第5話「嵐の前夜」

【前回までのあらすじ】

大型台風の接近により、島全体が嵐への備えに追われていた。桐人たちも村の準備を手伝うが、ウトちゃんはただならぬ不安から泣きじゃくり、桐人と離れることをひどく怖がっていた。その涙の理由が分からぬまま、桐人たちは雨足が強まる中、屋敷へと戻るのだった。

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夕方の稽古が始まる頃には、雨は横殴りになり、風が唸り声を上げていた。


椰子の木が大きくしなり、屋敷の雨戸を激しく叩く風雨の音は、まるで何かの咆哮のようだ。



道場には、忠清と短毛丸がすでに待っていた。



「桐人様、さくら様、この度は村の者たちが大変お世話になりました」



忠清が深々と頭を下げる。



「いえ、俺たちも島の皆さんとすっかり打ち解けていますから」



俺がそう答えると、壁際に立つ短毛丸の眉がぴくりと動いた。


忠清が「短毛丸、お前からも礼を言わんか」と促すが、


彼は「……世話になった」とぶっきらぼうに呟くだけだった。



その日の稽古は、嵐を理由にごく短時間で切り上げられた。



「我らは夜目が利きますゆえ、台風に備えてもう少し見回りをしてまいります」



忠清はそう言うと、先に道場を出て行った短毛丸の後を追って、荒れ狂う嵐の中へと消えていった。



夕食は、爺さん、スニク様、俺、さくらの四人で静かに囲んだ。


外の轟音とは対照的に、部屋の中は蝋燭の光が揺れる穏やかな空間だった。


しかし、その静けさがかえって俺たち四人が世界から孤立してしまったかのような錯覚を覚えさせた。



「そういえば、爺さん」


俺は思い出したように尋ねた。



「この島の秘密について、まだ詳しく聞いてなかったな」


爺さんは熱い茶を一口すすると、重々しく口を開いた。



「実はな、各地の緋滅組(ひめつぐみ)の番隊には、それぞれ協力関係にある白夜の一族がおる」


「忠清と短毛丸も、我ら一番隊に協力しておる者たちじゃ」



爺さんの説明によれば、白夜の一族には『七牙衆』という緩やかな組織があり、人間との共存を目指しているという。



「なるほど、それで共存関係が保たれているのか」



俺が納得すると、爺さんの顔が苦々しく歪んだ。



「じゃがな、坊主。最近は平和が長く続きすぎた」


「血盟院の中にも、七牙衆の中にも、権力闘争に明け暮れ、本来の使命を忘れた輩が出てきておる」



「どういうことです?」さくらが息を呑む。



「人間も吸血鬼も、平和ボケしておるのじゃ」


「自分たちの勢力を伸ばすことばかり考え、真の敵を忘れかけておる」



「東京で桐人が襲われたのも、その内輪揉めの可能性が?」



「うむ……」



重い沈黙が流れる。激しく屋根を叩く雨音だけが、部屋に響いていた。



「しかしのう」スニク様が箸を置いた。



「妾が目覚めたということは、真の危機が迫っておる証拠。もはや内輪揉めをしておる場合ではない」


「平和ボケした連中も、いずれ思い知ることになろう」



その言葉には、有無を言わせぬ神獣の威厳と、不吉な予言の響きがあった。



深夜、俺は雨風の音で眠れずにいた。


風の音が、まるで獣の遠吠えのように聞こえる。


そっと廊下に出ると、爺さんとスニク様も起きていた。


三人で並んで、雨戸の向こうの嵐の気配を感じる。



「なあ、爺さん」


俺はずっと胸の内にあった問いを口にした。



「俺はあと何人、吸血鬼を殺したら、自分じゃなくなっちまうのかな」



突然の問いに、爺さんは少し考えてから静かに答えた。



「弱い吸血鬼なら十体でも二十体でも問題はなかろう」


「じゃが、忠清クラスとなれば一体でも危うい。短毛丸クラスなら、確実に吸血鬼化への道を進むことになる」



「一体で……」



「そのような強い吸血鬼は、妾が倒すから安心せい」



いつの間にか隣にいたスニク様が言う。



「でも、俺だって戦わなきゃいけない時があるだろ? その時、俺は俺のままでいられるのか?」



俺の真剣な問いに、スニク様は黙って俺を見つめている。


俺は深呼吸をして、覚悟を決めた。



「スニク様。万が一……万が一、俺が吸血鬼になっちまったら、その時は、あんたが俺を殺してくれ」



長い沈黙が落ちる。風が建物を揺らし、雨が絶え間なく壁を打つ。



「そうならんように、妾が導く。じゃから安心せい」



スニク様の優しい声が、俺の心を慰める。



「でも、万が一ってこともあるだろ? 約束してくれ。俺が俺でなくなる前に、あんたの手で終わらせてくれるって」



「桐人……」



「頼む」



俺の必死の懇願に、スニク様は長い間を置いてから、静かに、しかしはっきりと答えた。



「……わかった。万が一の時は、この妾が必ず、其方を殺してやる」



「……ありがとう。安心した」



不思議なことに、その言葉を聞いて本当に心が軽くなった。


最悪の事態への覚悟ができたことで、恐怖が少しだけ和らいだ気がした。



窓の外で、何かが激しくぶつかる音がした。


嵐は、いよいよ本格的に島を飲み込もうとしている。



(ウトちゃん、大丈夫かな)



嵐の轟音の中で、俺はあの泣き顔を思い出していた。


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ここまでお読みいただいた方々に引き続き最大限の感謝を



桐人、シリアスモードです。



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https://kakuyomu.jp/works/16818792437807521095



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