ライブステージは、世界のどこだって

 湯気の向こうに、やつらの顔があった。


 カウンターが八席。壁には色褪せたスポーツ新聞。店主は無口で、テレビの音だけが店内に流れている。俺たち三人には見慣れた光景だった。何度か来ている、場末のラーメン屋。終電を逃した夜とか、打ち上げに失敗した帰りとか、理由も覚えてないようなときに。


「ここのスープはよい。トンコツが、自己主張しない」


 ヒトラーがいった。あいかわらず真顔だ。レンゲでスープをすくって、一生懸命冷ましながら啜ると、ふうっと静かに息を吐いた。次の瞬間には袖をつまみ、テーブルに備え付けられた壺に手を伸ばしていた。


「にんにく、さらにマシマシ」


 どっさりと入れる。ドバドバ。周囲の客がざわめいたが、本人はお構いなしだった。もはや風物詩だ。


 一方、スターリンは無言で唐辛子を三振り。いや、四振りだったかもしれない。いつも大量にぶっ込むのに、彼は一度たりとも文句をいわれたことがない。何もいわせない空気をまとっている。


「辛味は、記憶を塗り替える」

「それはお前の個人的見解だろ……」


 俺はラーメンを一口啜ってから、カウンターの上にスマホを立てる。画面には『独裁ナイツ・アンダーグラウンド』。現在進行形で生配信中だ。コメント欄が、止まらない。


《総統ガチで生きてた!》

《ラーメン回きたw》

《スターリンの手元にだけ、編集権がある説》


 俺たちは今、地下芸人から地下配信者に鞍替えしている。公安のマークがきつくなって、劇場にすら出られなくなったからだ。動画配信の世界に逃げ込んだ。それも、真っ当なやり方じゃない。


 予告なし、編集なし、サムネ手抜き、完全ゲリラ配信。配信場所もランダムだ。ラーメン屋、公園の東屋、場末のカラオケボックス。どこでもスタジオになる。


 一応、スターリンの都合に合わせるのがルールだ。公安の許可が出た日だけ、彼は姿を現せる。今日も店の外に監視員がいる。こないだ試しにカメラを向けたら、スマホをひったくられかけた。笑えない。


「しかし、諸君。こんなことは、いつまでも続かんぞ?」


 ヒトラーが箸を止め、唐突にいった。まるで、このラーメンに賞味期限があるかのように、哀愁のある口ぶりだった。


「生活費を稼がなくてはならない。せめて晴彦が家を買えるようになるまで」


 スターリンがつぶやいた。唐辛子を入れすぎて、声が少し鼻にかかっていた。


「賃貸でいいじゃん」と俺はいったが、スターリンは淡々と続けた。

「大家が断るかもしれない。持ち家が現実的だ」


 妙に説得力がある。たしかに、俺の両親は最近うるさい。「いい加減出ていけ」「金は貯まったんだろ」って。何もいい返せなかった。


「とはいえ、お前らと配信者になるとはなあ……」


 俺は溜息まじりにぼやいてから、スマホの画面に視線を戻す。コメント欄が一瞬だけ静まり返り、ひとつの投稿が目に飛び込んできた。


《で、次はどこで会えるんですか?》


「視聴者が、また聞いてるぞ」


 俺が指差すと、ふたりも画面をのぞき込む。ヒトラーが一拍置いて、目を細めた。


「ならば答えねばなるまい」


 スターリンが器を置き、カメラに向かっていった。


「次のライブ会場は——お前らの脳内だ」

「急にポエムやめろ!!」


 俺が即ツッコミを入れると、店主がほんの少しだけ笑ったような気がした。


 コメント欄が、一気に沸騰する。


《脳内ライブww》

《支配されてる感やべえ》

《もう寝らんねえわ》


 音がないのに、笑いが聞こえたような気がした。いや、もうこの世界では、笑い声よりもコメントのほうがリアルなのかもしれない。


 現実はどこまでも不安定だ。未来も当然、不確かだ。でも、こうして笑いが続いている限り——


 たとえゲリラでも、逃亡者でも、亡命芸人でも。


 俺たちはまだ、ここにいる。


 どこかの夜の、どこかの路地の、どこかの電波の中で——

 また、笑わせにいく。


 *


 家に帰ると、両親はもう寝ていた。家の中は静まり返っていて、俺は小さなため息をついた。


「晴彦、お茶を淹れろ。熱すぎないやつを」


 ヒトラーが唐突に言った。命令形だが、もう驚かない。


「なんで命令? まあいいけど」


 台所でやかんに水を入れ、火をつける。二人分。夜はまだ長そうだ。


「スターリンも大変だな、ホテルで軟禁とか。やることねえだろ、マジで」

「ネットは使えるらしい。やつのことだ、いろいろ学習しているであろ」


「次のネタのためか?」

「ネタを本気に変えるためかもしれん」


 冗談のようで、冗談じゃない。爆笑王が終わった頃から、どこか変わってきている。ネタはあくまでネタ。そういうルールを、どこかで火にくべているような気がする。


「心配するな。すべては笑いの延長線上にある」


 窓ガラスに影を落としたヒトラーが、静かにいった。その横顔に、返す言葉が見つからなかった。


 そのとき、家中の電気が一瞬、ふっと消えた。すぐに戻ったが、天井の灯りがチカチカと点滅している。


「な、なんだ!?」


 視線の先には、キッチンのトースター。朝食用にパンが挟んである。次の瞬間、そいつがバチッと火を吹いた。


 パンが黒焦げになり、ポンと跳ねた。


 その瞬間——既視感。これ、見たことがある。


 ——ズガン!


 爆発音。白煙が広がる。靄の中から、ひとつの手が伸びてきた。


「う、ううう……総統……」


 床に倒れていたのは、全裸の男だった。パンツすら履いていない。恐ろしいほど無防備だ。そして、どこかで見たような顔。金髪。


 ヒトラーは微動だにせず、蝋人形のように立ち尽くしていた。そして、つぶやく。


「うぬう、こうなる運命か……」


 怒っているというより、悲しんでいた。


 俺の人生を変えた壮大なギャグ。まさか、まだ——


 続きがあるのか?


(to be continued →)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トースターから転生したヒトラーとスターリン。ダンジョンも魔法もないので漫才コンビ結成しました 桜蔭ひかる @Lelouch_0424

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ