ドキュメンタリー『聖女アスターシャの一日』 裏ver.

 聖女アスターシャの朝は早い。


 薄明かりが差し込む聖堂の個室で、彼女は静かに目を覚ます――気配はなく、口を大きく開けて、寝息をたてている。二十四歳という若さでありながら、既に十年間この神聖な役割を担ってきた。彼女の一日は、世間がまだ眠りについている時間から始まるはずなのだが……


「起きてください、アスターシャ様。朝の祈祷に遅れますよ! ほら、起きて!」


 神殿付きの侍女長ミラが、大声を共に寝具を剥ぎ取り、強引にアスターシャを目覚めさせる。


「まってミラ、あと五分、いや、三分でいいから…寝かして……」

「ダメです。ほら、もう、着替えの時間もあるんですから!」

「ああ…ダメ。あたし、寝てるから、着替えさせて……」

「なに子供みたいなことを言ってるんですか! もういい歳なんですよ、しっかりしてください」

「……わかった、起きる…起きるから……ZZZZ」

「アスターシャ!!」


 ミラに力ずくでベッドから引き出され、渋々着替えを始めるアスターシャ。しかし、まだ半分夢の中で、仕方なくミラが身替えを手伝っていた。

 純白の寝衣から、天青色の祈祷服に着替えるまでのこの騒動は、すでに一種の儀式である。



 大聖堂の最上階「天響の礼拝堂」にて、朝の祈祷が始まる。

 これは、彼女の“声”を通して、神の祝福を町全体に届ける重要な務め。


 石柱に囲まれた円形の空間、風はないはずなのに、金の刺繍が入ったローブが柔らかく揺れる。その揺れと共に、彼女の頭もコクリコと、確かに揺れる。そう、まだ完全には目覚めていない。

 祈る声に時折混じる静かな寝息。


「祝福されし民よ。ぐぅ~…、太陽と風と、むにゃむにゃ……、今日を生きる喜びを胸に、ううぅ~ん……歩みを止めるなかれ?」


 この祈りは、農夫には晴天を、兵士には士気を、病める者には快癒の兆しをもたらすと信じられている。が、聖女の眠りを完全に覚ます役には立たないようだ。



 祈祷後のわずかな時間、彼女は「陽の間」で朝食をとる。

 メニューは決まって質素ながらも滋味深い。


 天然酵母の薄焼きパン

 野花の蜂蜜

 ナツェラ山のハーブミルクティー


「ねぇ、もっとガツンと腹に溜まるものはないの? こんなのじゃ、昼まで持たないのよねぇ……。ねえ、どうにかならない」


 朝食をペロッと平らげたアスターシャが、文句を垂れるが、毎日のことなので誰も真剣には聞いてない。ただ、そのままでは機嫌が悪いので、パンを一枚、そっとテーブルに追加する。


「はぁ…、このパンも、もう少しどうにかできないかなぁ。もっと、ふわふわのが食べたいわ」


 言いながら、パンの耳の固い部分をちぎり取り、中の柔らかいところだけ食べていく。


「これ、また、鳥にでもあげといて。お願いね」


 頼まれた若い給仕が、顔を僅かに歪め、怒りからか顔色を赤くする。


「感謝はしてるのよ、でもね、さすがに飽きたわ、この素朴な味。もう少し、どうにかならないか、考えてよね、あなた達も」


 若い給仕がキレて、アスターシャに掴みかかろうとするのを、横の侍女たちが慌てて止める。

 アスターシャの食事は、こうして“修羅場”と化す。



 神殿には、悩める者、祈る者、救いを求める者が日々集まる。

 その一人ひとりに、アスターシャは時間を惜しまず対話をする。


「聖女様、娘が病で目を開けられません……どうか……」

「……くぅ……ZZZZZ」


 アスターシャはすっかりに眠っていた。気づいたミラが、慌てて起こす――後頭部を思いっきり叩いて。


 バシッ!

「痛ぁーーーっ!」


 神殿内に響く悲鳴。アスターシャが、ミラを睨みつけるが、逆に怖い顔で睨み返され、現状を理解した。


「あぁ、えっと――娘さんの名前をつけて欲しいんでしたっけ?」

「アスターシャ様、それは、先程終わりました」

「あれ、えっと――」

「娘さんが病で目を……」

「あ、ああ…それなら――治してあげるわ、すぐにね」


 アスターシャが、手を伸ばす。それをミラが、ぐっと止める。


「アスターシャ様、聖女の力は無闇に行使するものではありません。お分かりですね?」

「え、ああ、そうね、キリがないものね……」

「ここは、お言葉を。それだけでも、奇跡は起こります」

「そうかなぁ……。わかった。――コホン、彼女の手を取りなさい。ええ、娘さんはあなたの温もりを覚えています。親の愛情が、薬よりも力になることがあります。――大丈夫、あなたが信じれば、神様が奇跡を起こしてくれますよ、多分ね」


 決して奇跡を濫用せず、まずは“言葉”で癒す――それが、教えられた聖女の流儀。

 神の力を扱う“器”として自覚させ、必要以上の神力行使を戒めているように教えられたが、彼女自身は不満に思っていた。


「治せるんだから、ちゃちゃっと治してあげればいいじゃない……」


 下がる親子の姿を見ながら、アスターシャは小さく愚痴をこぼした。



 昼食、巡礼者との静かな食卓。

 巡礼の民との食事は、アスターシャが「世界の現実」と触れる貴重な時間。


 川沿いの石畳の食堂で、粗末な陶器に盛られた野菜スープと黒パンを分け合う。

 彼女は、身分や出自にかかわらず、誰の隣にも座る。


「ねぇ、この間頼んでおいた、あれ、持ってきてくれた?」

「はい、聖女様。ここに――」


 老巡礼者が、懐から液体の入ったボトルを取り出し、アスターシャにそっと手渡す。


「おお、サンキュウ! 中身は、間違いなく、アレね」

「はい。南方のジャングルで取れる幻の木の実を原料にしたお酒でございます。とても希少な物で、入手には苦労しましたぞ」

「ありがとう。手間かけたわね」

「いえいえ、聖女様の為なら、何でもいたします。孫の命の恩人ですから……」

「カナンは元気?」

「はい、おかげさまで」

「そう、よかったわ。――でも、内緒よ、カナンを奇跡の力で助けたことは。――もちろん、このお酒のこともね」

「承知しております。――今度は、東の方へ参りますから、そちらの珍しいお酒を、お持ちしますね」

「ありがとう、ゲルト。でも、あなたも体には気を付けてね。もう歳なんだから」

「はい、ありがとうございます、聖女様」


 希少な酒のボトルを嬉しそうに懐に隠すアスターシャの横顔を見ながら、老巡礼者は深く頭を垂れた。



 週に三回、聖堂に併設された孤児院を訪問する。二十人ほどの子どもたちが聖女の訪問を心待ちにしている。読み書きを教えたり、簡単な治癒魔法で擦り傷を治したり、時には一緒に歌を歌うこともある。


「よう、遊ぼうぜ、アスターシャ!」

「寄るな、あたしは子供が嫌いだ!」

「そんなこと言うなよ。鬼ごっこやろうぜ」

「ええ、聖女様ごっこしましょうよ。悪人を神の奇跡で、倒してく奴」

「うっさい、来るな! ここには休憩しに来てるんだ。休ませろ!」

「ええ、いいのか。ミラに言いつけるぞ!」

「バカ、それは、やめろ! ――仕方ないな、少しだけだぞ」


 子どもたちの無邪気で無茶な要求に、アスターシャの表情も自然とこわばる。渋々、子供たちと遊びだす聖女。この時間が彼女にとって最も子供の恐ろしさを感じられる瞬間だ。



 孤児院から戻ると、書斎で古い聖典や魔法書の研究に没頭する。治癒魔法の新しい技法を学んだり、神学的な知識を深めたりする。時には他国の聖職者との書簡のやり取りも行う。


 厚い羊皮紙に書かれた古代語を解読――してるふりをしながら、昼寝をするのが、ここでの日課であった。



 夕方には、病室の巡礼。

 神殿地下にある「聖癒の間」では、癒しを求める重篤な患者たちが安置されている。

 ここでのアスターシャは、祈祷ではなく、直接その手を添える。


 脈を取り、呼吸を聞き、言葉を交わす。神力を注ぐ際には、必ず患者の“心”を覗く。「生きたいと願う心」があるかを確かめるためだ。


 ある少年の手を握りながら、彼女はそっと口元で囁いた。


「がんばれ、少年。お前の見るべき世界は、まだこの先だぞ。楽しいことは、これからだ。女の子とあれやこれやしたいだろ? 酒もうまいぞ。――だから、戻ってこいこの世界に!」


 その手は微かに震え、奇跡のように指が動いた。



 夕食は取らず、日没の祈祷へと入る。

 沈む太陽に向かって捧げる“終息の光”は、一日の終わりを告げると同時に、神へと捧げる感謝と報告。


「はぁ~、神様ぁ、今日も疲れたわ。聖女なんか通さずに、直接、民の声を聴いて、導いてくんないかなぁ。そうすれば、あたしも自由になって、感謝すんだけど――無理だよね、はぁ~……」


 祈り終わったあとの溜息は、金よりも重く、失望に満ちていた。



 そして、夕食。一日で最もしっかりとした食事の時間。野菜の煮込み、魚料理、そして修道院で焼いたパン。修道女たちと一緒に食卓を囲み、今日あった出来事を静かに?語り合う。


「今日治療した木こりのトムさん、腰の痛みが大分良くなったようですね」

「あんなの聖女の力なんか使わずに、湿布でも貼っときゃ治るわよ」


「子どもたちの読み書きも上達していて嬉しいです」

「あいつら元気ありすぎ。二十歳過ぎにはついてけないわ。こっちの身にもなるように、よく言っておいてよね」


「あ、それと、肉、肉料理を出してよ、毎日。あたし、魚、苦手なの、知ってるでしょ!」


 アスターシャの言葉に、周りのものは頭を押さえ、静かになる。そんな夕食のひと時だった。



 夕食後は貴重な個人的な時間。庭を散歩したり、日記を書いたり、時には刺繍をしたりする。この時間だけは「聖女」ではなく、一人の女性「アスターシャ」として過ごす。


「ふふふ、やっと一人になった……。じゃあさっそく、この幻の酒を――」


 美しく輝く満月と夜露に濡れるバラを肴に、アスターシャが晩酌を始める。もちろん、他の者に見つかったら大変だ。周囲の様子を警戒しながら、ちびりちびりと飲んでいく。


「ふはぁ~、これは美味しい! ああ、父ちゃんにも飲ませてあげたいなぁ」


 故郷の家族のことを思い出しつつ、アスターシャは更に酒をあおっていった。



 就寝前の最後の祈りの時間。個室で一人、今日出会った全ての人々の幸せを願い、明日への力を神に求める?


「ひっく…、まったく、みんな聖女に何を求めてるのよ……。ふぅ~、あたしは便利屋でも、カウンセラーでもにゃいんですからねぇ。……神様、聞いてますぅ? ひっく…『婚約者が二股かけてるんですけど、どっちが運命の人か、神の声を聞いてください』とか、知んないわよ! こっちは、まともに、恋さえ出来ないんですからね! ひっく…、ああ、やってらんない……。もう引退よ、引退! 明日は絶対、そう言うからね……ふぅ~」



 一日の終わり。

 白い寝台に身を沈め、酒の香りをぷんぷんさせながら、眠りに落ちていく。


 窓の外には星々がきらめき、まるで彼女の安寧を祝福するかのようだった。

 やがて、静か――とは言えない豪快なイビキが部屋を包む。


 それは、聖女アスターシャがまた明日、愚痴を言いつつ聖女として生きて立つための、ただ一つの休息だった──



おしまい

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とある聖女の一日 ~裏の顔も見せちゃいます~ よし ひろし @dai_dai_kichi

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