君は憂いを知らない

小坂志乃

君は憂いを知らない

大事な定期テストが終わり、教室の空気は一気に軽くなった。皆は籠から放たれた鳥のような気分だろう。

スタバ寄ろうよ、カラオケ行きたい、この後塾あるんだけどサボろうかな、などなど、色々な楽しい声が聞こえてくる。

一方の私はそのようなことを誰かと話すより先に、提出ノートを集めなければならない。積み上げられたノートを見ていると、ある人の名前がないことに気づく。

「あの……歴史のノート出てないみたいだけど大丈夫?」

その子は莉奈ちゃん。見た目はポニーテールで活発女子って感じ。話したことはないけれど、人気者で人が集まってくる。

私もあんなふうにハキハキできれば良いのに、とひっそり憧れてる。

「あっ、忘れてたありがとう!」

そう言って、リュックを探る。

「これお願いしますっ。危なかった〜。成績落ちるところだった」

「もうこれ以上落ちないでしょ」

すかさずツッコむ莉奈ちゃんの友達。このテンポについていけないことが何度あったか。聞いている分には楽しいけれど。

「そんなことないし」

「一も二も変わんないじゃん」

「ちょ、玉ちゃんにまでバラさないでよー」

笑いが起こった後、莉奈ちゃんの言葉に反応する周りの子達。

え、玉ちゃんって言った?仲良いの?かわいいーいつの間に?

固まる私は嫌がっていると察したのか、

「ごめん、勝手にそう呼んでた。……嫌だった?」

莉奈ちゃんはすぐにフォローしてくれる。

「全く!むしろ、嬉しい」

全力で首を横に振る。高校でそんなふうに呼んでもらうのは初めてだった。

「良かった。じゃあ皆、今日から玉ちゃんねー」

「はーい」

「というか玉ちゃん、莉奈が忘れてること言ってくれるの優しいよね」

早速、別の子もあだ名を使ってくれている。

いやいや、優しいって言えるのが優しいよ。今日初めて話すのにこんな気さくになれるなんて、すごい。

「それな!他誰も言いに来ないもん。先生に言われてるわけじゃないでしょ?」

「うん、でもなんか莉奈ちゃんの名前ないと違和感っていうか」

「そもそも名前確認しないよ〜。偉すぎる」

そうしてワイワイしているとチャイムが鳴り、担任の先生が教室に入ってきた。

「あ、HR始まっちゃう」

名残惜しさを感じつつ、私は席に着いた。


今日も私は一人、小説を読んでいる。うるさい教室で。そう、私はいわば、ぼっち。昨日だって、話す時間がないんじゃなくて話せる子がいないだけ。

でも、一人でいることを悩んで無理に友達を作ろうとするのは、もうやめた。誰かと特別仲良くするわけでもなく、誰とも話さないわけでもなく。程よい距離感が、今はちょうど良い。

ただ、誰かに話しかけることさえ上手くできないなんて、とは思う。いつも待つばかりで、積極性がない。

「たーまちゃん!おはよー」

本の世界を満喫していた私を、人一倍大きな声が二年五組の朝に連れ戻す。遅刻ギリギリの莉奈ちゃんだ。話せるのは昨日で最後だと、なんとなく思っていた。だから余計に嬉しかった。

「おはよう」

「あっ、本読んでるんだ!」

休み時間も話しかけてくれることが多くて、既に友達だったかのような感じ。内気で心を開くのが遅い私でも、気を遣わず話せる。あ、気を遣わせているかもしれないけれど。

帰る時間になり、私の期待通りのことが起こった。

「一緒に帰ろー」

「うん!」

嬉しさが込み上げる。一昨日まで、考えもしなかった状況。

「ずっと仲良くなりたかったの」

「えっほんとに!?」

嬉しそうな莉奈ちゃん。

私も、自分で赤面してるのが分かる。

そして、お互い色んな質問をし合った。好きな音楽、休日の過ごし方、行きたい国から……。

共通の趣味はなかったけれど、たくさんのことを知れた。

「明日もたくさん話そ!」

「うん!バイバイ」

短い時間でも二人で喋って帰る。こんな日常が、最高に幸せだ。

ほぼ毎日、なのに話題は尽きなくて、ずっと楽しい。

「テスト返ってきたね〜」

「どうだった、玉ちゃん?」

「ぼちぼち。でも、化学がダントツ悪かった」

「わたしは、漢文最悪だった。下から数えた方が早いくらい」

「難しかったよね、今回」

「理系に負けるなんて〜」

嘆く莉奈ちゃん。そして、ラインが来たらしく、私に断ってスマホを開く。

ついでに、面白い動画投稿者も教えてくれた。

「そういえば、インスタ教えて」

「あ、私やってないんだ、ごめん」

来たこれ、このくだり。毎回申し訳なくなる。

「え!そうなの!今どきやってない子もいるんだね」

じゃあラインにしようと莉奈ちゃんは言って、連絡先を交換した。

「やっぱ玉ちゃんは、わたしとは全然違う」

「だね、正反対」

朝はパン派の莉奈ちゃんと、ご飯派の私。莉奈ちゃんはアウトドア、私はインドア。

見た目も性格も違うのに、こんなにも馬が合うのは不思議だ。


二人で帰ろうとしたときだった。中庭で、莉奈ちゃんといつも居た友達が、楽しそうに何かを話していた。時々盛大な笑い声が聞こえて、何だろうかと気になる。

莉奈ちゃんはちらっと見ただけで、行こ、と言う。

「行かなくていいの?最近全然話してないよね?」

「あー……うん。まあ今は玉ちゃんと居たいから」

「本当に?嬉しいなぁ」

「恥ずかしいんだけど、ずっと玉ちゃんみたいになりたいって思ってた」

「えっ!?」

まさかだった。あの莉奈ちゃんが、私に?

「まあ、なんて言うんだろう、自分のことは大好きだし、完全に玉ちゃんになりたいわけじゃないんだけどね」

莉奈ちゃんは言葉を続ける。

「わたしは、群れてるのは自分が楽しいだけじゃなくて、友達が多い証で人気者に見えるかなって人の評価で考えてたこともあったんだよね」

莉奈ちゃんは気が引けているみたいだけど、実際そうだよ。人気者で、毎日笑ってる。私には、それが羨ましく感じるの。

「でも玉ちゃんを見てから、一人でいるのも芯があってかっこいいって思うようになった」

芯がある……そうか、そう見えていたの。

莉奈ちゃんにそう思われていたことに驚き、同時に嬉しくもあった。

だけど、何か頭につっかえるものがある。

「そんな。私は話すのが上手じゃないだけだよ。話題振れないし」

「そうかな。わたしは充分楽しいよ」

「ありがとう」

「玉ちゃんは一人でいることが多いけど、みんなに嫌われてるわけじゃないじゃん?執着し過ぎないって大事だよね。賢いと思う」

「私は……」

賢くなんてない。一人でいるのはわざとじゃない。

本当は−。

「莉奈ちゃんになりたいよ……」

自分でも驚くほど小さい声だった。聞こえていなかったかもしれない。

……莉奈ちゃんは、ずるい。

自分のことを大切にしてて、自分に満足してる。

ねえ、本当に私をかっこいいと思ってるの?私になりたいわけじゃないって、やっぱり私は不完全なの?

心の中がガンガンして、言ってしまった。

「莉奈ちゃんは悩みとかなさそうだね」

僅かな沈黙。

横を見ると、莉奈ちゃんは無表情だった。

その後に、あははっと乾いた笑い声。

数十歩何も言わずに歩いて、止まる足。

莉奈ちゃんは、ごめん今日予定あるんだった、と言って早歩きで私に背を向けた。

振り返ると、私に向けられた冷たい背中があった。

街灯が私の影を照らす。

いつもの、帰り道。その半分以上を一人で帰るのは、こんなにも暗くて淋しいものだったか。


あの日は金曜日だった。

休みの間、何度も考えた。私の言ったこと。私の考えたこと。私は、何が欲しかったの?

申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

謝ることを先延ばしにすることになるけれど、月曜日に会ってすぐ言いたかった。

莉奈ちゃんは泣いていたかもしれない。私が莉奈ちゃんに刺した言葉は、想像より深いかもしれない。

月曜の朝を迎えると、今までにない疲労を感じた。

学校に着いても私は本を読むふりをして、しきりにドアを見ていた。いつ来るだろう、休んでしまうかな。

ドアは何度も人を通し、やっとあの子がクラスに顔を出した。

目が合った。逸らされた。あの声は聞けなかった。今までは登校時間も合わせてくれていたけど、遅刻ギリギリの時間に戻ってしまっていた。

授業にも集中できず、莉奈ちゃんの様子をずっと見ていた。時折吐くため息。今日は笑顔が少ない気がして、それは私のせいだと思わざるを得ない。莉奈ちゃんの背中がまだ冷たく感じる。

謝るのは、いつがいい?話しかけるタイミングがない。いや、行動に移せないだけだ。何が私を引き留めているのか分からない。

午前中は何もできないまま過ぎた。昼休みになり、飲み物を買いに自動販売機のところへ行くと、それを操作する莉奈ちゃんに会った。

莉奈ちゃんは私に気付き、見つめてからゆっくりと自動販売機に視線を戻した。

言わなきゃいけないことはたくさんあるのに、言葉が詰まる。

「莉奈ちゃん、あの……」

声も、手も震えていた。それが伝わっていたと思う。

「ごめんなさい」

相手は無言だった。どういう表情をしているか見るのも怖かった。

「ただの嫉妬なの。莉奈ちゃんは本当に素敵で、憧れで。悩みなんてなくて、笑ってると思ってて−」

莉奈ちゃんになりたかった。私の目に映るあなたは完璧だ。

少しの間を置いて、莉奈ちゃんは私の頭を優しく撫でた。

「……わたしも、ごめんね」

何に対してのごめんねだろう。莉奈ちゃんのことを嫌と思ったことなんて一回もないよ。このたった一ヶ月の間に、ずっと仲良くしていたいと思わせてくれた大切な存在。莉奈ちゃんは私に親切にしてくれたのに、それなのに、私……。

「玉ちゃんは抱え込んじゃうんだね」

その言葉に、涙が押し寄せる。莉奈ちゃんの顔が滲む。

「他人を羨むのは、当然のことだと思う。言ったじゃん。わたしも、玉季に憧れてるよ」

涙は終わらなかった。

「理想とされてるのは嬉しいけど、自分だけの魅力を失ったら意味ないよ。まずは、それを伸ばすことが一番大切じゃない?」

私の……私だけの魅力。

「玉ちゃんの魅力は、いっぱいあるよ」

「でも、自分のこと、好きになれないの。悪いところばっか目に入って」

「わたしも同じだったよ。隠そうとしてわざと明るく振る舞ってたこともあるし」

そうだったんだ。

人のことなんて、分からない。

全部を知るなんて、できない。

皆、自分に無いものを欲しがる。

「ごめん、莉奈ちゃん、ありがとう……」

莉奈ちゃんは私の目を見て、微笑む。

私達は同じジュースを買って、教室に戻った。

チャイムが鳴る。昼休みも終わりの時刻だ。

「あ、玉ちゃん今日一緒に帰ろ?」

「うん。もちろんだよ」

私は誰でもないし、誰も私じゃない。百%じゃない自分を受け入れること。

夏の入り口、静かに爽やかな風が吹く。

見上げると、切ない空を二羽の鳥が悠々と飛んでいた。

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