混ぜたらあかん

山猫家店主

和歌山某祭りでの記録

【前書き/語り手:地方局アーカイブ担当】


私は関西某県の地方局で、番組アーカイブの管理をしている者です。

この原稿は、2023年の春に倉庫で見つけた一本のVHSテープについての記録です。

映像そのものは、ごく普通の町内会の夏祭りを撮っただけのものに見えました。少なくとも、最初の数分間は。


テープのラベルには手書きで「第9回 ○○町納涼祭 素材」とあり、年代は1998年。

ラベルの端には、別の書き込みが赤マジックで重ねられていました。

──《放送不可/未処理素材あり 要返却 深夜便D担当》


見慣れた備品箱の中に紛れていたのは、偶然だったはずです。

ただ私は、なぜかその一本だけが、何かに呼ばれているような気がして、手に取ってしまったのです。



【記録映像ログ①(1998年8月撮影)】


記録者:番組AD・仮名「M田」

使用機材:局支給ハンディカム

テープ記録:Hi8 → VHSダビング版(本稿記録の出典)


映像は明るい広場。やぐらの周囲を盆踊りの列が巡り、地元小学校の鼓笛隊、テント下では給食当番らしき女性たちがカレーをよそっている。


地元の人々の笑顔、カメラに手を振る子どもたち。

映像は、典型的な「町おこし記録」の一部に過ぎないように見えた。


だが、三分ほど経った頃、違和感が始まる。

カメラが給食テントの裏手をパンしながら通り過ぎた、その一瞬の画面端──

黒っぽいワンピースの女が、柱の影からこちらをじっと見ていた。


最初は単なる通行人かと思えた。

だが、別の角度の映像──太鼓を叩く子どもを正面から映したカットにも、

女は同じ場所、同じ姿勢、同じ目線で映っていた。

頭の角度も、腕のたたみ方も、髪の毛のたれ具合さえ、まったく同じだった。


三つ目のカットでは、盆踊りの輪がぐるりと回るなか、

その女が“踊り手の背後”に一瞬、映り込む。

カメラは回転しており、踊りの中心部にいた撮影者が、やぐらを背に一周したときの映像だ。

つまり、女の立ち位置が、物理的に説明がつかない。

どう移動したとしても、輪のなかには入れないはずだった。


そして、そのときの音声──

太鼓、足音、笛の合間に、ごくかすかに重なるような声が混ざる。


「まぜたら、あかんで……まぜたら……」


その声は、明らかにマイクの近くからではなく、

映像の“内側”から響いていた。

耳元で囁くようでもあり、遠くから投げかけるようでもあり、

にもかかわらず、妙に鮮明で、無機質だった。


映像の尺は約14分。

だが、その女は、ラスト近くの打ち上げ花火の場面でも、同じ服装、同じ表情で、

今度はテントの上に立っていた。

映像はピンボケになりかけていたが、そこにははっきりと、人の輪郭があった。

カメラは気づいたように上を向きかけたが、直後に映像は唐突にカットされ、

次のシーンでは暗転とともに音だけが残っていた。


祭囃子は消え、代わりに、妙に生々しい“まぜる音”だけが延々と続いていた。

レードルが鍋をさらうような音。

それが数分、繰り返されたあと──


「まぜたら、あかんて、言うたのに……」


最後のその声だけが、まるではっきりと、録音者に向けられていた。

第二章:封印された未放送回


「もうこの回、やめよう。お蔵入りや」


その決定が下されたのは、1999年の年明け直前。番組改編期に合わせて制作されていた、深夜の心霊特番『異界映像録』の第5回収録時だったという。


語り手は当時、制作会社に出入りしていたフリーの編集者・仮名「Y氏」。現在は映像業界を退いており、地方で細々とフリーランスの仕事を続けている。そのY氏が、当時の録音テープを送ってきた。そこには、こう記されていた。


「――あの素材、まず普通に再生できなかったんですよ。編集ソフトが一瞬バグる。カーソルが映像に触れた瞬間に“ピー”って音とともにソフトが落ちて、同時に、編集中の画面が勝手にズームして……女の顔だけが、こっち向くんです」


それだけなら単なるバグとも思えるが、不可解だったのは、他の編集端末でも同様の現象が起こったことだった。素材を別の形式に変換しても、女の顔だけが映像内で微妙に“動き続ける”。映像内の他の人物が静止していても、女の目線だけが、わずかにカメラに近づいてくる。


「――しかも音声が、勝手に乗ってくるんです。元の素材にないはずの“鍋をかき混ぜるような音”が、尺の後半に重なってくる。最初は『カレー鍋の音やろ』って言うてたんですが、よく聴いたらレードルの音じゃなくて──“手でかき混ぜる音”に、聞こえてきたんです」


番組スタッフの間で、この素材は“呪いの映像”と冗談交じりに呼ばれるようになり、誰も編集を引き受けたがらなくなった。そこで最後に素材を預かったのが、当時のチーフディレクター・仮名「H氏」だった。


彼は深夜の編集室に一人こもり、約5時間かけて素材を一本にまとめ上げた。ところが、その日の夕方、社内で開かれた社内試写会。完成映像を見終えたH氏は、異様なほど青ざめた顔で、こう言ったという。


「――これは……この回は、絶対に放送できん。これはもう、違う領域に入ってる。どのカットにも、あの女が映っとる。最初から、最後まで……ほら、スタッフロールの後、真っ黒な画面でも……そこにも、顔だけ浮いてるんや」


その後、映像は即座に封印扱いとなり、編集テープはシュレッダーで裁断。完成VHSはなぜか“局備品返却ボックス”に間違って投函されたらしい。それが、本章の冒頭で私が偶然発見した“未放送素材”である。


なお、Y氏によれば――


「――その特番は第4回で打ち切られました。5回目の放送予告もあったのに、突然。その回の予告タイトルは、たしか『夏祭りの録画が教えてくれたもの』でしたよ」



あの映像に映っていた祭り──あれが、どこで撮られたのか。

私はまず、テントに写っていた垂れ幕の文字から町名を推定した。

文字はかすれていたが、「○山町夏まつり実行委員会」の“山”の形状と、その下に映っていた町章のようなロゴから、和歌山県のある町に絞ることができた。


だが、そこから先が奇妙だった。


ネットで調べても、その町の夏祭りに関する記録は“1998年の年”だけ、丸ごと抜け落ちている。

県の観光サイトも、町の広報誌も、地元新聞のバックナンバーも──1998年8月の行事記録だけが、まるで初めから存在していなかったかのように、空白になっている。


おかしいと思った私は、直接、町役場に電話をかけてみた。

「1998年の夏祭りの映像について聞きたいんですが」と言った瞬間、電話口の女性が一瞬、沈黙したのがわかった。


「……あの、申し訳ありませんが、当時の記録はすべて災害で……ええ、倉庫の浸水で、紙資料も映像も……」


しかし、その町では1998年、洪水被害は一切記録されていない。

国交省の災害年表にも載っておらず、他の町の資料も通常どおり残っている。

倉庫の場所も、問い合わせても教えてもらえなかった。


それでも諦めきれず、私は町に出向くことにした。

町は、予想していたよりも静かで、整然としていた。

だが、妙に“新しい”建物ばかりが目についた。


資料館、町役場、小学校、消防分署──すべてが、1999年以降に建て替えられていた。

古い街並みがごっそり消えているのだ。

それも、ちょうど“夏祭りが開かれていたと思しきエリア”を中心に。


町の人に何人か話しかけてみたが、誰もが口を濁した。

ある年配の男性だけが、こうぽつりと漏らした。


「……お祭りは、あんときで終わりや。あれ以来、二度とやっとらん」


「なにかあったんですか」と問うと、男はうつむき、

「まぜたら……」と、かすかに呟いたあと、もう何も言わなくなった。


私は最後に、図書館に立ち寄った。

新聞の縮刷版を確認すると、1998年8月号だけ、見事に破られていた。

一枚一枚が綴じられた本の中で、その月の紙面だけがごっそりと裂かれ、破られ、剥ぎ取られていた。


代わりに、1ページだけ残っていた。


それは白黒の広告欄で、右下の隅に、こうあった。


《カレー提供中止のお知らせ──鍋の不備により、一部の配膳を停止しました。ご迷惑をおかけします》


広告主の欄には、主催名が書かれていた。

だが、その文字は、赤ペンで塗り潰されていた。



番組スタッフの中で、あの夏祭りの映像を「直接」撮った人物は、すでに局を離れていた。

カメラを担いでいたのは、当時アルバイトとして雇われていた若手の映像技術者・仮名「K村」。

いまは東京近郊でブライダル映像や記念式典の撮影を請け負うフリーランスとして働いている。

彼に連絡を取ったところ、K村は初め、非常に警戒した様子だった。だが、件の映像の存在を知っていると伝えると、電話口の声が一気に静かになった。


「……あの夜のことは、よく覚えてます。いまでも、夢に出ますから」


K村によれば、あの映像の本番テープ以外に、もう一台のカメラが祭りの裏で回されていたという。

それは、番組ADの一人が「取材メモ用」に持ち歩いていた、小型のDVカメラだった。


「そのカメラで何が撮れていたのか、僕は直接見てません。

ただ、そのテープを持ってたADの子が、翌日から会社に来なくなって。連絡も取れないまま、辞めたんですよ。辞めたというか、……いなくなったというか」


そのADの名前を、彼は「Y本さん」と記憶していた。

女性で、当時はまだ23歳くらい。

K村は、そのY本が撮った“裏側の映像”を一部だけ試写で見たことがあるという。


「……あのとき、会議室に映したのは、ほんの数分間だけだったと思います。

手ブレがひどくて、盆踊りのやぐらの後ろ、テントの裏側が映ってた。

でもその奥に、人じゃない何かがいたんです。四つん這いで、地面を這って動いてて……でも顔が、カメラ目線だった。ずっと。ずーっと、こっちを見てた」


その映像は、その後まもなく「局内から消えた」という。

保管庫に預けたはずが、管理簿に記録がなく、貸出履歴にもない。

ただ一人、その後に別部署に異動した制作進行スタッフの証言によれば、


「ある夜、VTRの保管室の中から、カシャッ、カシャッ、って音が聞こえてきた。誰もいないはずの棚の方から。で、翌朝、鍵が開いてて……ビデオが3本、無くなってた」


その中に、Y本のテープがあったかは、誰にもわからない。

だがK村は、最後にこう言い残した。


「……あの夜、テントの裏で、何かを“混ぜてる”音がしてたんです。しゃばしゃばした、カレーの音じゃない。もっと、ねっとりした音。……それが今も、耳から離れないんですよ」




2020年秋。ある中古レコード店の倉庫整理中に、未記名のカセットテープが大量に見つかった。

スタッフがチェックしたところ、そのうちの1本だけ、極端に“再生音が不快なもの”があったという。

ノイズがひどく、一定の間隔で耳鳴りのような高音が入り、テープデッキによっては再生が途中で停止する。

そのテープのケースには、手書きでこう記されていた。


「’98.8.15 / Y.Moto / mix注意」


当時のAD──仮名「Y本」のものと思われる。


私はこの情報をある映像蒐集家から聞きつけ、現物を借りることができた。

再生には古いデッキを使い、複数の再生機器を経由して音源をデジタル化した。

以下は、その録起こしの全文である(原文ママ/一部聞き取り困難)。



(テープ再生・冒頭数秒間ノイズ)


──えっと、記録用。ええと……1998年、8月15日、ええ、いまは……午後8時前。

……雨は降ってないけど、なんか、風が……(不明瞭)


……カレー、いま配ってる。テントの裏、ちょっと変な匂いがする。

K村さんは前でカメラ回してるから、私が裏の補助撮影……のつもり、だったけど。


(間)


……ひとり、変な人がいる。白い服。しゃがんで、鍋のとこ、見てる。

誰かスタッフかと思ったけど、誰にも話しかけないし、こっちも見てない……はず、だったのに。


(風の音、紙がめくれる音)


……見られてる。わたし、見られてる。さっきから、あの人、動いてない。なのに……顔が、少しずつ……


(テープに強いノイズ、ここで一度再生停止)


(再開後)


……混ぜてた。鍋を……手で……スプーンとか、じゃない。手ぇで……

……指が、音してた。ぐちゃぐちゃって……

それと、声が、頭ん中で。なんで、頭ん中……?


「まぜたら、あかんで……まぜたら……まぜたら……」


(カン、という何かを落とす音)


……やばい、これ、やばい。録っちゃいけんもん、録ったかもしれん……

K村さんに……言わんと……


(ここで唐突にテープ終了)



 Y本はこの録音の後、2日後の出勤を最後に消息を絶った。

勤めていた会社には「退職願」だけが残されており、自宅には誰もいなかった。

彼女の荷物の中に、“録画済みテープ”が複数本、未開封のまま置かれていたという。


それらは、今も“所在不明”のままだ



その音声がネットに流れたのは、2023年6月、ある心霊系YouTuberがアップした動画がきっかけだった。タイトルは《【封印テープ】聞いてはいけない放送事故音源を入手しました》。サムネイルは、カセットテープの拡大写真。再生回数は、初日で10万再生を超えた。


その動画内で使われたのは、Y本の残した録音の一部。冒頭の「……カレー、いま配ってる」という部分から、「まぜたら……」という囁きが入る直前でカットされていた。だが、動画の投稿者はコメント欄でこう記していた。


「フルバージョンも持ってるけど、さすがに公開は無理。

これを編集してるとき、突然、音が勝手に挿し変わった。

聞こえてない音が混ざってくる。ガチで変なこと起きる。マジでヤバい」


最初は“よくある怪談ネタ”として扱われていたが、1週間後、コメント欄に異変が現れ始めた。


「この音、夜中に耳元で鳴るようになった。誰もいないのに、台所から“混ぜる音”がする」

「再生したらスマホの通知音が“ぐちゃぐちゃ”って鳴り出して、止まらんくなった」

「録音の声と同じ言葉を、自分の娘が夢で言ってた。“まぜたらあかん”って」


YouTuber本人はその後、動画を非公開にした。X(旧Twitter)のアカウントは削除。チャンネル自体も消え、本人の消息は不明のままだ。そのYouTuberの最後の投稿には、こんな文が残っていた。


「あれは音やない。中に何か、おる」


やがて、転載動画が拡散された。一部のまとめサイトでは、「この音源を聞いた後に亡くなった人がいる」という記事も出始めた。ただ、どれも信憑性に欠ける内容で、警察やメディアは動かなかった。


だが、私は気づいた。あの動画の“ミラーアップロード”に混ざって、1本だけ、全く違うものが投稿されていたことに。


再生時間は【00:00:00】。つまり、音が入っていない。ただ、無音のはずの映像の波形だけが、ほんのわずかに脈動していた。


そして、その動画の説明欄に、こうあった。


「音は消した。でも、それでも“映る”ようになった。次は、あなたの耳に入る」



あの無音動画を検証しようとした者は少なくなかった。中でも、映像音響の分析を専門とするフリー技術者・M永は、件の動画を“実験素材”として扱い始めた数少ない一人だった。


「最初はネタかと思ってたんです。ただ、波形がおかしい。ゼロに見えるけど、完全な無音じゃない。ノイズ以下の揺らぎが周期的にあるんです」


M永は、自身のブログにその波形のキャプチャを投稿していた。通常の音響編集ソフトでは表示されない、極端に浅い“音の谷”。しかもそれは、一つの音声パターンに似ていたという。


「心音でした。赤ん坊の、胎内の音に近い。それと──何か混ざってるんです。人の声の、残響みたいな……」


解析の過程で、M永の使用するPCに異変が生じ始めた。再生中にソフトが落ちる。保存データが勝手に書き換えられる。音声ファイルを開こうとすると、フォルダ内に“存在しない拡張子”のファイルが生成されていた。ファイル名は、こうだった。


「MIXED.WAV」


そこには、20秒間の音声が記録されていた。最初の10秒は、かすかな風のようなノイズ。続く10秒間、うめくような低い声で、はっきりとこう呟かれていた。


「……まぜたら……あかん……あんたまで……まぜたら……」


M永はそのファイルを、ブログにもYouTubeにも投稿していない。ただ、自身のSNSにこう書き残して以降、更新は途絶えている。


「この音、耳からじゃなくて、中から聞こえる。

再生してないのに、黙ってても混ざってくる。自分の声と、区別がつかん……」


翌週、M永の住む都内のマンションで、住民による通報があった。壁の内側から「かき混ぜるような音がする」との苦情だったが、警察の立ち入りでは異常は確認されず、M永本人の姿もなかった。


だが、部屋の床下から見つかった古いポータブルレコーダーに、最後の記録が残っていた。


カチリ、と録音ボタンを押す音に続いて、M永のかすれた声がこう言っていた。


「今から……耳、ふさぎます。これ以上、混ざりたくない……」


その直後、小さな笑い声のようなものが、一度だけ記録されていた。



再び異変が広まったのは、2024年2月。ある都市伝説系フォーラムで、「“聞こえる広告”」として話題になったバナーがあった。広告はごく普通のバナー画像だった。だが、それを開いた瞬間、スマホが音を出していないのに「何かが聞こえる」という報告が相次いだ。


「女の声で“まぜて”って聞こえた」

「イヤホンしてないのに耳元に息を吹きかけられた感じがした」

「そのページ閉じたあと、スマホの通知音が変になった。“ごはんできたよ”っていう聞いたことない音が鳴った」


スレッドはすぐに荒れ、リンク元を辿る者も現れたが、URLはすでに無効になっていた。だが、アーカイブに残されたページのコードには、不可解な挙動が含まれていた。一定時間滞在した閲覧者のデバイスに、自動的に小さな音源ファイルをダウンロードさせる仕組みになっていたのだ。ファイル名は「call_me.wav」。ファイルサイズはわずか2KB。中身は、無音だった。


だが、それを再生した者の一部が、**“その音に返事をしてしまった”**という。


「ふざけて『はい』って言ったら、今度は“ありがとう”って返ってきた。録音には残ってなかった」

「“聞こえてますか”って声が返ってきた。返事したの、自分しかいなかったはずなのに」


そして、数人のフォーラム利用者が、ほぼ同時期に「失踪扱い」になった。警察は個別の案件として処理したが、当該ユーザーの部屋に残されていた共通点は、どれもPCの電源が入ったままで、再生プレイヤーが開きっぱなしだったことだった。


ある者の自宅のモニターには、テキストが一行だけ残っていた。


「ようやく混ざれたね」


以後、そのフォーラムでは“呪い系音声”に関する話題は禁止となり、関連投稿はすべて削除された。だが、ネットの奥には、その音源を“鍵”として使っている者が存在すると囁かれはじめた。


音ではなく、誰かの「呼び声」。

それに、返事をしてしまった者から、順に“混ざっていく”。

第九章:未放送の回


テレビ局の倉庫の片隅に、そのテープは存在していた。民放T局が90年代後半まで使っていた3/4インチのUマチック。白いラベルには、油性ペンでこう記されていた。


《心霊特番 仮収録:96年8月 田辺》

そして、赤い線で斜めにバツ印。その横に細く「要・廃棄」と書かれていた。


元ディレクターのY本が制作した夏の特番は、放送前に差し替えられた。理由は「演出上の不備」。しかし局内では、別の理由がささやかれていた。「音がおかしい」、「カメラが回っていないときの声が入っていた」、「誰も撮っていないカットがある」──そんな噂が編集室で広がり、ディレクター自ら放送を取り下げたという。


その映像は二度と表に出ることはなかった。局の映像資料室のリストからも削除され、正式な管理番号も与えられなかった。だが、現場スタッフの一人が密かにそのテープをコピーしていた。理由は、「編集の検証資料として保存しておきたかったから」。


そのコピーが、2023年、ある古物市場に出回った。買い取ったのは、古映像蒐集家として知られるM村という男だった。


「最初はただの未放送素材だと思ってたんです。でも、ラベルを見た瞬間に嫌な感じがして。再生してもないのに、“混ぜたらあかん”って声が、頭の中で響いたんですよ」


M村は、その映像の一部をデジタイズしようと試みたが、取り込み中にPCがクラッシュ。テープ自体も、突如としてモーターが焼けたように焦げ臭くなり、再生不能となった。


唯一残ったのは、取り込み途中で保存された10秒間の映像ファイルだった。


画面には、炎天下の校庭跡のような場所が映っている。手持ちカメラがゆっくりと砂地をなぞり、やがて遠くに立つ白い影にズームしていく。ピントが合った瞬間、映像が歪む。


その直前、音声トラックにはこう記録されていた。


「──まぜたら、死ぬで。これは、うちらのもんや」


その白い影の正体は不明だった。ただ、奇妙なことに──

その10秒間の映像に、Y本本人が映り込んでいた。カメラを回しているはずの本人が、カメラの向こう側に立って、何かを見つめていたのだ。


M村はその後、映像の存在を記録媒体ごと処分したと語っていた。だが、あるフォーラムに、映像を見たという第三者の書き込みが残っていた。


「Y本の顔、見たことないのに、あれ見たとき“あ、本人や”って思った。目が──俺らとちゃうほう向いてた。あれ、カメラ越しに誰かと混ざっとる」



Y本が“例の回”を撮影したのは、和歌山県某所の廃校跡だった。1996年の夏。

現地には、1週間前に「地元住民の複数名が行方不明になった」との情報が寄せられていた。報道はされなかった。理由は「捜索中だったため」だが、T局のバラエティ班がその話を嗅ぎつけ、特番の目玉ロケとして現地入りした。


取材班はY本を含めて5名。カメラ2台、照明、音声、そして案内役の地元コーディネーター。


Y本は、取材初日にロケ日誌を残している。


《8月7日。天候:晴れ。気温高し。機材搬入完了。撮影中、何度か“音ズレ”確認。現場音声とマイク記録にズレ。

砂地のノイズ、混線? 照明が不調。ノイズ走る。

22:10 同行スタッフ、A村が軽いパニック。廃校の裏庭で“白い人影”を見たと主張。撮影テープに映像なし。本人、震えながら『声が聞こえた』と。

曰く──“まぜたら、戻れん”》


Y本はその日の深夜、自ら編集室へテープを持ち込み、粗編集を始めた。

映像は通常通り記録されていたが、ある地点からマスター音声がすべて“同じ女性の声”に上書きされていた。


それは取材とは無関係な、“生活音”のようなものだった。まな板で野菜を切る音。鍋をかき混ぜる音。足音。そして、ときおり聞こえる、遠くの笑い声。


“放送には使えない”


そう判断したY本は、放送予定日の3日前、自ら番組の差し替えを申し出た。

ただし、代替の素材は用意されておらず、局内では急遽“納涼スペシャル(再放送)”が流されることになった。


翌朝、Y本は局内の映像編集室で倒れているのが発見された。意識不明のまま病院に搬送。翌週、死亡が確認された。

死因は「脳出血」。ただ、解剖所見には不可解な記録が残っていた。


《聴覚神経周辺に、外傷・腫瘍・血栓等の形跡なし。

ただし、鼓膜周囲に“強い内圧変化による損傷”の兆候。

通常の音響圧では説明できない破壊が見られる》


その診断は、局の上層部にだけ知らされ、Y本の死は「持病による急逝」として処理された。


だが、Y本の私物からは、例の廃校ロケのラストシーンの“絵コンテ”が発見された。

そこには、誰にも説明できないカットが描かれていた。


「白い砂の中、カメラマンが溶けるように消えていく」

「子供の声。“おかあさん、まぜたらあかんって言うたやろ”」

「砂の上で、Y本自身がカメラを構えながら、自分自身を映している」


この絵コンテは、スタッフの誰もが見たことがなかった。

ただ、ラストのページの裏側に、Y本の走り書きが一行だけ残されていた。


「……編集してるうちに、記憶が変わってくる。俺はいつ、カメラを持ちかえた?」




記録者:山本悠真(やまもと・ゆうま)

職業:フリーライター

所属:なし(元・月刊『事件考察』編集部)


調査動機:2023年秋、某動画投稿サイトで奇妙な音声が拡散され、都市伝説として「未放送の特番」なる言葉がトレンド入り。その出典元を追っていくうち、“Y本”という過去のディレクターの存在に行き着く。


《調査記録:2023年10月8日》

最初に名前を聞いたのは、T局OBの三枝氏(仮名)からだった。

彼は退職後、地方で農業をしているが、今もT局時代の資料を大量に保管している。


「Y本くんの件ね……あれはもう、触れたらあかんって空気があったよ。当時。ほんま、誰も何も言わへんようになった」


話を聞くうち、三枝氏の口調が急に重くなった。


「1本だけ、Y本くんがロケ後に送ってきたメモ、あるねん。社の資料からは外したけどな……読みたいなら、止めはせん」


渡されたのは、FAXのコピー。日付は1996年8月11日。

そこには走り書きでこう書かれていた。


「音が抜けない。編集しても混ざる。誰かが“別の場所から”撮ってる。画面の中の俺が、編集後に目線を変えてくる。もう一人の俺が、こっちを見てる」



《調査記録:2023年10月15日》

T局資料室にアクセス申請。

当然、「未放送回の映像」は見せてもらえず。ただ、映像カタログの旧リストに不自然な“欠番”があった。

連番の中にぽっかりと空いた「#1485」。

そのスロットには手書きで「録画不能素材」と記されていた。


それだけで記事にはならない。

だが、ネットの匿名掲示板で「#1485を見た」という者の書き込みを見つけた。


《1997年、研修で局に入ったとき見せられた。“こういうものがあるから気をつけろ”って。白い女が鍋をかき混ぜてた。その手元にカメラが映ってる。誰が撮ってるんかわからん。でも、画面の中で──Y本が後ろに立ってた。そのY本の顔が、うちの奥さんとそっくりやった。……うちの奥さん、あのカレーの件で行方不明になっとるんや。和歌山でな》


筆者は背筋が凍えた。

この投稿は、2日後に削除され、書き込み主のIDも抹消されていた。

本人に連絡を取ろうとしたが、掲示板の運営も「ログなし」と回答した。



《調査記録:2023年11月1日》

筆者の自宅ポストに、差出人不明の小包が届く。中には、Hi8テープが一本。タイトルラベルなし。メモには一言だけ。


「視たなら、混ざれ」



《調査記録:2023年11月2日》

Hi8の再生機を借りるのに手間取った。

いまどき扱える機器を持っているのは、神保町の古書店“Q堂”くらいしかなかった。機械は重く、動作も不安定。けれど、その小包に入っていたテープ──“視たなら混ざれ”と書かれたあの一本──は、どうしても無視できなかった。


再生を始めたのは午前2時すぎ。

画面には、しばらく何も映らなかった。暗闇。風の音。時折、砂利を踏むような足音。そして、ゆっくりと画角が切り替わった。


白い壁。

その手前に、女が立っていた。


顔は映っていない。ただ、髪が濡れていた。

女は無言で、何かを煮ているような仕草を繰り返していた。


まな板の上には、輪切りのタマネギが並んでいる。

鍋の中身は見えない。ただ、ぐつぐつと煮える音だけが、部屋中に響いていた。


次の瞬間、映像がブレた。

揺れたのではなく、“誰かが上書きしたような不自然なズレ”──女の背後に、男が立っている。


その顔が、山本だった。


筆者──つまり、私自身が、そこにいた。

カメラは回り続ける。

女は振り向かない。だが、まな板に並べられたタマネギの中に、奇妙なものが混ざっていた。

指。

小さな子供の手。それがまな板の端で、まだぴくぴくと動いていた。


そして──女の口が動いた。


「……まぜたら、死ぬんよ。でも、混ざったもんは、もう戻せんやろ」


映像は唐突に切れた。

巻き戻そうとすると、再生機が異音を立て、テープが吐き出された。

そのとき、手元のメモ帳が勝手に開いた。


最後のページ。

筆者の字で、こう記されていた。


「──取材中、あの子の声を録音した。でも、俺が初めて声を聞いたのは、あの夜のキッチンやった。女の顔は、見えなかった。……でも、俺は知ってる。あれは、うちの母親や」



このファイルは、山本悠真の遺品から発見されたものである。

彼の死因は「毒物の摂取による中毒死」とされている。

司法解剖の詳細は伏せられているが、胃の中から微量の無機ヒ素が検出されたという報道が一部に残っている。


PCにはこの文章のほか、複数の未送信メール、そして「編集途中の映像ファイル」が保存されていた。そのうちのひとつは、例のHi8テープの映像と一致する内容だった。ただし、再生されたファイルには、異なる結末が記録されていた。


女の背後に立っていたのはY本でも、山本本人でもなかった。

誰でもない“第三の人物”が、画面の中央に立っていた。


その人物は、カメラに向かってこう言った。


「……ここまで読んだんやね」


音声はそこで一度途切れる。

そして、画面が砂嵐になったあと、次の文字が静かに浮かび上がった。

「この話を“記録した”時点で、あなたも混ざった」


【再掲ログ:匿名掲示板/2024年3月16日】

ID:snowmix◆9Akira


昨日深夜に例の動画、再アップされてた。

冒頭に“白い部屋で鍋をかき混ぜる女”が出てくるやつ。

コメント欄閉じられてるのに、次の日には何百も“見た”って書き込みがあった。

でもさ──URL、どこにも残ってないんだよね。俺、どこからアクセスしたんだろ?


【X(旧Twitter)ログより】

@nekonoshima2011

2024/3/18 01:08


やばい夢見た。

自分がカメラ構えてて、なんか白い部屋におって、誰かに「まぜたらあかん」って言われた。昔うちの実家、和歌山やねんけど、これ関係ある?

……なんか今、部屋の外で音してる。鍋、かき混ぜてる音。


【YouTube自動生成字幕ログ】

動画タイトル:なし

アップロード者:不明(アカウント削除済)

字幕記録:

(足音)

これは記録ではない。これは再生されるたびに、形を変える。

(鍋をかき混ぜる音)

混ざる。お前も。もう、戻れん。

(笑い声)


 この原稿は、編集部が保管していた未発表資料の一部である。

掲載の是非については社内でも意見が分かれた。しかし、本誌は「記録者の不在こそが記録の証左である」とする立場から、掲載に踏み切った。


なお、この原稿を読んだあと、耳鳴りや夢の内容に異変があった方は、いかなる手段でも構わない。映像を再生しないよう、強くご注意いただきたい。



                                 了

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混ぜたらあかん 山猫家店主 @YAMANEKOYA

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