フードロス
dede
冷蔵庫と彼女
使っている冷蔵庫は独身用で小さく随分と古い。何年モノか分からないが僕が学生の頃にリサイクルショップで見つけてきたものだからだ。
金もなかったし、ひとまず揃えるだけ揃えて落ち着いた頃に新しく買い替えればいいだろうと気軽に思っていた。しかし新品の方が便利だとは思いつつ捨てる手続きが面倒であったし、一応動いているものだから結局使い続けていた。
それに彼女も気に入っていた。
社会人になって出来た初めての彼女で付き合っていた期間は1年半だった。料理が好きで一緒に住む前からよく振舞ってくれた。狭い冷蔵庫だったが嬉しそうに食材を詰め込んでいく。これが減っていくのが嬉しいんだと言っていた。懐かしいことだ。今はほぼ缶ビールを冷やす仕事しかしていない。彼女が残していった調味料とかがたくさん残っていたが、使うあてもなくただ冷やされ続けていた。
彼女が出て行ってから多少自炊をしようと思いたちもしたが、すぐに飽きてしまい続かなかった。できた料理も大して美味しくはなかったし。結局外食か、近所のスーパーで買ってきた惣菜ばかりだ。その日食べる夕飯を仕事帰りに買って帰り、ビールと一緒に飲み込む。ただ最近では味を覚えてしまって飽きてしまっている。
美味しい手料理が食べたいなと思う。できれば他人が作った手料理が食べたい。自分の作った料理は美味しくないし、たまに美味しくできても自分しか食べる人がいないと思うと残念な気持ちになる。
今日のお昼は珍しく料理した。そう麺だ。茹でたので台所は蒸し暑かった。窓を開けて換気扇を回したが、窓の外も暑かった。
そう麺の入った器に水を入れると、氷を取り出すため久しぶりに冷凍室の方を開けた。すると霜がびっしりとついている。側面の壁と天井に、数cmの厚さの氷の層。触ってみるとザラザラとした硬い手ごたえ。試しに左右に揺すってみたがビクともしない。ひとまず諦めて氷だけ取ろうと思った。冷凍室の中は色んなものでギュウギュウだったくせに製氷器の中は空だった。諦めた僕はぬるいそう麺を食べた。妥協は大事だろう、氷が出来る迄待ってなどいられない。あんなに霜だらけなのにビックリするぐらい氷が出来るのは遅いのだ。
そう麺を食べ終えて多少腹が満たされると、冷蔵庫から冷えてる缶ビールを取り出して満足のいくまで嚥下した。半分になったあたりでようやく満足がいったので口を離してシンクの上に置いた。喉が潤い、体の熱も少しだけ取れた。
それにしてもすごい霜だった。以前からあんなに霜ができていたのだろうか。覚えがない。けれど案外前から霜がつくようになっていたのかもしれない。彼女と一緒に住むようになってからは冷蔵庫は彼女の領分で、缶ビールを取り出す以外は殆ど寄り付かなかった。
その証拠に冷凍室にギュウギュウに詰め込まれていたが、氷以外は何が入ってるか全然検討もつかなかった。これを詰め込んだのは全部彼女だ。
もう一度ビールに口をつける。一口目ほど美味しくはなかった。それでも暑い中飲むビールはとても良いものだと思った。
彼女が去って行ったのはまだ肌寒い春だった。あれから4ヵ月。頃合いだと思った。僕は冷蔵庫のコンセントを抜いて冷凍室のドアを開けっ放しにする。そして新しいゴミ袋を卸すと中に空気を入れモノを入れやすいように口を大きく開けた状態で床に置いた。
冷蔵庫の中身を処分しようと思う。どうせ在っても僕は調理したりしないのだ。コンセントを抜いた冷蔵庫はとても静かなものだった。ずっと稼働していたから煩いだなんて気づきもしていなかった。
冷凍室の中身は凍っていて物同士がくっつきあっている。それらを力を込めて剥がし、冷凍室から一つずつ取り出していく。一番上にあったのは意外にも市販の冷凍食品だった。料理好きの彼女が何故とも思ったが、たまには手を抜く事もあったのかもしれない。賞味期限を確認するとまだ大丈夫だった。食べるかどうか分からないが、期限までに手をつけなかったらその後に捨てれば良いだろうとひとまず冷蔵のドアを開けて中に放り込む。ついでにまだ冷えている缶ビールをもう一本取り出し、飲み掛けだった方は一気に飲み干した。作業の続きに戻る。
冷凍食品の下から現れたのはフリーザーバッグに入ったお肉やら刻まれた野菜だった。丁寧に日付が彼女の字で書かれていた。12月や11月辺りが多い。冷凍しておけばどれほど保存できるか僕は知らなかったが、お肉を拳で軽く叩き、カチンカチンである事を確認したところでゴミ袋に入れた。食べれたかもしれないが、きっと変質してしまって美味しくないに違いない。元々しないがどうせ料理をするなら新鮮な食材でするに決まっている。
更にその下からは、今度はハンバーグのタネやら、餃子など調理済みのものが入っていた。日付は更にひと月前の10月ごろだった。そこでようやく思い当たる。外で友達と遊ぶ機会が増えた時期だった。浮気をしていた訳じゃないが、楽しそうに遊び回っていた男友達が羨ましくなり外に出る事が多くなっていった。自然、ご飯を外食で済ます事も多くなる。その時食べ損なった彼女のご飯の残滓だったのだろう。実際に作っていたのが、食材のままになり、一人で食べる時は冷凍食品で済ませる事も多かったのかもしれない。
僕が美味しそうに食べるのが好きだと言っていた彼女。彼女の料理に「美味しかったよ」と最後に声を掛けたのはいつだったろう。「ごちそうさま」とちゃんと口にしなくなったのはいつからだったろう。
今ではどれもダメになってしまった。僕が食べるハズだったハンバーグや餃子、それらを凍らせたままゴミ袋に入れた。
冷凍室はすっからかんだ。製氷皿と霜しかない。その製氷皿も空だ。霜を掴むとグイグイ揺する。ビクともしない。これだけ暑くてさっきから汗が止まらないというのに霜は溶けだしてもいなかった。僕は缶ビールを飲む。
冷蔵庫の方も開けて見る。缶ビールはともかく、他には彼女の揃えた調味料が幾つもあった。ショウガ、ニンニク、和カラシ、ワサビ。ワサビ、あったんだ。そう麺に使えば良かった。賞味期限を見る。切れていた。でもこの手の調味料はなかなか使い切れるものでもないし、賞味期限が切れてても良いような気がする。捨てる事は保留にして冷蔵庫の一か所にまとめて置いておく。使った時に味がおかしかったらその時に捨てる事にする。ついでに缶ビールをもう一本取り出した。
開けていた方の缶ビールを一気に飲み干す。暑い。さっきから汗が止まらない。喉が渇く。なのに霜は一向に溶ける気配がない。電気が切れてから随分経ってるハズだ。試しに冷凍室に手を突っ込む。中はひんやりとして涼しかった。開きっ放しのドアの内側だけが溶けて汗をかき始めていた。
思いついた事があった。一度台所から離れると扇風機を持って戻ってくる。そして、冷凍室の中に風を当てる。すると冷凍室から冷たい風が溢れてきた。そして溶けていく霜。霜は溶けるし僕は涼しいし一石二鳥だ。冷凍室の床には徐々に溶けだした水が溜まっていく。僕は急いで布巾を用意し拭き取り、流し台で絞るを繰り返す。次第に冷蔵庫と流し台の往復が面倒になった僕はバケツを用意しそこで拭き取った水を捨てた。やがて霜を揺するとグラグラするようになり、やがて固まりが剥がれ落ちた。その氷の塊をバケツに捨てる。一つ剥がし、二つ剥がし、最後まで抵抗した冷凍室の天井の霜もゴトリと音を立てて剥ぎ取る事ができた。取り出した天井の霜には長い髪の毛が埋もれていた。明らかに僕のではない髪の毛。彼女のだ。
はてどうやったら天井の霜に彼女の髪の毛がつく事があるのだろう。こんな小さなスペースに頭を突っ込む事があったのだろうか。わざわざ自分の髪の毛を天井に張り付ける事もないだろう。考えれば考える程分からなくなった。かといって、今さら彼女に聞く訳にも行かない。
「他に好きな人ができた」と泣いて詫びてきた彼女。何故だろう、漠然と今後も一緒にいてくれるだろうなんて能天気に考えていた僕。彼女の様子が変わったことすら言われるまで気付かなかった。
でも中身の減らない、ただ保存するだけの冷蔵庫にしたのは僕だ。彼女の笑った姿を最後に見たのはいつだったか、僕は思い出せない。
霜はすっかり取り払われ、綺麗に水気を拭き取られた冷凍室に満足してドアを閉めると冷蔵庫のコンセントを差した。古いコンデンサが怨嗟にも似た唸り声を上げ始める。煩い。
お前は彼女と仲がよかったからな。彼女との思い出の品をすっかり取り上げられてきっと怒っているのだろう。
いよいよ冷蔵庫の中身は缶ビールしかなくなってしまった。この冷蔵庫に詰め込むモノの目途は何も立っていない。もう缶ビール以外に入れる事はないかもしれない。随分古いからな。その前に壊れる可能性もありうる。
なんにせよ僕はこの暑くて冷蔵庫の煩い台所から涼しい部屋で一休みしようと思う。その前にもう一本缶ビールを取り出すため今一度冷蔵庫のドアを開けた。
フードロス dede @dede2
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