ただいま

 はいはい……

 ああ、君か。また会ったね

 まぁ、初めてでもあるまいし、好きな所に掛けてくれ

 さて……ここを再度訪れてくれたと云う事は、僕の助手となって、研究に協力してくれると解釈して宜しいのかな?

 それは僥倖ぎょうこう。正直に云ってしまうと、僕は少々周囲からの評判が芳しくなくてね

 知っているかい? 学徒達のみならず、教師陣ですら私に在らぬ嫌疑を掛けてくるんだ

 僕はただ、自分が関心のある事柄を研究しているだけだと云うのに……全く……

 とまぁ、そう云う訳で、君以外に被験者となってくれそうな人を探すのが億劫で、断られたらどうしようと思っていたんだよ

 少しばかり力を入れて、君に『断れない提案』をしようかとも考えた程だ

 しかし、その憂慮は果たして杞憂に終わり、僕はそれに逐一ちくいち頭を悩ませずに済む訳だ

 君のレポートにも眼を通したよ。あまりにも興味深かったものだから、てっして読み込んでしまった

 たかがレポート一つでと思うかい? ならば君は、人間の力……否、君自身の力を過小評価していると云う事さ

 研究とは、何時いつ、何処に鍵となる物があるか一切解らない探窟作業トレジャーハント

 研究者と云う生物はやはり、自分の研究が進展した時に最も大きな興奮を覚える物だからね

 そして、今僕の眼の前に、研究を加速度的に進展させ得る至宝があるんだ。これを逃す手は無いだろう

 そう云う訳だ。君さえ良ければ、今からでも実験を始められるんだが……

 宜しい。では始めよう

 ……君は今、長く険しい道を歩いている

 周囲に広がる荒野の砂を巻き上げながら吹きすさぶ風が、身体を叩く

 舗装の為されていない丘の緩やかな上り坂は、凸凹でこぼことしていて歩き難い

 それでも、数多の旅人や荷車、雨風等で、幾分かは増しになっている様に思えた

 この道を今とは反対方向に下って行った時はまだ若く、何度かつまづいた記憶があるからだろう

 思えば、それももう、二十年も前の事になるのか

 和平条約によって長く続いた戦争も終わり、この魔法の腕前も、もう使う事は無くなった

 今では戦争の英雄としての肩書と、死にたくない、家族に会いたいと云う想いだけで必死に鍛え上げた力だけがあり、故郷に行きたいと云っても快く受理されるくらいには暇になっている

 連れて来られた先で検査官に『戦闘で使われる術式以外に適性が無く、前線の兵になるしか無い』と云われた時は、兵士として死ぬ事が運命なのかと世界を呪った事もあったが、やはり行いと云うのは報われるものだ。

 丘を登り切り、遠くを望むと、小さく、けれど温かい光の集まりと、各所から立ち昇る煙が見えた。

 もう直ぐ……もう直ぐだ……。

 もう直ぐ、故郷に着く……。

 自然と、足が速まる

 母は元気で居るだろうか

 病弱ながら女手一つで育ててくれた母には、感謝してもし切れない

 父親が遺してくれた財産があるから大丈夫だと云っていたが、それでも二人の子供を独りで育て上げる事は荷が重かっただろうに。

 弟はどうだろうか

 年齢が未満だとして一緒に来る事は無かったが、その分母を支えていくと云っていた事を良く憶えている

 腕白わんぱくだったが、同時に賢い奴でもあったし、ちゃんと母を助けてくれているだろう。

 早く、二人に会いたい

 話したい事が、沢山あるんだ

 始まった当初の訓練がかなり辛かった事

 成長を実感しても、自分よりも上の者達を見て却って辛くなる事が多かった事

 頼れる戦友が、何人か出来た事

 戦う中で、敵にも家族が居ると知った事

 戦争が終わった時、戦争が終わったと云う事よりも、死んで行った仲間の事を思い起こして、涙が出て来た事

 手紙を送る様な暇も無かったから、話し出したら止まらないだろうし、とても長くなると思う

 それでも、全部聞いて欲しい。

 貴方の息子は、ちゃんと、生きて帰ったのだと

 英雄となって、生きているのだと

 そう、伝えたい

 気付けば、もう家の前に着いていた

 久し振りに見たそれは、少しばかり小さくなっている様に見える。

 この先に、私の家族が居る……

 上手く、話せるだろうか

 話を聞いて欲しいと思っていながら、緊張している自分も居る

 けれど、そんな事で足踏みをしていても仕方が無い

 自分の生家なのだから、躊躇う理由等無い

 意を決し、ゆっくりと扉に手を伸ばし、ノブを回す

 温かい光を受けながら、■■は───

『ただいま』

 噛み締める様に、そう云った

 ……起きたかね

 ああ。君は予定よりも長く寝ていた

 とは云っても、三、四時間程度だがね

 長く眠ると云う事は、必要な睡眠であった証拠だ

 最近はテストも近いし、勉学に費やす時間が増え易い事は解るが、それによって体調を崩しては本末転倒だと云う事は、君も承知しているだろう

 僕としても、被験体が居なくては実験は行えないからね。出来れば健康で居て欲しいよ

 無論、教職としての観点からもね

 とは云え、一応これはアルバイトだ。報酬の為には、相応の働きをして貰わなければならない

 ああ、頼むよ

 珈琲でも淹れようと思うのだが、君は?

 ミルクとシュガーは?

 宜しい。その様にしよう

 感謝するよ、君

 これで、俺の研究は一歩前進する


 ◇


「教授」

 何だい

「これで二回目だけど、どうだったの?」

 あの子の事か。それならば心配無い。万事順調さ

「なら良かった。薦めた通りだったでしょ」

 ああ、感謝しているとも

 まぁ、僕としては、願わくば、君にも実験に参加して貰いたいと云うのが本音だがね

「無理無理、ネットサーフィン大好きで、そう云うのに関係無い変な事ばっかり考えちゃうから。あの子の方が適役だよ〜?」

 ふむ……確かにあの子は、君の云った通り、素直に吸収、反映してくれるから、データは取り易いね

「あっ、それあの子のレポート?」

 そうだよ。今回はノンレム睡眠に入ってしまった様で、夢の内容は半分程しか綴られていないし、自覚の無い変化等も起こっている様だ

「ありゃりゃ。じゃああんまり有用じゃない感じ?」

 まぁ、これも想定内さ。貴重なデータの一部として、保管させて貰うよ

「あの子に見たって云ったら、顔を赤くしたり……は、しないか。結構自分に興味無い感じだし……」

 この実験も、その気質があるからこそなのだろうね

「そう云えばさ〜。今回のお話って、どんな内容だったの? あの子から聞く限りだと、結構平和に終わったみたいだけど?」

 ふむ……まぁ、君ならあの子に漏らすと云う事も無いだろうし、良いだろう

 とは云っても、それ程長い物でも無いがね

 和平条約により終結した戦争から帰還し、自身の生家に戻った英雄は、様々な事を思い起こし、期待に胸を膨らませながら家の扉を開ける

 だが、そこには誰も居なかった

 文字通りに、もぬけの殻だったのさ

 それは何故かと近くを通った男を捕まえて訊いてみると、『復讐を恐れて他国に逃げた』と云われた

 そこで、英雄は気付いたんだ

 弟が、実は腹違いだった事

 自分が物心付く前から父が居らず、女手一つで育てられた事

 父と云う収入源が無くとも、金に不自由をしていなかった事

 全ての点が線として繋がり、真実を知った英雄は、怒り狂った

 何の為の苦痛か

 何の為の献身か

 何の為の愛情か

 何の為の人生か

 そうして英雄は、最早空洞となった生家を焼いた

 各所からぽつりぽつりと立ち昇るばかりだった細いそれとは違う、轟々と燃え盛る炎と、太く、長く天へと伸びて行く煙の前で

 己すら焼き尽くす様な光の中で

『ただいま』

 涙を流す事も無く、虚ろな顔で

 英雄は、そう呟いた

 これで、この話は結びだ

「……バリバリバッドエンドじゃん」

 そうさ。これは家族に裏切られた英雄の話

 灯台下暗しとは、良くも云ったものだよ

 尤も、この手の話は大抵原典は碌でも無いものだよ。グリム童話等が良い例だ

「と云うかさぁ、こんなお話誰が作った訳? 人の心を良くご存知みたいだけどさ」

 さてね。僕はただ、知っている話の中で無作為に選出した物を語って聞かせているに過ぎない

 出処がどこかについても、僕の知った事では無いよ

「ふ〜ん……じゃあさ、そう云うお話はどこから拾って来るのさ。興味あるから教えてよ」

 そこは企業秘密とさせて貰おう。君はあの子と関わる事が多いから、君と一緒に居る時に偶然知ってしまうかも知れないからね

「うわ〜怪しぃ〜。もしかしてさ、本当は教授が小説みたいに考えたお話だったりするんじゃない?」

 どうだろうね。どちらにせよ、僕のこの実験の様に、偶然性と云うのは無視の出来ない要素だ

 君を経由してあの子に先入観が植え付けられてしまった場合、今後の実験には大きな支障を来す可能性が高いと考えてくれ

「はいは〜い、承知しました〜」

 宜しい。では、僕はこれで失礼するよ。あの子に報酬を渡さなければいけないんだ

「は〜い、行ってらっしゃ〜い」

 君も、あまりここには入り浸らない事だ

 僕と同様に、無遠慮な噂が流れるかも知れないからね

「解ってま〜す、教授よりは人間に興味あるんで多分大丈夫で〜す」

 なら、良いのだがね

「……行った……ね」

「はぁ〜……結局手掛かりは多く無さそうだなぁ〜……」

「でも、今日は来て正解だったかも」

「この仮説が正しければ、あの教授は……」

「な〜んて格好付けて云っても意味無いか! 云い付け通り帰りましょ〜っと」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シュルレアリスムの声 天然王水 @natureacid

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る