第2話「青い目の船頭」

【前回までのあらすじ】

苦手な飛行機をなんとかやり過ごした桐人。機中でなにやら不穏な事をスニク様は口にしていた。

——————————————————————————————————————


那覇空港



那覇空港から外に出た瞬間、むわっとした熱気が全身を襲った。


熊本の暑さとは違う、肌にまとわりつくような湿気だ。



「暑い……」



冷房の効いた機内から出て薄着になったさくらの姿が、どうしようもなく視線を引き寄せる。



薄い生地越しに、その大きさは暴力的ですらあった。



「桐人、無理に視線をそらそうとして変な顔になってますよ」



さくらに苦笑されていると、後ろから小さな扇子で後頭部を叩かれた。



「年頃の男子とは得てしてそういうものじゃが、其方のは少々度が過ぎておるわ」



美少女姿のスニク様に言われても、こればっかりは俺のせいじゃない。



「そういえば、桜夜さんに、桐人のその煩悩の強さは素晴らしいって褒められたぞ」



「桜夜とは、九条のところの桜夜の事か?」


スニク様が扇子を少し開いて、ばちんと閉じた。



「あやつ、何が見えておる?」



「そういえば、桜夜さんはスニク様の事を知ってる様子だったな」



「桐人、桜夜さんとあれからも連絡とりあっているのですか?」



さくらが、ジト目で俺の事を見てきた。



「え、いや、昨日の夜、突然……」



「昨日の夜?昨日の夜に桜夜さんと会ってたんですか?」


さくらが血相を変えて、俺の両肩をゆすってきた。



「さくら、其方も桜夜を知っておるのか?」



「はい、スニク様、代々木公園では助けてもらいました」



その時、さくらに複雑な表情が一瞬浮かんだ。



「桜夜、彼奴は関ヶ原の合戦の時には既に生きておったからのう」



(って事は桜夜さん、何歳なんだよ)



そんなやり取りをしていると、爺さんが「ほれ、あそこだ」と指差した先に黒いワンボックスカーが停まっていた。


助手席の前に立つ金髪で彫りの深い顔立ちの運転手が、館長に流暢な英語で話しかける。



「Sir, Mr. Omiya. I have been expecting you.」



「Good work.」



(え?爺さん、英語話せるの?)



当たり前のように車に乗り込む館長とさくらに、俺も慌てて続いた。



「これから港に移動して、船でオコゼ島には船で向かう」



(オコゼ島! それが飛行機から黒く見えたあの島の名前か)



「爺さん、英語ペラペラなんだな」



「緋滅組は世界中にあるからの。わしも若い頃は色々と回ったものじゃ」。



「ちなみにスニク様は7か国語を流暢にお話になる」



「ふむ、訂正しよう。正確には10か国語じゃ」


スニク様は咳払いを一つすると、


「ありがとう、Thank you、Merci、Danke、Gracias、謝謝、Спасибо、شكرا、धन्यवाद、ขอบคุณ」



と、十の言語で感謝の言葉を紡いでみせた。



「すげえ! 今までで一番尊敬したわ!」



「妾は長く生きておるゆえ」



スニク様は少し頬を赤らめてそっぽを向く。


意外に褒められ慣れていないのか。



「なんだ、照れてるのか?ぐふっ!」



見えないパンチが腹に入り、俺は黙るしかなかった。



車窓からは、赤瓦の家々や、屋根に鎮座するシーサーが見える。


やがて、エメラルドグリーンの海と白い砂浜が広がった。


この美しい景色とは裏腹に、爺さんが静かに説明する。



「オコゼ島は特殊な場所での。大宮家の私有地なんじゃが、国際法上は米軍との共同管理区域になっておる」



(えっ?米軍?)



俺が爺さんに詳しく話を聞こうとしたら、車が港に到着してしまった。



車が着いたのは、観光客が使うような大きな港ではない、ひっそりとした地元の港だった。


潮の香りが強く鼻をつく。


そこに停泊する一際大きな白いクルーザーから、一人の男が降りてきた。



日に焼けた肌に、青い目と茶髪。


人懐っこい笑顔で、かりゆしウェアを着こなしている。


「おーみやさん、お久しぶりです」



外人なまりはあるが、流暢な日本語だった。



「ダン、こちらがスニク様。そして、この坊主が弟子の桐人じゃ」



ダンと名乗った男は、俺の前に立つと右手を差し出してきた。



「桐人くん、よろしく」



握手した瞬間、ぐっと力が込められる。


試しているのか。


俺も負けじと握り返すと、ダンさんの青い目が少し見開かれた。



「すごい力ですね」



彼は握手をしたまま首を傾げる。



「昔、同じような『脈動』を持つ人たちに会ったことがあります」


「おーみやさんや、亡くなった息子さんからも感じた、血脈の継承者特有の生命力の脈打ち方です」。



「お察しの通り、坊主は血脈の継承者じゃ」



爺さんの言葉に、ダンさんは納得したように頷いた。


この人も、ただの船乗りじゃない。



「さあ、続きは船で。桐人くん」


ダンさんは真剣な光を目に宿す。


「オコゼ島は、特別な場所です。心の準備をしておいた方がいい」



ダンさんの白いクルーザーは、周りの漁船とは明らかに異質だった。



「これで魔の海域を通るんですか?」



俺の問いに、操舵室のダンさんの顔が引き締まる。


「ええ、あそこは確かに危険です。でも、正しい航路を知っていれば大丈夫」。



「正しい航路?」



「まあ、色々とコツがあるんです」



エンジンの低い唸りと共に、船はゆっくりと岸壁を離れた。


港が遠ざかり、陸地から離れる本能的な不安が湧き上がる。



船が外洋へ向かうと、透明なエメラルドグリーンの海が、徐々に深い青へと変わっていく。


その先には、飛行機から見たあの暗い海が待っているのだ。



振り返ったダンの青い目が、俺をまっすぐに射抜いた。



「桐人くん。一つだけ言っておきます」



「あの島では、常識が通用しないことがあります」



その言葉が、これからの過酷な運命を予感させていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る