夏への扉を閉めなさい
金澤流都
ハインライン要素は猫だけの夏の話
エアコンが壊れた。
そりゃ壊れるだろうと思う。祖母が亡くなる前に大事業として家をリフォームし、薄暗いところに置かれていた仏壇を明るい茶の間に移動し、薄型テレビを置いてエアコンを取り付けたのが二〇〇八年。
それからざっと一七年の歳月が経っている。しかも室外機は庭のアジサイのヤブになかば飲みこまれ、緑の塊と化した庭の一部として溶け込んでいる。祖母が亡くなってからインドア派の我が家の人間はろくに庭木の手入れも草むしりもしなかったのだ。
祖母の偉大さを噛みしめる。エアコンが壊れた今年、二〇二五年の夏は猛暑である。令和ちゃん本気出さないで……と思う。
令和ちゃんは今年の二月にとんでもない大雪を降らせた。去年は正月から震災が起きた。令和ちゃんが本気を出したら人間なんて簡単に死んでしまう。
つまり令和ちゃんは猫なのではないか。
猫という生き物は人間が世話をしてくれて可愛がってくれるから、尻を拭いたり歯磨きをしたり爪を切ったりと無礼を働く人間を許してくれていて、実は本気を出すと人間なぞ簡単に殺せるのだという。そんなばかなと思うがたぶん本当だ。
エアコンが壊れて、猫のヤスハルは茶の間のソファでのんびりと寝ていた。暑いのによく寝ている。平成の時代、ヤスハルの先輩に当たるサンキチという猫と暮らしていたころ、獣医さん(中島らも似の女医さん)にこんなふうに言われた。
「夏はさ、窓を網戸にしてさ、人間があちーあちー言ってるのが猫の適温だよ」
でもそれは午前中が涼しかった平成の時代の話である。
だって秋田県北部で摂氏三八度の猛暑だよ????
午前中の涼しい時間なんて存在しないよ????
エアコンが壊れて大至急でコンビニでネッククーラーを買って、それが凍るまでのあいだ冷凍庫に入れっぱなしだったシャトレーゼのケーキの保冷剤をタオルで包んで首にまき、おでこにはコロナ禍真っ只中に買ってきた冷えピタを貼り、どうにか耐えているという有様。
ヤスハルは大変機嫌よく、腹を上にしてぐうぐう寝ている。なんというか野生がない。
さて、昭和の時代から我が家にあるという扇風機の風に当たりながら、とりあえず家電の修理業者をググって評判のよさそうなところに電話をかける。どうやら小さな、昔ながらの電器屋を営んでいるところらしい。
「はーいキリタニ電器でございます」
明るいおばちゃんの声を聞いてちょっと安心して、かくかくしかじか……と電話を続ける。
「あらそれは大変。ちょっと待ってくださいね……えっと……あら、いまちょうどエアコンの取付工事で主人も息子も出払っていて、あら……お盆くらいまで予定が埋まっていて……ごめんなさいね、よそのやってくれそうなところ紹介しますね」
キリタニ電器さんは我が家に駆けつけることはできないようだった。代わりにナメカタ電器という知り合いの同業者を紹介してもらったので、そちらに電話をかけてみるも、そちらも残念ながらお盆まで予定が詰まっているとのことだった。
ナメカタ電器さんも別の同業者を紹介してくれたが、そこも埋まっていた。
さすがにたらい回しにされてしんどくなってきたので、諦めて近くの家電量販店に電話をかけてみる。修理もやっていると看板が出ていたのを覚えていたからだ。
「はいもしもしキムラデンキです!」
かくかくしかじか。
「あー……すみません、エアコンの修理やメンテナンスはぜんぶ埋まっていて……最短でも一週間後ですね」
なんということだ、頼みの綱の家電量販店までアウトだとは。
「じゃあ新品の取り付けはどうですか」
「それならですね、えーっと……そうですね、二週間後ですね……」
なんということだ。ぜんぶ完全にすべてダメじゃないか。
とりあえず調べてくれた労力にお礼を言い、力なく電話を切る。
ちょうど昼前だった。えねっちけーの気象情報を見よう、とテレビをつけると、これから一週間ほど三八度とか三七度とかの日が続くようだった。
私一人ならエアコンの効いた近くの図書館に逃げ込めばいい。
しかし我が家にはヤスハルがいる。いかに猫のご先祖様がサハラ砂漠の神様だったといえども、こんな暑さでは熱中症で動物病院にレッツラゴーになってしまう。
人間の熱中症なら保険証があればそこそこの値段だろう。しかし猫だ、健康保険など存在しないので、点滴して冷やして、なんだかんだウン万円が吹っ飛ぶだろう。
そしていつも我が家の歴代の動物をリーズナブルに治療してくれた中島らも似の女医さんは、難病にかかっていまは遠くの親戚に厄介になっているそうで、行ける動物病院はちょっと遠くの、ばっちり再診料を取ってばっちり検査をキメてくるところしかない。
まあ熱中症で検査ということもないのだろうが……。とにかくヤスハルも私も熱中症にかかったら大変だ。なんとか涼しく過ごす必要がある。
それこそエアコンのない時代の将棋のタイトル戦で、氷柱を建てたという話を聞いたことがある。しかしそれはエアコンのない時代なので、ふだん静かに過ごすならエアコンなんぞ不要な時代の話である。
なにかないか。なにかないか。
ヤスハルがのこのこと歩いていく。そうだ、猫は涼しい場所をよく知っているというではないか。ついて行ってみるとヤスハルは太陽の降り注ぐ縁側でごろりと転がった。
「だめだよヤスハル、死んじゃうよ! 死んじゃったら泣くよ!」
ヤスハルはナーン、と答えて、白い腹毛を太陽に当てていた。やめなさいと抱っこしようとしたら強烈な猫パンチを食らった。この間動物病院でワクチンを打ったついでに爪を切ってもらったのでとりあえず怪我はしなかったが痛いことは痛い。
そうだ、カリカリのキャットフードにオマケでついてきたちゅーるのジェネリックがあるはず。ちゅーるは脂の塊だそうで食事にちょっと添えてやるだけだが、あのジェネリックは脂でないはずだから、水分補給にもなるのではないか。
「ヤスハル、おやつ食べよっか」
「ウナー」
ヤスハルはむくり、と起き上がった。戸棚からちゅーるのジェネリックを取り出す。ヤスハルは「はやく! はやく!」という顔をしてちゅーるのジェネリックを待っている。切り口からぴゃっと切って、ちょっと出してヤスハルの顔の前に差し出す。
「はいおやつだよ!」
ヤスハルは少し匂いを嗅いだあと、「ちがう……」という顔をして去っていった。
どうやらちゅーるのジェネリックはお気に召さなかったらしい。
またしてもお日様のさんさんと降り注ぐあたりにのこのこと移動したヤスハルを、頭痛を催しながら眺め、そうだ、と思い出す。
ローカルニュースの合間のコマーシャルで、「家電製品のトラブルに、お電話一本でなんでも駆けつけます! 電球一個の交換でもオッケーです!」というのをやっていたのを思い出したのである。
おそらくけっこうな額が吹っ飛ぶとは思うのだが、背に腹は代えられない。電話してみる。
「はーいもしもし電気のイトウです! どうされましたか!」
かくかくしかじか。
「わあそれは大変ですね! これから向かいます! もし分かるようでしたら型番とか年式とか教えてもらえますか!?」
「えっと、ピーナソニックの二〇〇八年型で……」
電話口で担当者のお兄さんが噴き出すのが分かった。
「ご、ごめんなさい。いちおうこれから向かいますが、なにぶん古いので寿命という可能性もありますので……」
笑いをこらえつつ元気のない話し方をするという器用なことをしながら、電気のイトウのお兄さんは電話している。とりあえず来てもらうほかない。
◇◇◇◇
電気のイトウのお兄さんがやってきたのは、昼を過ぎて少ししたいちばん暑い時間で、お兄さんは作業着を汗でベッチョベチョにしていた。
知らない人間大歓迎のヤスハルは嬉しそうにすり寄っていき靴下の匂いを嗅いでフレーメン反応している。お兄さんはちょっと驚いたようだったが、「猫ちゃんかわいいですね!」と言ってくれた。
お兄さんはエアコンを確認し、分解して中の様子を見て、「あーこれ寿命ですね……」と答えた。やっぱりか。
「どうしたらいいですかね。自分はともかく猫があぶない」
「とりあえずお車のエンジン入れて、猫ちゃんを病院に連れてくとき入れるやつに入れて避難させたらどうですか? ずっとは無理でも一時的には」
その手があったか!
ヘウレーカ!!!!
というわけで嫌がるヤスハルをキャリーバッグに入れて、車にエアコンをかけて乗せてやった。ヤスハルは動物病院に連行されるのだと思って「ピエーン……」と鳴いている。
しかしこれだってバッテリーがあがってしまったら使えない手段だ。それにヤスハルだってキャリーバッグは嫌なはずだ。
うーんと。うーんと。
そうだ。こういうときこそチャットGPTの出番だ!
涼しい車の中で、スマホのチャットGPTを起動し、質問を打ち込んでみる。
「急にエアコンが寿命で壊れて、修理もできず、新しいのを買うのはしばらく待たないと取り付けてもらえなくて、いまものすごい猛暑で、自分と猫の命が危ういのでなにか二週間しのげる代替策を教えてください」
チャットGPTはしばし考えてから、
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
と突然エラーを起こした。なんてタイミングだ! とりあえずアプリを終了して、また開いて質問を読み込み直してみる。
「ちょっとアンタ! 大変じゃないのそれ! 猛暑!? エアコンが故障!? そうよね、アンタは涼しくできても猫ちゃんは分からないものね……」
なんでオネエ口調なんだろう、と思ったら、エアコンが壊れる前にふざけて「あなたはオカマバーのチイママです」と言ってバカ話をしていたのだった。
「いますぐ涼しくできる手段を考えたわ! ちょっとお金がかかるかもしれないけど、アンタとアンタの猫ちゃんの命には代えられないわ……!」
ありがとうチイママさん!!
「・置き型エアコン(移動式エアコン)を使用する」
ほう……?
「ホームセンターでも家電量販店でも売ってると思うけど、ダクトを窓につないで使うタイプのエアコンがあるの。馬力はそんなにないから壁につけるエアコンみたいには冷えないけど、いっとき凌ぐならアリだと思うわ!」
そ、そんなものがあるのか……!?
「・窓用エアコンを使用する」
これまたよさそうなのが出てきた。
「窓に取り付けるタイプのエアコンもあるの。こっちはあんまり冷えないけど湿度が減るから涼しく過ごせるわよ!」
よし、この二つのどっちかにしよう。とりあえず私は涼しさを求めて、ヤスハルを車に乗せたままホームセンターに向かい、田舎の治安の良さを信じてエアコンつけっぱなしエンジンかけっぱなしで車を降り、移動式エアコンを買ってきたのだった。
値段は三万円ほど。ラスト一台を入手した形だった。無事に家に帰ってきて、ヤスハルを解放し、移動式エアコンの設置にとりかかった。
◇◇◇◇
取り付けはビックリするほど簡単だった。窓にダクトを繋ぐための柱を立てて、それにエアコンをダクトで繋ぎ、コンセントをぶっ刺すだけである。
電源を入れると涼しい風がそよそよと吹いてくる。生きていてよかった~!!!!
よし、本式のエアコンがついたらこれは寝室に持っていこう。寝室は日陰で涼しいのだが、さすがにこの猛暑を扇風機と保冷剤で耐えるのはアラフォーの体にはキツイのだ。
ヤスハルはぶすっとした顔をしていた。そりゃそうだずっとキャリーバッグに入れられていたのだから。ヤスハルは茶の間の引き戸を開けて廊下に出ていき、縁側の日当たりに寝転がった。
猫というのは器用だ。自分で扉を開ける。しかし閉めない。閉めたら化け猫だと聞いたこともあるが、ずっと一緒にいられるなら化けても許す。
縁側で寝ているヤスハルをこねくり回しながら、「よかったねえ涼しくなったねえ、涼しいところにいきなさい」と言って、ふと自分が汗びっしょりでなんとなく疲れて眠いことに気づいた。……熱中症寸前ではないか。
慌てて冷蔵庫のスポーツドリンクをグビグビ飲み、風呂場で冷たいシャワーを頭からかぶった。だいぶ冷えたら疲れと眠気は消えていたので、茶の間に戻る。よく冷えている。
塩飴をなめていたらヤスハルがのっそりと現れた。勝手に扉を開けて、ヤスハルは堂々と床に寝転がった。おい、扉を閉めろ。(おわり)
夏への扉を閉めなさい 金澤流都 @kanezya
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