住所不定無職漫画喫茶在住二十五時




 おれはワクチンを打った。ワクチンが好きだからだ。

(いや……待てよ)

 心の中を覗き見た。盗撮だ。それは自分の心の中なので問題は無い。やはりおれはワクチンが好きだということが判明した。

 現におれは今、白米にワクチンをぶっ掛けて食べている。

「もしゃっもしゃっ」

 じゅるりと口の端からワクチンの汁が垂れた。落下する前に啜って飲み込んだ。

 肩にそいつを注入するだけではもう物足りないのだ。ウイルスはどんどん変異していた。実際この目で見たわけではない。だがテレビがそう言っていたのだ。テレビが間違ったことを言うわけなんてない。

 おれはテレビが好きだ。だから家の中ではいつもテレビを点けていた。そこには藤井竜王が出ていた。すげー。おれは思った。彼の食べる昼食は必ずメモし後日、自分も御賞味するのだった。

「あのガキ、こんないいもの食ってたのか……」

 愕然とさせられる。あんな遊びでトンカツが食えるのだからこっちは社会人などまともにやっていられない。おれは月に一度の贅沢で半額シールの貼られた冷めたカツを食うのがやっとだって言うのに……。

 まあいい。

 おれはトンカツなんかよりもっと良いものを手に入れた。

 ワクチン。

 もう名前からして、ワクチン。

 周りのみんなはまだ三回しか打っていなかった。だがおれは既に二十七回、接種している。何故かって? 他人より良い思いをしたいからに決まっているではないか。幸せには定量がある。ただ黙って行儀良くしていると全部、他人に奪い取られちまう。おれの爺ちゃんは呆けたふりして接種会場内を何度も往復した。

「ほげ?」

 そして一人で何発も何発も打ったのだ。爺ちゃんは帰宅後、誇らしげにおれに言った。「世の中、ここだよ」そしてウインクをし自らの頭をとんとんと叩いたのだった。

 爺ちゃんは死んだ。

 全部、新たな変異株のせいだ。爺ちゃんがあんなに打ったワクチンはもう用済みだった。新しいやつには対応していなかった。時代遅れだった。おれは泣いた。これでもう来年からはお年玉を貰うことが出来ないのだ。

 爺ちゃんは爪が甘かった。

 とにかく打つ、何度でも、在庫がある限り、無ければ脅してでも打つ。最新型が出たなら即、打つ。たかだかフライングして他人より二三回、多く打ったところでそれが一体なんだと言うのか? おれは爺ちゃんの墓前に誓った。何かを。そこに立っていたのはもはやワクチンの鬼だった。

 隙あらば接種。

 今となっては終日営業のマンキツで白米にワクチンをぶっ掛けて食べるのがおれのリアルだ。

 おれはワクチンが好きだ。愛している。思い返してみれば最初の接種会場でおれ一人だけが勃起していた。これから何が起こるのかと勝手にオティムティムが脈動し始めたのだ。

 おれはマンキツから河野太郎へ電話を掛けた。河野はいません、と言われた。いないってどういうことだ? この地球上から消滅したのか?

「あんただれ?」おれは尋ねた。事務所の者です、とそいつは言った。おれは想像した。河野太郎の事務所を、そしてそこで働いている女を。

「じゃあさ、河野太郎に伝言があるから代わりに伝えておいてくれよ」

「はい」

「……あのねえ」

 おれは苦言を呈した。

「ワクチンが全然、足りないんだよ。はっきり言って厚労大臣として失格だとおれは思うね」

「河野は既に厚労大臣の職務を……」

 おれは電話を切った。そしてマンキツの椅子に深く座り込み、テレビを点けた。

「感染が拡大しております! 現在、猛威を奮っています! 皆さん家から一歩も出ないで下さい! 満員電車を除く全ての移動手段は原則、禁止です! マスクを付けて下さい! 暑い時は外しても構いません!」

 なんとか大学の名誉教授がアクリル板越しに喚いていた。凄まじい形相だ。まるで見えない背後から銃口でも突き付けられているかのようだ。

 おれは、そわそわした。

 何しろさっきワクチンを打って(食って)からもう既に三時間以上が経過しようとしている。有効成分が消失しているのでは? そう思うともう居ても立ってもいられない。

 早速、最寄りの集団接種会場へと乗り込んだ。

 奇しくもそこでは反ワクチン団体のなんとかQという連中がいて何か喚いていた。それを見ておれの怒りの炎が燃え上がった。

「おいっ、てめえらみたいなエビデンスの欠片も無いチンパンGどもがこの国を一体どれだけ不安と恐怖に陥れたかわかっているのか! てめえらが接種しないのは自由だっ、だがこれだけは言わせてくれっ、他人の打つ権利だけはけして侵害してくれるな!」

 その半分も言い終わらない内におれは接種会場から叩き出された。どうやらおれは過剰接種のブラックリストに載せられているらしい。

「全くあいつらどうしようもない連中ですよね」

 会場の外でぐったりしていると、そのなんとかQの若者がペットボトルの冷たい飲み物を差し入れしてくれた。なんだ、こいつら良い奴じゃんか。おれの中で一気にそいつらの株が上がった。

 それ以来、おれはこの気の合う仲間たちと日々、行動を共にしている。ここでは年齢も職も関係ない。ただありのままの自分でいることが出来る。母さん……東京には人情が無いって言っていたけれどそんなことなかったよ。人と人との触れ合い、結局それが一番、大事。もしかしたらこの目に見えない絆ってやつこそが本当のワクチンなのかもしれないって近頃そう思うんだ。これからはもっと自分自身に備わった自然免疫ってやつを信じてみることにするよ。




                            ※ コロナ渦にて執筆

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