第3話
第九話:自分自身の紐
秀昭の「趣味」は加速していった。街中で見かける幸せそうな人々に次々と紐を仕込む。
高校生のカップル、老夫婦、友人同士、同僚たち。
紐は人間関係を崩壊させ、妬みを増殖させ、秀昭に快楽をもたらす。
しかし、彼の体は日に日に衰弱していく。背中の痛みは激しくなり、食事もほとんど喉を通らない。
ある夏の夜、酒に酔って帰宅した秀昭は、ベッドに倒れ込み、半ば意識を失ったような状態で横たわっていた。
ふと足元を見ると…そこには、自分自身の足から伸びる紐があった。
(俺の紐か?)
寝ぼけ眼で、ふらふらとその紐に手を伸ばす。
引いた瞬間、頭の中に声が響いた。
「仕送り30万、いいよなぁ…」
「働かなくても生きていけるんだもんな…」
「お前みたいに親のスネかじりでも生きていける奴もいるんだよなぁ…」
自分を羨む声。全て他人の声だ。
その声に向かって、秀昭は怒りをぶつけた。
「うるせえな!人は平等じゃねえよ。スタート地点が違う場合があるんだよ!そんなことネチネチ言う前に、今できることをしろよ!」
叫びながら、秀昭は自分でも意外に思った。なぜ自分がこんな正論めいたことを言っているのか。
そして、さらに紐を引いていく。
第十話:最後の説教
紐の中から、今度は自分の姿が見えてきた。
ここ半年の記憶が走馬灯のように流れる。
渋谷で女性に見限られた日。
電車のホームで初めて紐を見つけた日。
高級ホテルで大暴れした日。
家族の崩壊を喜んだ日。
すべてが、まるで他人事のように映し出される。
「お前はな、妬む暇があれば今を懸命に生きろよ。人の不幸で一時的に気が晴れても、お前の人生は良くならねえんだぞ」
その声は、まるで秀昭自身が自分に語りかけているような…
「時間はな、みんなに平等に与えられてるようで、実はそうじゃねえんだよ」
そして突然、記憶が病院の検査室に切り替わる。
白衣の医師、重々しい表情、診断書。
「余命半年です。すい臓がんが転移しています」
(えっ…俺が?がん…?)
そうだ!
思い出した。半年前、体調不良で病院に行った日のこと。
あまりにショックで、現実逃避していた。記憶の奥底に押し込めていた。
「だからお前に見えたんだよ、妬みの紐が。自分が1番健康体の未来が明るいみんなに嫉妬していたんだよ」
自分の声が続ける。
「他人を妬んで時間を潰すより、残された時間で、本当にやりたいことをやれよ」
最終話:紐の向こう側
秀昭は、涙を流しながら、自室の床に座り込んだ。
カレンダーを見る。診断を受けてから、すでに半年近くが過ぎていた。
(もう、余命使っちゃったよ)
その間、彼は何をしていたのか。人の不幸を喜び、他人の崩壊を楽しむだけの日々。
「くそっ…!」
携帯電話を取り出し、和歌山の実家に電話をかけた。
「もしもし、親父?…俺だ…」
声が震える。
「ちょっと、帰りたいんだ。しばらく実家にいてもいいかな…」
1日後、秀昭は川崎の駅のホームに立っていた。全身が痩せこけ、杖をついていた。
今日から実家に帰る。残された時間をどう使うか、まだ決められていない。
ふと、足元を見ると…もう妬みの紐は見えなかった。
代わりに、通りすがる人々の足元から、かすかに光る糸が見えるようになっていた。
それは妬みの紐とは違う、思いやりの証。
「おはようございます!」
明るい声に振り向くと、紐の見えなかった家族が通りかかった。彼らは秀昭に会釈して、通り過ぎていく。
(あの家族、別れる直前だったのに…)
秀昭は思わず声をかけた。
「すみません!ちょっといいですか?」
家族が振り向く。
「子供の誕生日プレゼント、今、何がいいか迷ってて…姪っ子がいるんですけど、同じくらいの年齢の子が喜ぶものって何でしょう?」
「あら、うちの娘なら最近ね…」
母親が笑顔で話し始め、父親も娘も会話に加わる。
彼らの足元には今、光る糸がゆるやかに絡み合っていた。
電車が入線してくる。
「ありがとうございました。参考になります」
秀昭は深々と頭を下げた。
車窓から外を眺めると、街の景色が美しく見えた。
空は青く、雲は白く、人々は忙しなく行き交う。
車窓の反射から、自分の顔をみる。別人のように痩せこけている。
もう、終わりか。
秀昭の胸の内に、初めて平穏な気持ちが広がっていた。
(妬みを手放せば、見える景色が変わるんだな)
電車は加速し、秀昭は、全身の衰弱感、疲労感が一気に襲いかかった。
こんな人生じゃなかった。
涙が止まらない。
意識が遠のいていく中で、秀昭は思った。
(人は大事なことに気がついた時には、たいてい遅いんだな…)
そして、静かに目を閉じた。
**終わり**
運命の紐 奈良まさや @masaya7174
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