ひと夏の地図
ハンくん
ひと夏の思い出
高校3年生の夏、僕は大事な人とある約束をした。
『ねぇ
『出来たらね!』
『それ、どういう意味?』
『私は地元に残るけど、キミは推薦に合格したら東京の大学に行くんでしょ? 浮気しちゃうかもしれないじゃん?』
『僕たちはまだ付き合ってないんだから、浮気にはならないでしょ?』
『じゃあなんだろ……裏切りとか?』
『まぁ、それが近いかもね』
『だってキミ、私のことが大好きなんだもんね』
『そうだよ。だから僕はそういうことはしない。この星に誓って』
『うん。知ってる。キミがそういう人じゃないのは』
『今、僕のこと試したな?』
『そうかも』
そう言って2人で笑い合う。
カラッとした風がしゃーしゃーと葉を揺らす。
この時の僕は、心地良い時間がずっと続くと思っていた。思っていたのに────
「──はっ!?」
僕はバサッと上半身を起こす。
「なんだ……夢か……」
現実を自覚すると、一気に疲れが押し寄せてくる。
疲労感の他にも違和感があったので、その部分に触れてみると、涙の跡があった。
「俺はまだ、前に進めてないんだろうな……」
一昨年の夏、僕は大好きな人だった光彩と星を見に行く約束をした。
*
約束の日、僕は約束の時間より1時間も早くにあの場所へと向かった。この小さな町の丘の上にある古びた神社の前。まわりを照らす光はほとんどなく、天気が良ければ満天の星が見える、僕らだけの秘密の場所。
僕が志望大学に入学し、上京してからおよそ半年。新生活がお互いに忙しくて、会うどころか、連絡を取る時間もほとんどなかったのだ。
だから、久しぶりに彼女に会える今日という日をとても楽しみにしていた。
──5分、10分、30分。
光彩との過去を思い出しながら、ゆっくりと光彩の到着を待つ。だが、約束の時間を1時間過ぎても、光彩が来ることはなかった。
連絡をしても繋がらず、不安が胸を締め付ける。
日付を間違えたか……? それとも、忙しくてあんまり連絡を取れなかったから……?
色んな考えを頭に巡らせながら石段に腰掛けたところで、スマホがブルブルと振動した。もしかして光彩か……?
そんな淡い期待を胸にメールを確認すると、手書きで書かれたであろう、この町の簡単な地図が送られてきた。その地図には、いくつかの場所に赤い丸が付けられている。
そして一番下には光彩の文字でこう書かれていた。
『赤丸の場所を順々に回っていって欲しい』
その真意は分からない。ただ、一つだけ分かったことがある。
「全部、光彩との思い出の場所だ……」
僕の呟きは、穏やかな夜風へと静かに消えていく。
消えていった呟きと共に、僕は目的の場所へと歩き出した──
──最初に訪れたのは、僕たちの通っていた高校。
僕らが初めて出会った場所。そして、僕が光彩に一目惚れした場所。
『キミ、何か落とし物?』
『コンタクトを落としてしまって……』
『ふふっ。そんな漫画みたいなことあるんだね』
『僕も、びっくりです』
『キミ、面白いね』
『初めて言われました』
『そうなんだ。みんな、人を見る目がないね』
なんて他愛のない話をしながら、彼女は僕の落とし物を一緒に探してくれた。
『あっ! あったよ!』
『本当ですか!?』
僕は、彼女からコンタクトを受け取り、水で洗った後、目につける。
『見つかって良かったね!』
そう言ってにへらと笑う彼女の顔がまともに見えたその瞬間、ドクン、と胸が高鳴る。
真っ直ぐな瞳に芯の通った鼻筋、そしてそよ風に
これが僕と光彩の出会い。
あの日から僕は、彼女の魅力に惹かれていった──
──次に訪れたのは、商店街の片隅にある古本屋。
光彩と仲良くなってからよく通った思い出の場所。そして、初めて未来の話をした場所。
『もしさ、この本のヒロインみたいに私が急にいなくなったらキミはどうする?』
『それはもう大泣きだよ』
『それだけ?』
『ご飯も食べずにずっと部屋に引き篭もっちゃうかも』
『ご飯は食べてよ』
『あとは……僕が笑うことは無くなるかもしれない』
『それはダメ。ロボットになっちゃう』
『どんな小説だよ』
何気ない日常の1コマのような会話。
だけど光彩は、本気だったのかもしれない。今思うと、胸の奥で言葉にならないナニかがじんわりと疼いた──
──最後に訪れたのは、帰り道のブランコとベンチしかない小さな公園。
下校のときに何度も立ち寄った思い出の場所。そして、僕と光彩が初めて喧嘩をした場所。
『光彩、あの……』
『もしかして、告白?』
『……そう。そろそろ、いいんじゃないかなって思って』
『ごめん。夏になるまで待って欲しい』
『……ごめんって何だよ。それ、何回目?』
『……ごめん』
『何がごめんなんだ? ちゃんと理由を言ってくれ』
『……言えないよ。だって──』
『もう、いいや』
何かを言いどよむ彼女を尻目に、僕は公園を去った。
声を荒げ合うような喧嘩じゃなく、僕たちらしい、静かな喧嘩。
あれが、僕と光彩の最初で最後の喧嘩だった。
「それで次の日、お互いに『ごめん自分が悪かった』って謝りあったんだよな……」
2人掛けのベンチに座り、ポツリと呟く。
あの時の光彩の沈黙も、俯いた顔も、今なら少しだけ分かる気がした。多分光彩はもう──
そんな思考を断ち切るように、再びポケットの中でスマホが震える。
画面を確認すると、また1通のメールが届いていた。添付された地図の赤い丸は、もう1つだけ。
そしてその地図が示していたのは──
神社の本殿の真下、少しひんやりとした空気が漂う薄暗い空洞部分──基礎と呼ばれる場所にしゃがみ込む。
スマホのライトで辺りを照らすと、階段の真下に、小さな箱があった。
震える手でその箱を手に取り、中身を確認する。
中からは、『キミへ』と書かれた1通の便箋。
まるで、光彩がここにいるよと主張しているような、そんな気がした。
僕は覚悟を決め、ゆっくりとその手紙を広げる────
『何も言えなくてごめん。
急だけど私、星を見に行けなくなった。
多分その手紙をキミが見つけた頃には、私は星の仲間になってると思う。
本当は何も言わずにキミの記憶から消えようと思ってた。
でも、どうしても自分の思いを残したくなったんだ。
遅すぎるのは分かっているけど、それでも最後までキミに聞いて欲しい。
キミは私のことをずっと好きっていってくれていたよね。
その度に私は、何かと理由をつけてキミの告白を先延ばしにさせてた。
私の気持ちを汲んで、適切な距離を取ってくれていたキミの優しさに私は甘えてた。
私、怖かったんだ。キミに嫌われるかもしれないのが。キミの前から急にいなくなるのが。
気持ちを伝えたら全てが終わってしまいそうで。
取って付けたような言葉に聞こえるかもしれないけど、キミが私のことをもっと好きになってくれた時に、キミを悲しませてしまうのが。
だったら、私は黙ってキミの前からいなくなるのが1番良いと思ったんだ。
けど、ダメだった。
キミとの思い出は私にとって、かけがえのないものになってた。
だから、その思い出だけは忘れてほしくなくて、こんな形でキミに行ってもらったんだ。思い出してくれたかな?
本当に自分勝手でごめんね。
……って私、さっきから謝ってばっかりだ。だから、お礼を言わせて。
私に生きがいをくれてありがとう。私をずっと好きでいてくれてありがとう。
一度でも言ったら、想いが溢れちゃいそうだったから言ったことがないけど、私もキミのことが──
───大好きだった。
多分今、キミには辛い想いをさせてるよね。
でも、これが最後のわがままだからどうか許して欲しいな。
もしかしたら許してくれないかもしてないけどね……笑
あ、ごめん! やっぱりさっきのはなし! 許してくれなくてもいいから、今から書くことが本当に最後のお願いだからどうかこれだけは覚えていて欲しい。
キミが私のことを忘れても、私はキミのことをずっとずっと、ず〜っと大好きだから。だから、笑って! 私の分まで幸せに生きて! 私の思い上がりかもしれないけど、どうかお願い。泣かないで────』
────ぽたり、ぽたり。
手紙に水が垂れる音で、自分が今、泣いていることに気がついた。
ごめん光彩。最後の約束、守れなかった。
どうして、もっと早く気づいてあげられなかったんだろう。
どうして、もっと光彩のことを幸せにしてあげられなかったんだろう。
そんな後悔が胸にグッと押し寄せてくる。
今更そんなことを思ってももう遅いのに、涙は止まってくれない。
光彩がいない世界なんて考えたことがなかった。
光彩がいない世界で、僕はどうやって笑えばいいのだろうか。
すぐには受け止めきれないかもだけど、今日は守れなかったけど、光彩のお願いはちゃんと守るよ。
だから、光彩もどうか──
──空を見上げると、ポツンと儚く、それでもって凛と輝く星があった。
それはまるで、光彩の笑顔のように見えた。
<了>
ひと夏の地図 ハンくん @Hankun_Ikirido
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