白い約束




 おっすおれ田中。よろしくな。……え? どの田中かって? お前って随分、変なことを訊くんだな。田中と言ったらあの田中しかいないだろ。

 おいおい他人行儀はやめてくれよな。田中だよ。あの。世界に一人だけの。確かそんなことを歌っていた国民的アイドルグループがいたよな。まあおれは聴かなかったけど。当たり前だろ? なんでキモオタの田中が男性アイドルなんて応援しなきゃならないんだよ。キモオタが愛するのは二次元。それ常識でしょ。田中は産まれた時、泣いたからね。おんぎゃーあ。なんで泣いたかわかる? 二次元の子宮から生まれなかったことに絶望したんだよ。

 だってさ。田中的にはもうこの世界は完全にアウトなわけ。普通ならスリーアウトでチェンジでしょ? でもどうももうツーサウザンドぐらいアウトしてるんだよね。それなのに一向にチェンジする気配が無い。おかしいよ。

 ねえねえ。今更だけど訊いていいかな? きみってどうしてそんなところで寝転がってるの? え? 癌? どのくらいの癌? ステージ100? それってもしかしてもの凄くやばい癌なんじゃないの?

 どうりでおかしいと思ったんだよ。だってさ、田中がこうして颯爽と現れたっていうのに拍手の出迎えすら無いんだもん。普通だったらここはスタンディングオベーションでしょ。

 でも癌で良かったよ。ちょっとこれ見てよ。

 ……どう?

 田中が描いたんだよ。なかなか良い絵だろ? 可愛らしいキャラクターだろう? 名前はねえ……癌ちゃん!

 おいおい勃起するのはさすがにこの田中が退室してからにしてくれよな。田中から言わせてもらうと癌は友達なんだよ。いや……なんて言うか、もっとこうムラムラすると言うか、中出ししたくなるような存在と言うか。つまりだな、癌と戦うから負けるのであって、最初から敵と認識しなければ問題にすらならないんだよ。

 きみの身体の中でどんどん癌ちゃんが勢力を強めているだろう? その完全にいやらしいすうぐ股を開いて四つん這いで追い掛けて来る存在がね。良かったね。癌ちゃんはもうきみの嫁!

 ……と、そこまで男が言ったところで看護師が慌てて部屋へ駆け込んで来た。

 どうやら別の病棟から紛れ込んで来た患者らしい。早速、無線で助けを呼んでいた。看護師、一人では対処しきれなかったからだ。

 男は脳以外は全てが正常だった。

 やがて廊下へと連れ出されて行った。その直前におれを見て言った。

 もしも! もしもさあ! きみの病気が治って! それでこの田中の病気も治って! そして世界中の戦争が終わって! それで! それでさ! それでもしも退院した時に空が晴れていたらさ! その時はさあ!

 そこでおれの視界から消えた。

 それきりあの田中さんとは会ってない。あとで訊いたところによると田中ではなく野口なのだそうだ。

 まあいい。もうそんなことはどうだっていいさ。

 おれは田中さんと約束を交わした。

 そして不思議な安堵に包まれその日は目を閉じることが出来たのだ。



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