第1章「南海の孤島へ」

第1話「魔の海域への出発」

【前回までのあらすじ】

不思議な夢で島の精霊から三つの貝殻を受け取った桐人。「全ては守れない」という不吉な予言と共に、沖縄への出発の朝を迎える。桜夜からの警告に不安を感じながら、初めての飛行機に乗り込む。

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熊本空港


夏休み初日の熊本空港は、家族連れでごった返していた 。



これから始まる旅への期待に満ちた人々の中で、俺だけが落ち着かない気持ちを抱え、搭乗口の電光掲示板を何度も確認していた。



(夜鳴き島、血の契約……)



ユリが送ってきたあの言葉が、頭から離れない 。これから向かう場所で、一体何が待っているのか 。



「桐人、そわそわしすぎです。出発までまだ一時間もありますよ」



さくらが苦笑するが、飛行機が怖いのだから仕方ない。


鉄の塊が空を飛ぶなんて、どう考えても物理法則に反している。



「スニク様はどこ行った?」



「さっき、『ちょっと小腹が空いた』って」



振り返ると、美少女姿のスニク様がいなり寿司を頬張りながら戻ってきた。



「空港のいなり寿司は格別じゃのう」



「それ、コンビニのやつじゃねえか」



この神獣は、こういう時だけは本当に楽しそうだ。



「那覇空港行き、ANA○○便の搭乗を開始いたします」



アナウンスが流れ、いよいよ運命の時が来た。


機内は思ったより狭く、窓際の席に座った俺の肩が、隣のさくらに触れそうだ。


俺は必死に窓側へ体を寄せる。



(この距離なら、視線の呪いも何とか抑えられる)



やがてエンジン音が大きくなり、背中がシートに押し付けられる、普段味合うことのない加速が始まった。



「うわっ」



ふわり、と体が浮く感覚。窓の外では地面がぐんぐん遠ざかっていく。


飛んだのだ。



「もしかして、私を避けてます?」



さくらの目に、いたずらっぽい光が宿る。


答えに詰まっていると、彼女は突然俺の手を取った。



「怖いので、手を握っててもらえませんか?」



明らかに演技だ。俺は即座にその手を振り払う。



「……バレました?」



さくらが悪戯っぽく笑うが、こっちは命がけなのだ。



シートベルトの締め方もやけに手慣れたスニク様が、ニヤリとこちらを見ている。



(そういえば、スニク様も50年ぶりに目覚めたはずではなかったか? なんでこんなに余裕なんだ?)



その疑問は、気まずい空気の中に溶けて消えた。



飛行機が安定飛行に入ると、スニク様が唐突に口を開いた。



「桐人、バミューダトライアングルという場所を知っておるか?」



「船や飛行機が消える、魔の海域として有名じゃろう」とスニク様は続ける。



「でも、あれって都市伝説でしょう?」



「ふむ、確かに誇張された部分もあろう。じゃが」


スニク様の表情が真剣になる。


「この世界には本当に『魔の海域』と呼ばれる場所がいくつか存在するのじゃ」



「まさか……」



「そう、日本にもある。沖縄の近海にもな」



スニク様が指差す窓の外に、俺は目を向けた。


青い海が広がるはるか遠く、水平線あたりに小さな点が見える。


島だろうか。


だが、その周囲だけ海の色が、まるで巨大な影が落ちているかのように、濃い藍色に染まっている。



「……見えるか、あそこが」



「昔から、船や飛行機が消えると言われとる海域じゃ。民間機は決してあそこを通らぬ」



確かに、俺たちが乗る飛行機は、あの島を避けるように大きく迂回している。



スニク様は眉をひそめ、意味深に呟いた。



「妙じゃな……。あの暗い海域と、沖縄本島の間で何かが呼応しておる」


「まるで、長く離れ離れになっていた何かが、再び引き合うような……」



隣の通路の向こう側で、話を聞いていた爺さんが息を呑む。



「スニク様、まさか……」



「いや、今は憶測に過ぎぬ」



スニク様は話を切り替えるように、俺に向き直った。



「桐人、昨夜はよく眠れたか?」



「ええ、まあ……」



嘘だ。奇妙な夢を見て、ほとんど眠れていない。



「血脈の継承者の中にはな、予知夢を見る者がおる」


「これから起こることを、夢で見るのじゃ」



スニク様の真剣な目に、俺は今朝の夢を思い出そうとする。


貝殻を手渡されたような、誰かと約束したような……そんな感覚だけが、確かに残っていた。



『当機はまもなく着陸態勢に入ります』



アナウンスと共に機体が高度を下げ始めると、突如、激しい揺れが襲った。



ガクン!



「きゃっ」



さくらの体が大きく揺れる。


当然、その胸の質量兵器も複雑に躍動する。



(くそ、こんな時に……!)



視線の呪いが発動し、拷問のような時間が続く。


俺は固く目を閉じたが、瞼の裏に先ほどの光景が焼き付いて離れない。



ドン!という衝撃と共にタイヤが滑走路に接地し、長い揺れがようやく収まった。



「無事に着きましたね」



さくらが安堵の息をつく横で、スニク様が窓の外を見ながら静かに独りごちるのが聞こえた。


「古き血が騒ぐ……。何かが目覚めようとしておるのか」



タラップを降りると、南国の熱気が肌を焼いた。沖縄に着いたのだ。



ここから、俺たちの夏が始まる。



(あの暗い海に、俺たちは向かうのか)



胸騒ぎが止まらない。ユリの言葉が脳裏をよぎる。



『血の契約』



その意味を、俺はまだ知らない。


だが、きっとろくなことじゃないという予感だけが、確信めいて広がっていた。

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