物陰恋にならない

もみあげ大将

第1話

体育館倉庫に鎮座する跳び箱の隣。物陰もいいところ。窓は小さく、埃っぽく、薄暗く、かび臭い。まさに物陰の王様のような場所で本を読んでいると、クラスメイトの吸血鬼が声をかけてきた。


「ねえ。そこはわたくしの物陰なのだけれど」


 室内でも日傘をさしているから、多分あの傘は身を守るためではなくオシャレのためなのだろう。


「物陰ならいくらでもあるじゃないか」

「あなたから譲ってもらうことに意味があるのよ」

「性格悪いなあ……」


 ため息交じりに言うと、彼女の眷属であり、ぼくのクラスメイトである彼らがにらみを利かせてくる。彼らはついこの前まで普通の人間だったのだが、ぼくのクラスはほとんどが彼女の眷属。つまり吸血鬼に血を吸われているのだ。


 吸血鬼が人権を得てから、この国の三割は吸血鬼の眷属となり、平均寿命が爆上がりしているのだ。吸血鬼とその眷属はほぼ寿命がないらしく、短い物でも六十、長いものは、無限らしい。無限ってなんだ。けれど主人でもある吸血鬼が死ぬと眷属も死んでしまうとか。儚い命だ。


 何はともあれ、彼女の眷属とそれに対立する人間グループに分かれている自分のクラスが何となく居心地悪くて、昼休憩の時はいつもここで本を読んでいるのだ。


「一人で退屈ではないの?」

「一人になりたいからここに居るんだよ」

「ふうん。人間グループにも、私の眷属にもならないから。どんな人かと思ったけれど、退屈な人ね。どっちつかずなだけかしら」

「そうだよ」

 

 彼女はじい、とぼくの読んでいる本を興味ありげに見ていたので無視して、そのまま昼休憩が終わった。体育館倉庫からぼくと彼女と彼女の眷十人程度がぞろぞろと出てきて、体育の授業待ちだった生徒がぎょっとしていた。




「ねえ。そこはわたくしの物陰なのだけれど」


 中学に上がって、屋上の物陰で本を読んでいるぼくに、彼女は小学校時代とまったく同じ言葉を投げかけた。かつての人間グループは彼女の魅力に負けて、小学校を卒業するころぼくの学年は、ぼく以外みんな彼女の眷属になっていた。中学生になると、この中学校は先生とぼくを除いてほぼ皆彼女の眷属になっていた。


「物陰なんて、どこにでもあるよ」

「あなたのいる物陰はそこだけだわ」

「ぼくは一人だけだから」

「まあ。生意気ね。どこにでもいそうな人なのに」

「性格悪いなあ……」


 ぼくが不満げに言うと、運動部に入っている先輩たちがにらみを利かせてくる。柔道部や野球部、サッカー部などありとあらゆる部活動の生徒が彼女を守るように並んで立っていた。で、ぼくはとても嫌そうな場所でそこから立ち去った。すると彼女も屋上から出ていき、運動部の先輩たちが「起立!移動!」とお腹から出る声で号令を出して、えっほ、えっほ、と声を上げながら、まるでトレーニングのようにぼくたちの後ろからついて来た。



「ねえ。そこはわたくしの物陰なのだけれど」


 高校に上がると、この市はぼく以外、みんな彼女の眷属となった。なんと驚くべきことに、ぼくの両親も彼女の眷属になったのだ。


『父さんな、吸血鬼の眷属として生きていくんだ』

『母さんもよ』


 深刻な顔で言ってくるものだから、何事かと思ったけれど、まあ、がんばって、としか言えなかった。この市はほとんど吸血鬼とその眷属だから、日光死すべし、と言わんばかりにすべての場所に屋根が取り付けられ。どの場所も薄暗いのだ。


「ここ付近はどこも物陰だよ」


 ぼくの言う通り、右を見ても左を見ても、影。ぼくは図書室の本棚の隣に椅子を置いて静かに、ウトウトしながら本を読んでいた。


「ええ。外も、全部物陰。物陰は全部わたくしのものだわ」

「横暴だなあ」


 ぼくが不満げに言うと、先生たちがタブレットを構えてぼくを囲んでくる。成績でも下げられるのかと思って、その場を去った。それと一緒に彼女も来るので。仕方がなく一緒の授業を受けた。




「ねえ。そこはわたくしの物陰なのだけれど」


 大学になるころには、この県民は皆彼女の眷属となっていて、授業や面接では必ず彼女の名前が出るのだ。県議会では、日光を完全に遮断するようにこの地域が囲むくらいのドームが作られた。驚くべきことに他の吸血鬼も彼女の眷属となった。吸血鬼が眷属になるとどうなるのだろう。別に興味がないから放っておこう。

 彼女は吸血鬼で、年なんか取らないのに、ぼくと同じような年ごろで現れる。白くて長い髪は雪水が溶けて流れていくようにつややかで、真っ白の肌は、なるほど、陶器みたい、とはあんな色を言うのだろう。瞳の赤い色は、クリスマスでよく見る南天のようだった。大きな瞳と長いまつ毛、顔のパーツはみんな、とても整った場所にあって、あれが美しい顔というのだろう。でも、性格が悪い。だから、プラスマイナスゼロだ。


「物陰が全部きみのものだとしたら。この辺りは全部きみのものだね」

「ええ。そうよ、みんなみんな。わたくしのものよ」

「それはつまり、全部きみのものではない。という意味かもしれない」

「なんて人並みの感情なの。つまらないわ」

「ぼくはつまらない人間だからね」

「そんなつまらないあなたは、何の本を読んでいるのかしら」

「つまらなくない本だよ」


 特に話すこともないので、ぼくはつまらなくない本をもって立ち上がる。県議会の人々が待ちたまえ、と高圧的に言うもので、ぼくは聞こえないふりをしてその場から立ち去った。夜ニュースを見ると『吸血鬼の話は最後まで聞くこと条例』が発表された。法律で決められては仕方がない。罪を背負うしかない。



「ねえ。そこはわたくしの物陰なのだけれど」


 驚くことに、国民みなわたくしの眷属、という公約を掲げた彼女が選挙に当選して、この国のほとんどの人が彼女の眷属となった。日差しをこの国から守る法案が作られ、国から支援された科学者たちが日光なしで作物を作ることに成功して、ノーベル吸血鬼章を受け取っていた。犬も猫もコウモリも、みんなみんな彼女の眷属だ。ぼくの飼っているポチも今年で三十歳だ。


「この国にはもう物陰しかないよ」

「ええ。だからみんな、わたくしのものよ」

「そうだろうね」


 仕事を終え、上司から『吸血鬼の良さを語りながら親交を深める会』に誘われたが、特に語ることがないため、昼間にも関わらず真っ暗な中コンビニ『吸血鬼マート』に寄って、駐車場の隅でコーヒーを飲んでいた。トマトジュースや血液ジュース、薔薇ドリンクばかりでコーヒーははじっこに追いやられてしまった。来週にはもうなくなってしまうかもしれない。


「もっといい物陰があるでしょう」

「わたくし、あなたのいる物影がいいの」

「わがままだなあ」


 ぼくが小さくため息をつくと、いつのまにきたのやらぼくの上司が、信じられない。といった目で咳払いをしたので、慌てて家に帰った。



「ねえ。そこはわたくしの物陰なのだけれど」


 この世界は皆、彼女の眷属になった。寿命という概念はぼくだけのものになった。白髪が増えてきて、病院の隅でぼくしか受けない治療を待っていた。地球全体に『屋根』がかかって、この世界はすべて物影になって、雨も降らなければ、雷もないし、朝も昼も夜もなくなった。けれど世の中の人は、彼女の眷属として何一つ不自由なく暮らしていて、きっとこの世で一番不自由なのはぼくだ。そして驚くべきことに、病院もコンビニもスーパーも、全部ぼくしか使わないというのに稼働を続けているのだ。


「病院なんて来なくても、きみは平気だろう」

「違うわ。この世界で病院が必要なのは貴方だけ」

「すごいよね」

「あなたは、寿命をなくしたくないの?」


 吸血鬼の彼女が不思議そうに首をかしげる。ぼくも同じように首を傾げた。


「べつに。寿命はあってもいい」

「この世界で寿命があるのは、もうあなただけよ」

「そうだね。とても光栄なことだ」


 ぼくが、特になんの疑問もなく、感情もなく答えるものだから、お医者さんが咳ばらいをして真横に立っている。診てもらえないと困るからぼくはそそくさと診療室に入った。待合室にあるテレビは『全世界吸血鬼眷属』と、いろんな国の人が集まって彼女のおおきな写真(と言っても、吸血鬼は写真やカメラに映らないから何もない写真だ)の前で、大喜びで握手しあっている。この国は、いや、世界は、丸ごと彼女のものになって、争いも苦しみも寿命もない世界になった。

 ただぼくだけ、時間が過ぎていった。



「ねえ。そこはわたくしの物陰なのだけれど」


 ぼくがベッドで横になっていると、彼女が声をかけてきた。外は真っ暗だ。周囲には彼女以外誰もいない。いつも彼女の周りには彼女の眷属……いや、世界中の人がいる。この世界は彼女のものなのだ。


「ぼくがこのまま死んだら。本当に、この世界まるごときみのものだね」

「最期までわたくしのものにならなかったわね」

「ひとつくらい、思い通りにならないものがなきゃ、つまらないだろう」

「そうね。あなた自身は、とてもつまらないひとなのに」

「もうすぐ死ぬのに、冷たいね」

「わたくし、貴方ほど冷たい人を知らないわ」


 ベッドの物陰で彼女は座っている。視線が合う。彼女はぼくと違ってひとつも年を取っていないし、世界中の人みんなみんな、年を取らない。


「本当に冷たくなるんだよ」

「わたくし、あなたの影が欲しかったのに」

「みんなと同じになったら、つまらないだろう」


 ぼくがそう笑うと、彼女は立ち上がる。


「どうしていきものに寿命があるのか、不思議で仕方がなかったけど。こういうことなのね」


 彼女が部屋から出ていく。

 窓の外が明るい。八十年ぶりに見る日光だった。



 ぼくはついぞ、彼女をぼくの影に入れることはなかったけれど、彼女に日光を当てることができた、唯一の人になったのだ。





 こうして、この地球からすべてのいきものが絶滅したのだった。


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