第2話「視線の呪縛」
【前回までのあらすじ】 小学5年生の桐人は、球磨瑠璃光院の特別開帳で薬師如来を参拝。その時、世界が静止したような不思議な感覚と、胸の奥の熱さを体験する。何かが自分の中で変わり始めている予感を抱きながら、本殿を後にした。
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帰り道。
境内からの長い石段を降りている時だった。
(なんか変だ……)
視線が、勝手に動く。
目の筋肉が自分の意志とは関係なく、ピクピクと動いている感じがする。
前を歩くユリの————
(やばい、また見てる!)
見てはいけない気がして視線を逸らそうとする。
でも目が言うことを聞かない。まるで磁石に引き寄せられる鉄みたいに。
今まで全く気になったことなんてなかったのに。
(なんだこれ、目が勝手に……)
視線を外そうとすればするほど、余計に引き寄せられる。
「ねえ、桐ちゃん」
ユリが立ち止まり、振り返った。
「さっきからあたしの胸をチラチラ見てるでしょ」
(ギクッ!)
「み、見てねえよ!」
慌てて否定する俺。
でも口が勝手に動いた。
「そんな平らなのにブラジャーつけるんだ、と思っただけだ」
「やっぱり見てるじゃない!」
ユリの顔が真っ赤になる。
「もう! 桐ちゃんのエッチ! 最低!」
そう叫んで、ユリは足早に階段を駆け下りていった。
* * *
(エッチってどういうことだよ?)
一人残された俺は混乱していた。
どうして、こんなに胸が気になってしまうんだ?
石段を降りきって、境内の端まで来た時。
「おや、困った顔をしているね」
声をかけられて振り返ると、そこには奇妙な屋台があった。
(さっきまでこんなのあったか?)
小さな屋台には、色とりどりのお面が並んでいる。
仮面ヒーロー、戦隊ヒーロー、パンのヒーロー……
子供向けのお面に混じって、ひときわ古びた能面が一つ。
店主は白髪の翁面をつけていた。
面の下から聞こえる声は、老人とも若者ともつかない不思議な響き。
「君、さっき本殿で『印』を受けたね」
「は? 何の話ですか」
「薬師如来の十二神将は、時に人を選ぶ」
翁面がゆらりと動く。
見る角度によって、笑っているようにも、厳かな表情にも見える。
「選ばれた者には、煩悩が与えられる」
「煩悩って……」
「いや、正確には違うな。もともと持っていた煩悩が、表に出るだけとも言える」
店主は並んだお面の中から、一つを取り出した。
真っ白な、何の装飾もない面。
目と口の穴だけが開いている。
「これを持っていきなさい」
「え、でも金が……」
「要らないよ。これはもともと、君のものだから」
無地の面を手に取ると、不思議と手に馴染んだ。
よく見ると、うっすらと模様のようなものが浮かんでいる。
目のような、渦のような……
「その面はね、君の『素顔』を映し出す」
店主の声が遠くなる。
「煩悩は弱さじゃない。それは人間の証であり、力の源でもある」
「どういう意味だよ」
「いずれ分かる時が来る。君が本当の敵と出会った時に」
気がつくと、俺は面を抱えて立ち尽くしていた。
振り返ると————
屋台は跡形もなく消えていた。
(なんだったんだ、今の……)
* * *
叔父の家に戻ると、ユリはまだ怒っていた。
「桐ちゃんとは、もう口きかない」
そっぽを向くユリ。
俺は面のことを話そうとしたが、やめた。
どうせ信じてもらえないだろう。
その夜、布団の中で面を眺めた。
月明かりに照らされた面は、なんとなく笑っているように見える。
(煩悩が力の源……か)
翌朝。
「昨日、境内でお面屋を見たんだけど」
朝食の席で切り出すと、叔父が首を傾げた。
「お面屋? そんなの出てたか?」
「翁の面をつけた店主がいて……」
「知らんなあ。ユリ、お前は見たか?」
「見てない」
ユリはまだ不機嫌そうに答えた。
俺は諦めて、それ以上は聞かなかった。
でも、枕元に置いた白い面は確かにそこにある。
これだけが、昨日の出来事が夢じゃなかった証拠。
(視線が勝手に動くのも、あの店主の言う『煩悩』ってやつなのか?)
この時の俺は、まだ何も理解していなかった。
この呪いが、これから俺の人生をどれほど変えてしまうのか。
そして、白い面が持つ本当の意味も。
ただ一つ確かなのは————
俺の中で、何かが始まったということだけだった。
【次回予告】 視線の呪いに苦しむ桐人は、中学入学後も孤立した日々を送っていた。しかし、ある日図書室で見つけた一冊の本が、呪いを制御する希望の光となる。カメラアイと呼ばれる特殊能力の習得に挑む桐人の、血のにじむような訓練が始まる————。第一章「視線を制御する方法」
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