コーヒーと春

@maru36

二人

 アメリカンコーヒー

 

 明らかに討論している。入ったばかりの喫茶店の奥の席に通された僕は、隣の割と近い席の二人を横目に静かに座った。静かな声でコーヒーを片手に、ただならぬ話をしているのだけはわかった。店内にはかすかなジャズミュージックがかかり、隣の声を消してくれていたが、次第に隣の席の声の方が大きくなり、どちらがミュージックなのかわからなくなった。

「だからさ、さっきから言っているけど、〝いつから春なのか問題〟については君と考えは違うみたいだ。」

「ああ、僕も君とは意見が違うさ。やはり、今から春です宣言をした人から春だよ。」

「おい、待ってくれよ。それは野暮だよ。地域ごとに、『今が本当の春の日』を毎年定めて、その日がきたら春なんだ。北に長い日本ならではだろ。」

「それを言ったら、地域の春の日を決める人は誰なんだ。喧嘩になっちまうだろ。せっかくの春だって泣いちまうよ。」

「ああわかった。それはまっぴらだ。だけど、毎年地球は回ってる。変化してる。それに合わせた春を提示するのが大事だと思わないか。」

「君は勘違いしてる。感じ方は人それぞれだ。梅の花が咲いたから春という人もいれば、桜の花が咲いたから春という人もいる。ウグイスが鳴けば春の人だっているさ。」

「知ってるかい。春っていうのはな、冬眠の熊だって待ち焦がれているんだよ。それを教えてあげないでどうする。全地域の人で、その日に向けて春焦がれた想いを共有するんだよ。そこで春が来たら、みんなで手を叩き合うんだよ。」

「おいおい、熊は自分で春をわかるさ。人間よりも感覚が鋭いんだから、きっと。いや、絶対そうだ。神に誓うよ。」

 耳を傾けた僕が悪かったのかもしれない。その後すぐに、僕は咳き込んでしまったのだ。二人が同時にこちらを見たから、目を合わせないわけにはいかなかった。

「あ、ここのコーヒー苦目なんですね。初めて入ったんですけど、大人の味でした。でもおいしいですね。」

 笑顔で僕は話しかけた。初めて僕は自分の咳を恨んだ。いや喉だ。ちょっと黙っていてほしかった。隣の二人は会釈してくれた。

「ここは結構来るんですが、今日はいつにも増して濃い目ですね。きっとマスターが春コーヒーにでもしてくれたんじゃないですかね。」

 片方の人が応えてくれたのだが、僕はまた咳が出た。春という単語に反応してしまった。

「大丈夫ですか。花粉の季節ですからね。はあ、春だなあ。」

 もう一人の人が話して嬉しそうにコーヒーを飲んだ。

「春だなあ。」

 二人はしみじみとコーヒーを飲み出した。さっきまでの真剣な雰囲気の討論会はどこへいったのだろう。

「結構今日の感じ、いい感じにアメリカンだったね。」

「ああ、手応えアリだね。」

「だんだん討論の腕上がってきたな。今日はだいぶよかったよ。これじゃあ僕らの力で春飛び越して夏が来ちゃうなあ。」

 コーヒーじゃなくて、先ほどの討論の話だったのか。しかもアメリカンを目指してたのか。いろいろ訳がわからなくなってきた。

「あ、やばい、もう外回りの時間終わりだわ。そろそろ戻らないと。」

「俺もだ。また集まろう。では、これで失礼します。」

 そう言って、僕に二人は爽やかに会釈をして席を去った。これが春一番というやつか。と考える僕も、多大なる二人の影響を受けてしまったかもしれない。コーヒーをすすると、やはり苦目のブラックコーヒーであることには変わりなかった。

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