第2話「万有引力と質量兵器」

【前回までのあらすじ】

桐人は高校2年のクラス替えで、剣道全国優勝の美少女・大宮さくらと同じクラスに。呪いに苦しむ桐人は、彼女の圧倒的な存在感に視線を奪われてしまう。暴力的な従妹ユリも同じクラスになり、桐人の受難の日々が始まった。

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「桐人、あんた、今朝も一緒に学校行こうって言ってたのに先に行くなんてひどいじゃない」


ユリが恨めしそうに言った。



「俺と一緒に登校したら、お前に迷惑かけるかなと気を遣ったんだ」



ユリは一瞬表情を曇らせた。



「あたしが見張ってないと、たくさんの女の子があんたの被害に遭いかねないのよ」



「被害って、ひでえな」



(そこまで言うかよ……)



「そう思うなら見ないようにしなさい。あと、あたしを置いて行かないこと!」



「わかったから、シャーペンで背中つつくな」



(痛えんだよ、マジで)



     *  *  *



その後、授業中はさくらへと視線が引き寄せられるのと戦う日々だった。



彼女は重たいのか、机の上にその膨らみを乗っけていることがある。


その絶対的な質量に視線が引き寄せられてしまう。



(これはもはや物理法則だろ)



かのアイザック・ニュートンが発見した、万有引力の法則。


その絶対的質量は視線までも引きつけるのだ。



F = G × m1 × m2 / r²



(待て、なんで公式まで思い出してんだ俺)



視線そのものは黒板に送っていても、周辺視野で捉えたその絶対質量兵器に俺の神経のほとんどは注がれていた。



授業中、さくらは滅多にこちらを振り返らない。



でも、たまにノートを落としたり、後ろの席のユリに話しかけたりする際に———


ふいに上半身をひねってこちらを向く。



(やばい!)



その瞬間、俺は反射的に目を閉じて頭の中で脳内再生をするはめになる。



そうでもしないと、さくらに俺がそこに集中していたことがバレてしまいそうな気がしたのだ。



ところが運の悪いことに、俺の後ろの席には従妹のユリが座っている。


前方には質量兵器の大宮、後方には口うるさいユリ。



(まさしく前門の虎、後門の狼だな……)



いや、前門のメロン、後門の暴力か。



     *  *  *



ある日のホームルーム。


担任が修学旅行の班決めをしろと言い渡した直後、教室がざわつき始めた。



そこにユリがシャーペンで俺の背中を突きながら耳打ちしてきた。



「ねえ、桐人、今さくらの胸見てたでしょ」



「いや、見てねえよ」



(グサッ)



「っていうかシャーペンの芯出てねえか? 痛えぞ!」



「あんた、視線が変に固定されてて、鼻の下が伸びてるのよね」



ユリがニヤリと笑う。



「バレバレなんだけど」



鼻の下が伸びるだと!?



(早く教えろよ!)



思わず俺は口に手を当てて鼻から下を隠してしまった。



「やっぱり見てたのね」


ユリが勝ち誇ったように笑う。



「こんなバレバレのカマかけに引っかかるなんて……桐人、わかりやすすぎ」



(くそ、やられた)



このやり取りを聞きつけたのか———


さくらが振り返った。



ふわりとした黒髪が揺れながら、俺とユリの顔を見渡す。



「お二人は仲が良いのですね」


さくらが微笑んだ。



「……桐人は私が振り返ると必ず目を閉じていますが」



さくらの口調は丁寧だが、どこか観察眼の鋭さを感じさせる。



(剣道で培った集中力が、日常でも発揮されてるのか?)


(つーか、バレてるじゃねえか)



     *  *  *



「さくら、それは見てたのがバレないように慌てて目を閉じてるのよ」


ユリが説明し始めた。



「桐人は異常に動体視力がいいし、変に視野が広いのよね」



「だからさくらが振り返る瞬間を見逃さないで、慌てて目を閉じてるんだと思う」



(そこまで詳しく説明しなくても……)



「桐人のその能力は、剣道においても有効でしょうね」


さくらが興味深そうに言った。



「優秀な剣士の条件の一つです」



「戦国時代の剣豪・塚原卜傳は『目付け』を重視し、相手の動きや癖を瞬時に見抜くことで生涯無敗を貫いたと言われています」



(急に剣豪の話!?)



「桐人の動体視力と広い視野があれば、相手の攻撃の予兆や隙を察知できるはずです」


「もし、剣の道に興味があるのでしたら、いつでも私の道場へお越しください」



(道場? いや、絶対行かねえ)



「無理無理、桐人はただの変態だから」


ユリがバッサリと切り捨てた。



「その能力も胸を見る時にしか発揮されないのよね」


「一緒に通学してる時とか、いつもちらちらあたしの胸を見てくるし」



「違う! 俺の動体視力は他にも役立ってる」


俺は必死に反論した。



「例えば、飛んできたボールをキャッチしたり、車や自転車を避けたり、テストで隣の席の答案を……」



(あ、やべ)



「って、これは言っちゃダメか……」



「と、とにかく、ユリの平らな胸のどこを見るってんだよ」


「それは制服の布が余ってるだけだろうが」



一瞬の静寂。


周りの空気が凍りついた。



「桐人ぉ、言ってくれるじゃない!」



ユリがシャーペンを構えて立ち上がった。



俺はイスをガタッと引いて逃げる。



「待てコラー!」



「うるせえ! 事実だろうが!」



     *  *  *



騒ぎが収まった後———


「この身体的特徴は、確かに日常生活において不便な面が多いのが実情です」



さくらが静かに呟いた。



「防具の着用時にも調整が必要ですし、稽古の際の重心バランスにも影響します」



その口調は淡々としているが、どこか達観している。


そして少し寂しげだ。



「正直なところ、戦いにおいては邪魔でしかありません」


「それでも剣道を続けるのは———」



さくらは一瞬言葉を切った。



「まあ、それは私の事情ですが」



(なんか、重い理由がありそうだな)



「ユリ程度のサイズの方が、武芸を行う上では理にかなっているでしょう」



「さくら、それってさりげなくマウント取ってない?」



ユリが目を細めた。



「そんなつもりはありません。事実を述べただけです」



さくらが涼しい顔で答える。



(確かに大宮のは山で、ユリはせいぜい丘だな)



俺は心の中でそっと比較した。



いや、丘というか平原に近い———


「桐人、今なんか失礼なこと考えてたでしょ」



ユリの第六感が発動した。



「考えてねえよ」



「嘘つき」



そんな俺たちのやり取りを見て、さくらが小さく笑った。



「楽しそうで何よりです」



その笑顔は綺麗だったが、どこか羨ましそうにも見えた。



「これからよろしくお願いしますね、桐人」



今日も敬称なしで呼ばれた。



(変態扱いされないって、こんなに気楽なんだな)



「あ、ああ。よろしく」


胸の奥が、じんわりと温かくなる。



ただ、剣道の話はちょっとだけ興味深かったかもしれない。



この呪いで身につけた能力が、何かの役に立つ日が来るのだろうか———


そんな予感は、思いもよらない形で的中することになる。



【次回予告】

日直当番で二人きりになった桐人とさくら。さくらは桐人の「視線の圧」について独自の見解を示し、その才能を剣道に活かすべきだと説得する。そして校庭でのサッカーを通じて、桐人の隠れた能力が明らかになる———。次回「視線の圧と日直当番」

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