私とあの人が結ばれるまで

第8話

 あれからも相変わらず黎は彫刻を作る以外ダメダメな面倒くさがりの気分屋で、亜香里がそんな彼女に何かと世話を焼く生活は変わってない。


 だけどあの日から、亜香里の世界は大きく変わってしまった。


 黎から名前を呼ばれるだけでその場で跳ね回りたくなるくらい嬉しくなるようになった、何気ないスキンシップに心臓が破裂しそうなくらいドキドキするようになった。


 黎の一挙手一投足、今まで特に気にもしていなかった彼女の全てに胸が高鳴って苦しくなって、でもそれがどこか幸せで、少し前まで自分がこんなことになるなんて考えてもいなかった。


 亜香里も大学生だ彼氏の一人や二人いた事くらいある訳で恋が分からないと言うほど子供ではない。


 だけど今回は今まで経験してきた恋愛とはどこが違っていた。


 黎が同性おんなのこだからとかそんな表面的な事じゃ無い、どこがどう違うのか上手く説明できないけれど、あえて深く考えず安易な事を言うのなら亜香里にとって黎は特別なのだ今まで出会ってきた誰よりもずっと。


 なんてさすがにそこまで行ってしまうのは少し大げさな様な気がして気恥ずかしいけれど、でも気持ちとしてはそれくらい特別だ。


 とは言えじゃあ亜香里は黎と具体的にどうなりたいのかと言われれば、正直それもよく分からないと言うのが本音だった。


 だって今、亜香里は黎と同じ部屋で暮らし誰よりも彼女の側にいられるのだ。


 黎の為にご飯やお弁当を用意してあげたり色々世話を焼いて、それだけでも今の亜香里には結構幸せで、これ以上何を望めば良いのか分からない、むしろ何かを望んでしまったらバチでも当たってしまいそうだ。


 だからもういっそずっとこのままでいいじゃないか? 少なくとも黎が大学を卒業してこの寮を出るその日までは。


 そんなことを亜香里が思い始めたある日のこと。


「飲み会に行きましょう!」


「……どうしたのよ、また藪から棒に」


 昼の学食で銀縁めがねをキラリと光らせて突然そんなことを言い出したのは亜香里の友人だった。


 大学のデザイン科に所属する二年生で亜香里とは高校の同級生、亜香里が一浪したせいで学年は一つずれてしまったけどこうしてその関係は今も続いている。


「実は先日デザイン科の先輩方から誘われまして、それでよかったら亜香里もどうかと」


「うーん私はいいよ、懐もそんな余裕があるわけじゃないしさ」


「そう言わずに飲み代は先輩たちが持ってくれるという話ですしお金の心配はありませんよ、場所もここからそれほど離れてませんし、ね?」


「ねって、今日はいつにもまして押しが強いな。そこまで私を連れていきたい理由でもあるの」


「理由ってほどではないのですけど……最近、亜香里ともあまり遊べていないなと思いまして、こうして一緒にお昼を食べるのも久しぶりですし」


「うぅっ……」


 上目遣いで窺いながらしおらしくそう言われると亜香里の心が揺れる。


 確かに言われてみれば入学したての頃は友達とどこかに出かけたりも多少はしていたのに、ここ最近は寄り道せず真っ直ぐ帰る事が増えたし休みの日も寮や黎のアトリエにいる事が多くなった様に思う。


 友達をないがしろにしていたつもりは無かったけれど、そう言われてしまうとなんだか罪悪感がうずく、それに目の前の彼女には浪人時代受験対策に付き合ってもらった恩もある。


 僅かな逡巡の末、亜香里の口から白旗のため息が漏れた。


「分かった、でも本当にちょっと呑むだけだからね、二次会とか合っても参加はしないから」


「ほんと? よかったぁ、では当日は朝まで飲み明かしましょう」


「いや飲み明かさないわ、人の話を聞きなさいよ」


 その後今後の予定や確認事項を一通り聞いたところでちょうど二人とも昼食を食べ終わった、お互いにこの後は講義があるとのことで今日はここで解散だ。


「ああそうそう、もし亜香里も誰か誘いたい人がいるのなら声を掛けてもらって大丈夫ですよ。まだ枠には余裕があるので」


 最後にそう言い残して友人は去って行き、残された亜香里も講義の為に教室へと向かった。


 


 その日の用事を終えて寮へと戻ると今日はそこに黎の姿があった。


 何をするでも無く床に転がってぽーっと溶けている彼女を亜香里はジト目でにらむと、黎はのそりと体を起こす。


「あっ、お帰り亜香里~」


「またそうやって床に転がって。踏んづけても知らないからね」


 は~いと言いながら、黎はまた力なく床に倒れ込んでいった。


 黎がアトリエから帰ってきたらいつもこう、殆ど缶詰状態で彫刻を作り続けるのはさすがに神経を使う様で帰ってからしばらくはこうして魂が抜けたみたいにふにゃふにゃになる。


「もう、寝るならせめてベットにしてよね」


 何度目になるか分からない小言を口にする亜香里だが、果たして当人は聞いているのやらいないのやら。


 まったくもーと亜香里が軽く息を吐いたところで、ふと昼間友人と話した飲み会の事を思い出す。


 ……やっぱり言わなくちゃ駄目だよね、夕ご飯の事もあるし急に帰って来なかったりしたら心配させちゃうかもしれないもんね。


 別にやましいことがあるわけでもないはずなのに、黎に飲み会の事を話すのはなんだか言い出しにくくて中々言葉が出ない。


「……あーそうだ。今日さ友達から飲み会にに誘われてさ、まだ具体的な日は決まってないんだけどその日は夜ご飯用意してあげられないかも」


 何度かの逡巡を繰り返した後ようやく切り出した亜香里の話に黎はといえば。


「ふーん、そっか。わかった、楽しんでおいでよ」


 とそれだけだった。


「……お、男の人も来るかも、もしかしたら帰りが遅くなっちゃうかもな~」


「そう」


「…………」


 あんまりにあっさりとした対応に、思わず亜香里の口がとんがる。


 なにさ、別に何かを期待してた訳じゃ無いしそんな義理も無いのは分かってるけどさ、でももうっちょっとくらい何かあったってさ。


 いじけた気分になる亜香里だったけれど、すぐにその表情には寂しげな陰が差した。


 ――やっぱり私だけなんだよね、意識してるのって。


 そんなこと分かりきっている事なのに、改めて認識させられるときゅうと胸が切なく締まる。


 胸に湧いたむなしさをため息に変えて吐き出したところで、そういえば誘いたい相手がいれば声を掛けてもいいと言われていたことを思い出す。


「いっその事、黎も一緒に来る? 飲み会」


 その提案は本当に何の気なしだった、ただ黎も一緒に来るのなら夜ご飯の事とか考えなくないいなとかそんなことを思って口にしたものだ。


 ただいかにもこういった事を面倒くさがりそうな黎のことだ、どうせ言ったところで断るに決まっているだろうと内心決め打ってもいた。


 だけど――。


「……じゃあ、行こうかな」


「えぇっ!」


 想像もしていなかったその答えに思わず驚きの声を上げてしまった亜香里に黎が怪訝な目で睨む。


「ええって、亜香里が誘って来たんじゃない」


「そうだけど、黎はこういうの興味ないかとおもってたから」


「あー……まぁ偶にはいいかなって」


 へー黎もこういうことに興味持つことあるんだ。


 あんまりにも意外だったその事実が割と衝撃で、さっきまでの落ち込んだ気分は気がついたらどこかに吹っ飛んでいた。




――あとがき――


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 それではまた次回、最後までご拝読ありがとうございました。

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2025年12月12日 07:32 毎週 金曜日 07:32

美術大学に入学したら天才女子彫刻家のお世話をすることになりました 川平 直 @kawahiranao

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