眺めていた。

 みのりと出会ってもうすぐ半年、知らない間にメモリーがいっぱいになろうとしていた。


 写真の整理をしながら登校し、教室に着く頃にはお気に入りの写真を何枚か選び終えていた。

 席に着くと、いつもと違う教室の空気に気づいた。


 男子生徒たちがそわそわしており、女子生徒たちは色とりどりの袋を机の中に隠しながら、チャンスを狙っているようだった。

 自分の席に着くと、遥の机の上はいつもと変わらなかった。


 去年までなら落ち込んだかもしれないが、今年は違った。


 午前中の授業中、遥は集中できずにいた。

 みのりのことを考えながら、ノートを取っていた。


 昼休みのチャイムが鳴ると、教室が急に騒がしくなった。

 友達同士で机を寄せ合ったり、廊下に飛び出していく生徒たちの声が聞こえてきた。

 すでに何人かの男子は戦果を上げたそうで、お祭りのようにはしゃいでいた。


 予鈴が鳴ると、はしゃいでいた生徒たちも席に戻り始めた。

 教室が静かになりかけたとき、篠原が声をかけてきた。


「……あの、遥くん。今日の放課後……少しだけ、時間、ないかな」


 篠原は緊張しているのか、スカートの裾を握りしめていた。


「いいよ。後期の試験のことで、何かあった?」


「ううん……それは大丈夫」


 篠原は何も言わずに席に戻った。

 午後の授業中、遥は集中できずにいた。

 今まで篠原から誘われたことなんてなかったからか、放課後の約束のことが気になって仕方がない。


 終業のチャイムが鳴ると、生徒たちは帰り支度を始めた。

 友達と一緒に帰る者、部活に向かう者、それぞれバラバラと教室を出ていく。


 やがて教室には遥と篠原だけが残された。

 篠原が遥の席の前にやってきて、スクールバッグから小さな包みを取り出した。


「……これ」


 水色の包装紙に、銀の細いリボン。

 篠原が遥の机に包装された小包を置いた。

 チョコレートだとすぐに分かった。


 文化祭で篠原を助けたことがあったが、まさかこんな形で返ってくるとは思わなかった。

 みのりのことが頭をよぎった。

 受け取っていいものか、遥は迷った。


「この前の文化祭のとき……助けてくれて、ありがとう」


 篠原は言葉を選ぶように間を置いた。


「試験のときも、たくさん教えてもらったから」


 遥はそれを受け取れず、ただ曖昧に微笑むことしかできなかった。


「そんなの、気にしなくていいのに」


「ううん……私が、気になるから」


 篠原が真剣な表情で遥を見た。



「遥くん。……私のこと、どう思う?」



 遥は答えに困った。

 それは、告白よりもずっと残酷で、もっと根源的な問いだった。

 好きか嫌いかではなく、篠原という人間をどう見ているのか。

 そんなことを考えたこともなかった。



「……好きです。私と、付き合ってください」



 彼女の言葉で思い浮かんだのは、共に過ごした放課後の練習の日々ではなく、みのりとの時間ばかりだった。

 長い時間考え、答えをひねり出した。


「……ごめん」


 かすれた声で、必死に思いを伝えた。


「ごめん、篠原さん。……好きな人が、いるんだ」


 篠原は手にした包みを見下ろし、改めて遥の前に差し出した。


「……ううん。これは、ただの感謝の印だから。……受け取って」


 篠原の声には有無を言わせない強さがあった。

 遥はそれ以上何も言えず、包みを受け取った。


 順番が違えば、自分は篠原の思いを受け止めたのだろうか。



 彼女を助けたい一心だったのに、その結末がこれなら、自分のしたことは間違いだったのかもしれない。



 結局彼女を傷つけてしまった事実に、遥は呼吸すら忘れてうつむいていた。


「……そっか」


 篠原は泣いていなかった。

 むしろ、何かを確認できたような穏やかな顔をしていた。



「……その人は、幸せだね」

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