11話 訓練と同期

朝の鐘が三度、塔の内部で澄んだ余韻を引きずった。

修練院一階の中庭に、薄い霧がまだ残っている。

金属と白石を継いだ回廊は冷え、壁面の光導板が弱く脈打つ。

今回試験を通貨した新米シスター見習いは実佐含め5名であった。

「本日より修練を始める。私は指導修道女のアレクシアよ。

規律、静謐、神への奉仕を精神に刻み込んでみます」

灰衣の修道服を着た女が短く告げる。

背筋は針のように真っ直ぐで、瞳は研磨した石の冷たさだった。

彼女の視線が、実佐の偽名入りの胸札〈ミサ・クラリス〉に一瞬とどまり、

すぐ隣の四人へ移った。

「リサ・クラフトです」

低く張りのある声。切れ長の目に疲れはあるが、芯の固さがにじむ。

「小さい頃から祈りを続け、祝福を頂いています。精一杯、尽くします」

「ヴァレリー・ラックスです! えっと……祈るのは得意かわからないけど、

掃除とか看護とか、いっぱいやってきました。がんばりますっ」

栗色の髪を結んだ少女は、緊張の中にも天真爛漫な性格だと分かる話し方だった。

「カナ・ウインターフィールド」

白い襟がよく似合う金髪の少女が、顎をわずかに上げる。

「家の指導で幼少より祈祷と学問、礼法を修めています。いつか教皇になる予定ですわ」

「アイコ・ワカナです。両親は教会勤務でした。人を救いたくて教会に入信しました。

よろしくお願い致します」

まっすぐな黒瞳。言葉に偽りが一滴もない。

視線が最後に実佐へ集まる。

「……ミサ・クラリスです。下層S-14出身でいろんな雑務をやってきました。アイコさんとお同じく人々を救いたくて教会の教えを学びに来ました。よろしくお願いします」

「下層、ね」カナが、ほとんど聞こえない声で笑った。

「貧しい暮らしの中良く祝福を得られたわね」

「カナ」とリサが淡々と釘を刺す。「祝福は出身とは無関係よ」

「そうっす!私も結構貧しいところから来てるっすけどちゃんと祝福もらえましたよ」

ヴァレリーがにこりと笑って空気を和ませる。

「あと、私すぐお腹すいちゃうから、祈りの最中におなか鳴ったらみんな許してね!」

この言葉にカナ以外の一同はにっこりと笑った。

「祈りは競争じゃないわ」アイコが静かに言う。

「誰かを救いたい気持ちが、いちばん大事よ」

カナの目が、アイコにだけ細くとがった。嫉妬の棘がほんの小さく光る。

祈祷室は円筒形の石室だった。

壁一面に導光管が縦に走り、天井からは蜂巣状の光板。

中央の環状席に五人が膝をそろえる。

入口近くの台には校正済みのワンドが人数分並び、

握った者の呼吸に合わせるように刻線が淡く脈打つ。

「午前は“沈降の祈り”。心拍と呼吸を落とし、思考を澄ませる。

祈りの文は頁十二から。姿勢、視線、指先の角度まで崩すな。合図まで声を出さない」

アレクシアの声が消え、静寂が部屋をより一層冷たく思わせた。

祈りが始まる。

低い呼吸の重なりだけが聴こえる。

ワンドの奥で粒子が流れる微音、石の冷たさが膝を通して骨に染みる。

(……魔力で癒せる私が、“祝福”の流儀を身につけるのかしら)

実佐は眼を閉じ、思考の波に石を投げ入れるように祈りの詞を重ねた。

しかしやはり何も起きなかった。

彼女はせめてここで学ぶことが、人を救う事につながると信じて修行を続けた。

時間が、鎖のように伸びた。

右の席で、ヴァレリーが一度小さく身じろぎする。

空腹の音がかすかに鳴り、彼女の肩がびくんと跳ねる。

左の席のカナが、鼻で笑った。

「集中が足りないのね」

声にしない口の形で刺す。

リサはその気配を手首の僅かな緊張で遮り、正面を見据えた。

アイコの呼吸は、深く均一だ。祈りそのものが体に刻まれている。

(ジョージ……美姫……刃……)

名を胸の奥で並べ、祈りではなく美佐は自分の中の決心に集中していた。

(必ずいつか再会して見せるわ)

どれほど経ったのか分からなくなるぐらい時間が経過した時に声が部屋に響く。

「終わり」

実佐は汗に濡れた掌をそっと解き、膝裏の痺れを内腿に散らした。

カナが横目で見て、唇を歪める。

「体幹、甘いわ。姿勢が微妙に崩れてたわよ」

「あなた、祈りの最中に他人を観察していたの?」とアイコが言い放つ。

「私ほど信仰が深ければ、

祈りながらいろいろできるのよ」とカナは鼻で笑いながら言った。

この言葉をアイコは無視した。

「ありがとう、カナ」実佐は穏やかに微笑んだ。

「次は気をつけるわ」

実佐には嫌味などの誹謗中傷は効果がなかった。

午後は治療棟の実習だ

中級層の労務者が順番に診察台に通される。

負傷の程度は様々、切創、打撲、軽い熱、粉塵由来の気道炎症。

監督役の助祭が告げる。

「各自、ワンドの使用を許可する。

祝福で“キュア”を発し、必要に応じ“浄化”を併用する事。記録官が効果を採点する」

(ワンド……握っているだけ。私はスキルで治すわ)

実佐は柄をそっと指に挟み、患者へ向き直る。

最初の患者は、配管工の男だった。脇腹に裂傷、感染の兆候。

「浄化」

――実佐は声では教会の呪文を言い放つが、実際はディスペルを発動していた。

黒ずみが退き、熱の膜が剥がれる。

間を置いて、 「キュア(ヒール)」

光が柔らかく編み上がり、皮膚と筋繊維が再接続されていく。

ワンドの小窓は“充填率:100%”のまま動かない。

記録官が眉を寄せ、端末にメモを取る。

「安定度、きわめて高い。回復率五割、再現性特筆。ワンド消費なし」

患者の男が何度も頭を下げ、「神の御業」と涙ぐんだ。胸が少し痛む。

(この後どれだけの代償を払わせられるのか)

隣ではアイコが、熱性の幼子に浄化を通し、たちどころに「完治」へ寄せた。

粒子の反応が導光盤に走り、記録官が目を見張る。

「見事だ、アイコ見習い」

カナは、手技が美しく速い。だが信仰が弱く、

一箇所に過剰な光を乗せては別の箇所を薄くしてしまう。

「……導きの曲線が荒い」記録官が指示する。

「出力を上げて全体を追いなさい」

カナの口元が悔しげに歪む。目だけが、アイコを横切った。

リサの祈りは静かだった。完治までは届かないが、患者の不安を鎮める言葉をかけ、

治癒は滑らだった。

「痛むのは長くて明日までとなります。

温かいものを少し、塩をひとつまみ入れて飲んでください」

患者が穏やかに頷く。

ヴァレリーは、最初の三回目で手が震えた。

「ごめん、緊張して……」

それでも四度目では、自分の呼吸を意識して、ゆっくり浄化を通した。

「できた……!」

小さなガッツポーズ。患者もつられて笑う。

最後の患者群で、実佐はエリアヒールを選んだ。

狭い診察室に三人、粉塵で気道が焼け、軽い裂傷があった。

「キュア・ラージ(エリアヒール)」

カロリンから教会の呪文名は一通り教えてもらった。

白光が円環となって足元から立ち上がり、三人の胸郭の動きが整う。

追加で必要箇所にのみ、ディスペルとヒールを一点ずつ。

「深呼吸して。はい、もう一度……」

――LEVEL UP:Lv28――

視界の端で淡い表示が弾ける。額に滲んだ汗を手の甲で拭い、

誰にも気づかれないように息を吐く。

記録官が近づいて実佐を驚きの目で見ていた。

「もうこの呪文をつかえるのか?……

それも光の粒子を一切使っていないなんて...」

採点を終え、助祭がまとめる。

「本日の総評。アイコ見習いは祝福の強度が突出しています、リサ見習いは安定してたな。カナ見習いは信仰が足りんな、しっかり精進したまえ。

ヴァレリー見習いはそれなりに信仰は強いがまだ粗い部分がある。

そしてミサ・クラリス見習い...」

実佐へ視線が集まる。

「回復量から信仰はそこそこ強いと言える。

しかしキュア・ラージを成功させたのは見事であった...」

記録官は何かを言いかけたが我慢した。

「明日以降も、治療棟での修行が続く。休息を取ってさらに治癒術を磨くように!」

カナが小さく舌を打った。

「キュア・ラージなんかで褒められるなんて、教会も落ちたものね」

「キュア・ラージを確実に発動できる事は凄いと思うけどね」アイコが静かに返す。

目と目がぶつかる。空気がわずかに火花を散らす。

リサが一歩、間に入った。

「そこまでにしましょう。今日はみんな疲れてるし、明日も訓練は続くのよ」

しばしの休息を取る事になったが実佐は潜入任務を遂行するチャンスと思っていた。

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