第3話「夕闇の襲撃」
【前回までのあらすじ】
スニク様の指導の下、さくらは恐怖と向き合いながら戦うことを学んだ。桐人の吸血鬼化を防ぐため、さくらが強くならなければならない。新月まで残り十四日、時間との戦いが始まる。
————————————————
水前寺館でさくらと本気の仕合をして、三日が経った。
新月まであと十一日。
まだ時間はあると思いながらも、俺は見回りを続けていた。
夕暮れ時の住宅街は、いつもより静かだった。
猫の変死体が見つかって以来、生徒たちは日が落ちる前に帰宅するようになっていた。
(まあ、それが正解だよな)
オレンジ色の光が建物の影を長く伸ばしている。
そんな中、前方に高校の制服を着た女子が一人で歩いているのが見えた。
(おいおい、マジかよ)
こんな時間に一人歩きなんて、自殺行為だ。
俺は足を速めて追いつこうとした。
距離が縮まるにつれて、その後ろ姿がはっきりしてくる。
肩までの髪、小柄な体格、そして————
「あの赤いメッシュ……絢音じゃねえか」
* * *
「おい、絢音!」
大声で呼びかけると、絢音の肩がビクッと跳ねた。
カバンが手から滑り落ち、地面に落ちる音が響く。
振り返った絢音の顔は、なぜか青ざめていた。
一瞬、罪悪感のような——いや、怯えたような表情が浮かんだが、すぐに不自然なほど明るい作り笑顔に変わった。
「あ、桐人先輩♪ 見回り、お疲れ様です♡」
甘い声だが、目が泳いでいる。
「なんで一人で歩いてるんだよ」
「えっと……もう大丈夫かなって思って……」
絢音が上目遣いで俺を見る。
しかし、その視線はすぐに俺の後ろへと向けられた。
まるで誰かを待っているような————
「それより暑くなってきましたね~」
そう言いながら、制服の第一ボタンを外しながら、手でパタパタと仰ぎ始めた。
(ちょ、待て……)
チラチラと覗く白い肌に視線が引っ張られそうになる。
しかし、それは明らかに時間稼ぎだった。
「お前、何か隠してるだろ」
絢音の動きが止まった。
俺は絢音が向かっていた方向を見る。
この先は、数日前に猫の死骸が見つかった辺りだ。
* * *
薄暗くなった向こうから、誰かが歩いてくるのが見えた。
「さくらか」
だが、足取りがふらついている。
まるで酔っているような、不自然な歩き方。
「ちっ」
絢音が小さく舌打ちをした。
その瞬間、俺は全てを理解した。
(絢音は、さくらをここに誘導していたのか)
絢音が突然走り始めた。
「おい、絢音!」
絢音の走る先を見て、俺の背筋が凍った。
黒ずくめの男が、ゆっくりとさくらに近づいていた。
顔の半分以上を覆う長い前髪。
何度か遭遇したあの吸血鬼に違いない。
「くそっ!」
俺はカバンを投げ捨て、木刀だけを掴んで絢音を追いかけた。
* * *
「さくら先輩、危ない!」
絢音が全速力で黒ずくめの男に体当たりをした。
だが————
男はびくともせず、逆に絢音を抱え込んでしまった。
「絢音!」
男の口から鋭い牙が覗いている。
目は真っ赤に染まり、焦点が合っていない。
抱えられた絢音の目がトロンとしている。
まるで意識が朦朧としているような————
「きりひと……せんぱい……」
絢音の声は、今にも消えそうなほど弱々しかった。
さくらもふらふらと立っているのがやっとという状態だった。
腕を広げ両足で必死に地面を踏ん張っているが、膝が震えている。
「桐人、これは代々木公園の時と……似ています」
さくらが苦しそうに言葉を紡ぐ。
「でも、呪文は……聞こえませんでした」
息を整えながら続ける。
「それなのに……体が……重くて……」
* * *
「完全に動けないわけじゃ……ない」
さくらは必死に抵抗しようとしているが、明らかに動きが鈍い。
まるで水の中を歩いているような、重たい動き。
「あの時より……弱い……はずなのに」
(そうか、男の吸血鬼の女性の力を奪う能力か)
俺は修学旅行での記憶を思い出した。
女吸血鬼に力を奪われた、あの感覚。
今、さくらと絢音が同じ状況に陥っている。
吸血鬼は絢音を抱えたまま、もう一方の手をさくらに伸ばし始めた。
ゆっくりと、しかし確実に。
「くっ……動け……私の体!」
さくらが歯を食いしばって抵抗する。
しかし、反応があまりにも遅すぎる。
(このままじゃ二人ともやられる!)
* * *
俺は吸血鬼に向かって大きく踏み込み、木刀を投げつけた。
回転する木刀が、夕闇の中を飛んでいく。
男は片手で木刀を振り払った。
しかし、その瞬間————
俺は既に男の懐に飛び込んでいた。
足払いをかけ、同時に肩にパンチを入れる。
「ぐっ!」
衝撃で男の腕が緩み、絢音が落下する。
俺は素早く絢音を抱え上げた。
絢音は完全に気を失っていた。
投げつけた木刀は、跳ね返ってさくらの胸に当たった。
「いたっ!」
鈍い音と共に、木刀がさくらの足元に落ちる。
(よし、痛みで少しは正気に戻るはず)
* * *
「さくら、目が覚めたか?」
「ええ、木刀が当たった痛みで……」
さくらが額の汗を拭いながら続けた。
「少しシャキッとしました」
震える手で木刀を拾い上げる。
しかし、まだ動きは鈍い。
吸血鬼の男は、体勢を立て直すと再びさくらを標的に定めた。
赤い瞳が、獲物を見定める肉食獣のように光っている。
じりじりと間合いを詰めてくる。
俺は絢音を地面に横たえながら、叫んだ。
「さくら! 親父さんとお袋さんの仇を討て!」
その言葉を聞いた瞬間————
さくらの瞳に、激しい炎が宿った。
震えていた手が、ピタリと止まった。
「お父様……お母様……」
さくらは呟いた。
【次回予告】 木刀が当たった痛みで、力を取り戻したさくら。桐人との本気の仕合の成果は?
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